2009年01月29日

●Moffle/モッフルと玉生夫妻

富士・山中湖に移った玉生夫妻が冬休みで遊びに帰って来られた。
全然変らない彼らは、つい昨日までソフテリアで働いていたかのようである。

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「何をご馳走しようかな?」と、思っていたら、
「あぁ!そうだ。あのモッフル!」
ということになった。
ワッフルならぬ、モッフル。
餅をワッフル風にするのである。

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ちょうど、豆・草・白・玄米餅の4点セットの「七五三餅」がある。
そして、先日イタリアから輸入したおしゃれな「レッドチリオイル」と「レモンオイル」がある。
更に、秘蔵の秘、フランスの「ヴァシュラン・フェルミエ」のモン・ドールAOCチーズがある。
日・仏・伊の三国合作。

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この3点セットで、特製モッフルを目の前で仕込んで、食す。
この意外な取り合わせが、実に絶妙!旨かった!!
玉生君も大満足してくれた。

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もうほっぺたが落ちそうな感じでしょ。
これは、本当に美味しかったな!
ソフテリアのメニューにしようかな?
餡やクリームを挟んでも美味しいだろうな・・・・

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人間って、単純だな・・・
食べ物の事になると、みんな仲良くなる。
一年の時の壁も、一瞬で越えちゃうな。

二人との絆は切れたと言う感じがまるでない・・・・
食を通してこれからも、
まほろばと富士山は結び合う。

(明日から、岡山で開催される「磐座学会」に行ってきます)

2009年01月28日

●カルルス温泉

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新年の社員旅行はカルルス温泉だった。
今年の候補は登別、と出た時、
咄嗟に、「それなら奥のカルルスに行こうか」と、なった。
それは何故かと言えば、同じ所には行きたくないなー、
という単純な理由と、もう一つ
幼い時の想い出の場所だったからだ。

・・・・・山道をバスに揺られていた・・・・・・・
長い大きな古い渡り廊下を歩いていた・・・・・・・
暗い外風呂の湯に入っていった・・・・・・・

そんな三つの微かなシーンがモノクロ写真のように、
不思議な懐かしさを伴って、心の底にある鏡に映っていた。
そこは、父と母との三人だけだった。
他の兄弟が居なかったから平日なのだろう。
きっと私は、就学前の幼児だったはずだ。

何故だろうか。
カルルスという名と、母は病んでその為に湯治に行ったのだ、
と知ったのは、後年のことである。
親子で温泉に行けたのは、生涯でその一度だけだった。

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今回、50年以上を経て、
その思い出のカルルスを訪ねた。
しかし、その感興は再びとならず、
現実的風景に、過ぎ去りし時間を埋め戻すことはなかった。

・・・・・ある夜の、暗い部屋から庭をのぞき、流れる雲に
揺らぐ月の茫漠たる風景を思い出す・・・・・・

そんな情緒的視線は、昔だからではなく、
子供の心眼の深さではなかったか。
今見る月の色より、ずっと深々とした彩りであった。

「月ぞしるべこなたに入せ旅の宿」

しかし、人は想い出を美化すると言うのではない。
あの頃は、もっと物の真を観ていたような気がする。
幼き日は、もっと別の何かを感じていたような気がする。

人生は、或いはその追体験をしようと、
逆周りに胎児へと、その記憶を指でなぞっているのかも知れない。
その時、己は心の海に浮いていた。
気持ちの赴くまま何処ともなく流れていた。

芭蕉は、「俳諧は三尺の童にさせよ・・・」
と、句作の口訣を伝えた。

赤子は、偉大な詩人であり、悟者である。

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(千歳柏陽台、リピエーニさんにて新年会)

2009年01月26日

●「七五三塩」危うし!!

七五三塩 存続は!?.jpg
http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix200812_shio.htm
(「七五三塩」の存続は!?)

先日の朝日新聞に、塩の新しい規制、公取委員会・・・云々・・・・
との記事が掲載された。
それに先駆けて、昨年末には、
店内でお客様に「『七五三塩』の存続は!?」のたよりを配布して、HPにアップした。

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まほろばの命綱ともいえる「エリクサー」と並んで、大切な「七五三塩」。
それが、売れなくなる!?との危機が走ったのは、昨年のモンゴル行きの6月。
それから対応に追われ、漸く結着が着いたのは、昨年末。
その経緯をたよりに詳しく述べた。

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino9.htm
(「七五三塩(和み)誕生秘話」)

塩の区別を、岩塩、湖水塩、海水塩に判別させること。
また製造工程や素材割合比を明確に記載すること。
天然やミネラル豊富などの表現が出来ない。
など、細かい規定が定められ、修正が加えられた。

その点、「七五三塩」は内容が複雑なので苦慮した。
物質的な側面では語り切れない処が数多くあるからだ。
しかし、どうしても世に残して置きたかったので、
残念だが可能な限り、削る処は削り、直す処は直した。

一方これで、正々堂々と販売することが出来る。
この塩から、世界の海は一つ、そして、
人類も、国々も一つであるという想いを伝えたい。拡げたい。

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6月には、モンゴル塩の産地、ジランタイに視察訪問に行くかもしれない。
「世界の塩」という本が発刊されると言う。
その編集者と共に。
そこから、「世界は一つ」の風が吹き始めますように・・・・・・・・

2009年01月24日

●「水とは医学」 U

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「森下自然医学」の2009年新春対談の第二弾、
ー霊水に込められた哲学をひもとくー(後編)が発刊されました。

・・・フンザもコーカサスも、長寿郷はすべて、
  山奥にあり 谷川に点在しています。
  水との関係は大ありですね・・・・・・(本文 森下会長談より)

森下会長が約35年来調査研究し続けて来た世界の長寿郷。
その中でもいろいろと思い出深い長寿郷フンザは、
宮下社長にとっても何かと思い入れのある場所とのこと。
 新春対談・後編も謎多き、未知なるもの
「水」の世界が広がります。(本文18〜25頁 案内文より)


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今回は、世界のエネルギースポットに焦点を当て、
長寿郷フンザが話題の中心に上りました。
エリクサーにとって切り離せられない
Dr キャラハンやDr フラナガンの事が紹介出来て、
その機能性が、より具体的に理解されたのではと思います。

また、フンザは「富士古文書(宮下文書)」の関わりも深く、
森下会長とのご縁に浅からぬものを感じました。
日本人のルーツ論で、一致を見たのは、
会長が実際、長年踏査した結果でもあり、
一層の確信と希望が見えたともいえます。

最後に、まほろばの生き方もご紹介出来て
森下会長並びに「自然医学」社さまのご好意に感謝申し上げます。

今ご希望の方には、冊子を進呈しております。
また、前後篇とDrキャラハンの講演録の合本を
後日発行しますので、お楽しみに。

今回のご縁で、来る5月3日、東京での講演会も決まり、
その詳しい内容は、後号でお知らせいたします。

2009年01月22日

●「女と男」の行く末

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「エリクサーから無限心へ W」の結論は、
『母性』であった。
それは、次代のキーワードであり、
現代の混沌を説く鍵であると確信している。

「ダヴィンチ・コード」のテーマも、そうではなかろうか。
キリスト教という宗教さえ男性優位のヒエラルキー、
権力構造を形成し、この2000年間、
差別・戦争という人類の無明を
遂に解決することが出来なかった。

いな、この根底にある男女格差の思考が、
今日の混沌を創り出したともいえる。

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先日、このテーマに楔を打つ科学的考察が放映された。
NHKの特別スペシャル「女と男」を観られた方も多かろう思う。
一言で言えば、男性がこの世から消える、ということだ。

「性染色体がXXなら女、XYなら男。
1億7千万年前に獲得したこの性システムのおかげで、
私たちは命を脈々と受け継いできた。
ところが、この基本そのものであるシステムは、大きく揺らいでいる。
じつは男をつくるY染色体は滅びつつあるのだ。
専門家は「数百万年以内には消滅する」という。
なかには、来週になって消えても不思議ではないとする意見さえある。

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じつは「遺伝子できちんとオス・メスを決め、
両者がそろって初めて子孫をつくる」というのは、
私たちほ乳類が独自に獲得した方法だ。
ほかの生物はメスだけで子孫を残せる仕組みを持っている。
そのほ乳類独自のシステムが長くほ乳類の繁栄を支えた一方、
いよいよその寿命が尽きようとしているのだ。

さらに人間の場合、Y染色体を運ぶ精子の劣化も著しい。
これは生物学的に一夫一婦制が長くなった影響だという。
こうした性システムの危機に私たちはどう対応すべきなのか。
シリーズ最終回では、いわゆる試験管ベイビーが生まれて30年、
生殖技術をめぐる最前線もたどりながら、
現在、性の揺らぎが引き起こしているさまざまな影響を追う。」
(NHKスペシャル・『シリーズ女と男/最新科学が読み解く性』より)

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その時、私が直感的にイメージしたのが、
「無極、太極を生み、太極、両儀陰陽を生む。・・・・・」
と言った『易経』の件(くだり)だ。

万物の存在は、元々一元である、という思想哲学。
ならば、男女の性も、果てしない太古には、
別は無かったはずだ、という推論は成り立つ。

そして、分かれた両性は又何時か、一元に戻る時が来る、
という遠大な生命論理の予測は、
測らずも、科学の視点で、これが立証されそうなのである。

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女性器には男性器も兼ね備わり、本来両性具有であると言われている。
女性から分化したのが、男性であり、元より従属的性である。
この生理的、派生的起源を辿れば、放映されたように
生殖目的、子孫繁栄のために、男性が長い歳月の間に発生して、
また用を無くせば、放擲される存在であることも事実らしい。

何とも、一男性とすれば、寂しい話であるが、
それが大概的に見て、現実性を帯びる。
例えば、宗教的に見れば、観音様や如来様は、
男女の性を超えた両性具有であり、
霊界ではそれが本性であるようだ。

だから、生命の本質から見れば、
生んで育てられる女性が性の本来であり、
最後に生き残るのは、女性なのであろう。

やはり、「女は強し、母も強し」なのである。
ちっとも、女が弱しとはならない。
つまり、この世から男がいなくなっても、女性は困らないのだ。

この有史以来の戦闘に明け暮れた人類史は、
男性優位社会の出来事であった。
それ以前の無史は、女性本位の母性社会であった、とされる。

その潮流は、生命を誕生させ、撫育させる本能の
赴くままの無為自然の理想社会であった。
為に、名を残すことも、財を残すこともなく、
それは、愛に満ちた地上天国でもあった。

現代社会が、愚弄の限りを尽くして、
行く先の見えぬ今日を迎えたかの原因は明らかであった。

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その解決は、ただ一つ「母性」に戻る以外にないであろう。
それは、単に男女対立する所の女ではなく、
それこそ、仏のような、観音のような
両性具有の陰陽統合された性に戻るべきではなかろうか。

それこそが大同社会であり、理想世界の未来像である。
今、この一歩、まほろばは、
この一歩を歩もうと踏み出した。

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(山崎弁栄御上人筆 「観音菩薩図」)

2009年01月20日

●ロマネスク/フラクタル

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上の野菜は「ロマネスク」という。
別名「珊瑚礁花椰菜(カリフラワー)」「黄宝」「ヤリガイ」と呼ばれる
カリフラワーとブロッコリーの相の子で、オランダ原産らしい。
今朝、有機専門仲買・米内青果さんより入手したものだ。
これを見た途端、あのフラクタル図形を思い出した。

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それは見事なまでの相似象で、大きな傘から小さな傘を見ると、
またその中に、同じような傘があり、
さらにその小さな傘を見ると、もっと小さい傘がぎっしり詰まっている。
それは、息を呑むような美しさと正確さを象っている。

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造化の妙は、これほどまでに数学的・幾何学的で、しかも
情感的にも感動が後に響く。
まるでバッハの音楽が聴こえるようでもある。

実はこの宇宙は、空間的にも、時間的にも、
同じパターンを繰り返しているという。
マクロもミクロも同じ世界が重層的に、
出現し、重なり合い、連なり合って、
尽きることがない。

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(「非線形性の妙」:イラストレーションはオリジナルCG画像を創作されている
岡田明さんのwebサイトより。
http://nichigetu.b-tama.com/

だから、今日のこの場面は、かつてあったこと、
今生のこの生は、未来にもあること、
今のこの人、あの人は、過去にも会った人々、
私の父母、兄弟、妻子、友・・・・・・
皆連なって、過去から来て、未来にも行くべき
数珠繋がりの縁生。

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(「心は巧みな画工のようなもの」)

仏教の「華厳経」という教えは、この事を説いている。
宮沢賢治は、いたくこの教えに惹かれて、
あの銀河のように、夜空にちりばめられた
詩文や童話を綴って、
「イノチのつらなり」を訴えた。

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(「華厳経における花の意味」)

そうだ、今年は「ロマネスク」を自然農園に栽培してもらって、
まほろばで販売し、「イノチの数珠繋ぎ」を訴えよう。
名付けて「曼荼羅/マンダラ」カリフラワー。
しみじみと、自然に教えられていますね、私たちは。


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(「自然から生まれる無作為の美」)

実は、浄活水器「エリクサー」も、
フラクタルの神秘で充ち満ちている。
(参照:ブックレット「エリクサー水と宇宙銀河の相似象」無料進呈しています)

2009年01月17日

●「天の警告と0−1テスト」 U

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昨年末に書いた「天の警告と0−1テスト」。
更に前後談があった。

まほろばでは、0−1テストを全ての判断基準にしている、と聞けば、
何か神がかり的な、何か怪しい集団かと思われがちだ。
その一つに、浄水器エリクサーがある。
これも、終始一貫して0−1テストで造ったが、
その後のリサーチは、徹底した科学的分析と考察を行っている。

エリクサーに関して、何か疑問を提示されると、
相手が高名な医師であろうと、専門家であろうと、
とことん討論して論破するほどの、
哲学と資料と結果を積み上げて来ている。

経営もある意味、同じかもしれない。
毎月の経理は細部にわたって行き届いたTKCのコンピュータ管理だ。
それは水も漏らさぬほどの隙間なきチェックが入る。
ある意味息苦しいかもしれない。

だが、私のその読みは、はなはだ大雑把なものだ。
大体の流れが分り、大局が掴めれば良しとしている。
それよりも毎日毎日、働くので精一杯の状況なのだ。

経営方針も創業から一貫して変らず、不動である。
あれこれ時流を見て、売上げを見てどうするこうする、
といったことは全くない。

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例の、ショッピングモール入店の件でも、
細緻にシミュレーションして、あらゆるケースを検討しても万事OK!だった。
会計事務所の所長さんからも、「後はやるしかないでしょ」とまで後押しされたのだった。
だが、そこまで太鼓判を押されても止めたのだ。

数値で詰めても、経験で判断しても、成らないものは成らない時がある。
逆になる場合もある。
これはもう、経営者の直感としか言いようのないものかもしれない。
そのきっかけの一つにこういう事があった。

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実は、新店舗の店長に先の佐々木信豪君を予定していたのだ。
そのために短期間ではあるが教育し、また彼自身も受けるに充分な才覚実力があった。
ある意味、彼が居なければ、想定出来ない面があった。
ところが、この話が煮詰まって、後もう一歩という時に、
彼は、「会社を辞める」と申し出て来たのだ。

この時、ある種の兆しというか、不吉を初めて感じたのだ。
入念に計画したものを、一朝の許にご破算にしたのに時間はかからなかった。
少しの未練を残すとはいえ、0−1テストの指示するように出店を断念したのだ。
そして、その半年後・・・・・・・

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そのショッピングモールが開店する10月27日、
何と、佐々木君が復帰したのだ、しかもその当日に!
「家の都合がついたので、再び働かせて下さい」との弁であった。
「何という事か!!」と、驚愕したのだった。

これは偶然というには、余りにも出来すぎた話で、我ながら身震いしたのだった。
おそらく、天は彼を使って、私達を断念させた、と言うしかないであろう。
この時、何かの導き、と思わざるを得なかった。
良い話には、思わぬ落とし穴があるものだ。

「もっと、地道に歩め!!」という天の叱責に、襟を正さざるを得なかった。
そして、歳を開けての就職難、世界的な大不況風である。
外に大きく広げる時ではなかった。

今、厚別店も若い渡辺君が入って、
見違えるほど店が変り、輝き出した。

「これで、良かったのだ!!」と、
胸をなで下ろしている今日この頃、
歳の初めの感慨であった。

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