▲ コメント ▼
強い関心をもって読ませていただきました。
感想としては、今まで自分なりに続けてきた玄米菜食が
「食」に関して終着点と考えておりましたので、
「目からウロコ」の心境です。
これからも学ばせていただきたいと思います。
ところで、以前から気になっていたことがあるので、
この場をお借りして質問させていただきたいと思います。
「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や
「菜食であれば攻撃的にはならない」と良く耳にしますが、
よろしければこの事についもお答え頂けないでしょうか?
よろしく御願い致します。
Posted by: 和 | 2009年06月18日 20:20
◎ お答え致します ◎
宮下洋子
「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や
「菜食であれば攻撃的にはならない」
と言うのが、菜食者の依拠するところですが、
私も長い間そのように考えてきました。
でもよくよく考えてみれば何の根拠もありません。
なんとなく、イメージ的にそう思わせる所があるので、
信じてしまいやすいのだと思います。
『食するものがその人となり』であるならば、
牛や馬や、羊や豚や鶏や鹿は、人が攻撃しなければ、
自分から攻撃をしかける動物ではなく、極めて平和的な菜食あるいは
雑食動物で、これらの肉を食べたからと言って、
攻撃的になるとは考えられません。
クマはちょっと怖いですが、それを食べてきたアイヌの人たちも
攻撃的とはいえません。
むしろ、江戸時代から四足獣を食べなかった屯田兵が、
平和的な民である彼らを追い払い永住したのです。
太平洋戦争を最後とする侵略戦争を起こしたのも、
江戸時代から四足獣を食べなかった日本人でした。
さらに驚くべきことは、あの残虐極まりないヒットラーは菜食でした。
また、チベットでは野菜が育たず羊の肉が主食で、当然、
ダライラマ14世などのラマ僧仏教徒も肉食ですが、
中国の不当な弾圧がなければ、暴動を起こすような
攻撃的な人たちではありません。
イヌイットの人たちも海獣(アザラシなど)が主食ですが、
攻撃的な人たちではありません。
以上のことからも、
「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出す」や、
「菜食であれば攻撃的にはならない」
と言うのは説得力がないことがお分かり戴けると思います。
それでは、暴力や犯罪と食はどのようなかかわりがあるのでしょうか?
現在、『アメリカ生物社会研究所長』である、アレキサンダー・G・シャウスは、
裁判所の保護監察官から、主席矯正管理官などを歴任しながら、
暴力や犯罪と食の関係を、栄養学的、医学的、かつ統計学的見地から
科学的に考察し、実績を上げている人です。
(参考文献)
『栄養と犯罪行動』 A・Gシャウス著 ブレーン出版
『シュガーブルース』 ウイリアム・ダフティ 日貿出版社
彼によると、アメリカでは、暴力犯罪の50パーセント以上が、
その犯罪のすぐ前にアルコールを飲んでいたと言う統計調査があります。
アルコールが、一時的に人格を変えることがあるのは衆知の事実なので、
異論はないと思います。
次に、低血糖症が暴力を始めとした行動障害を起こすと言う統計的、
臨床的データや、研究報告は、山のようにあります。
その原因物質として標的に上がったのが白砂糖でした。
白砂糖は、ブドウ糖と果糖が合成された2糖類ですが、
その中のブドウ糖が代謝にインシュリンホルモンを必要とし、
白砂糖の大量摂取の繰り返しが、インシュリンの過剰分泌を招き、
低血糖症に至るというものです。
● 果糖はインシュリンがなくても代謝できて、
高血糖症にも低血糖症にもならない糖で、すい臓に負担をかけません。
まほろばでは、テンサイ糖由来の果糖を主体に
2糖類(蔗糖=オーガニックブラウンシュガー)、
オリゴ糖類、多糖類(クマザサ粉)、高分子多糖類(羅漢果)等を
人体生理に合わせて0−1テストでバランスよく配合した
ひふみ(一、二、三)糖をオリジナルに作っています。
0−1テストで、砂糖は白いからいけないのではなく、
砂糖の大量摂取によるブドウ糖過多がいけないのだと、
早くから気づいていたためです)
多くの研究によると、犯罪者の80〜85パーセントは、低血糖症で、
コーラやソーダ、などの清涼飲料水や、缶コーヒー、アイスクリーム、
キャンディーなどを大量に、異常に食べている人たちでした。
(アル中患者についてのある研究では、
97パーセントが低血糖症だったという報告があります)
ここまで異常ではなくても、お腹が空くと(血糖値が下がると)
怒りっぽくなったり、イライラしたりする人はいるものです。
さらに、糖の代謝にはビタミンB1が必要で、
大量のブドウ糖をエネルギー源としている脳にとって、
B1不足は致命的で、脳の基底部分(小脳、延髄、橋梁)に
機能障害を来たし、興奮性、攻撃性、衝動をコントロールできない、
批判を処理できない、記憶障害、集中力欠如などを
起こしやすいとされています。
カフェインも大量にB1を消耗するので、コーヒーなど大量にとると、
精神不安定になり、犯罪者も多いという報告があります。
また、アル中患者にはB1不足の人が多いとのこと。
● 果糖はインシュリンは必要としませんが、B1は必要なので、
ひふみ糖といえども大量に取りすぎるのはよくありません。
ただし、筋肉が糖をエネルギーに変えるときは、B1を必要としないので、
スポーツ選手や肉体労働者は、
大量に糖分を取ってもB1不足にはならないようです。
頭脳労働者や、あまり動かない人は、
糖分を取りすぎるとB1不足になるので要注意です。
ペルーのクオラ・インディアン社会について研究したラルフ・ボルトン博士は、
クオラの大多数の人間は、殺人、強姦、放火,喧嘩、盗みなど、
あらゆる種類の犯罪行動を行っており、人口が1000を超える村では、
世帯主の50パーセント以上が、直接、あるいは間接に
殺人にかかわっていたと言う報告をしています。
血糖を調べてみると、クオラの男性の50パーセント以上が臨床的に低血糖でした。
そして、彼らの食事は、たんぱく質が非常に低く、
炭水化物が極度に高いものでした。
(炭水化物は何千と言うブドウ糖が鎖のように繋がって出来ています)
ハリス博士は、高たんぱく、低炭水化物食が正常で安定した血糖を維持し、
低血糖を統制することを発見し、
アメリカ医学協会からメダルを贈られました。
しかし、低たんぱく、高炭水化物食だけでは、
人はそれほど極端な高血糖や、低血糖にはなりません。
たんぱく質が非常に低いところへ、コーラや、アルコールが入ると、
低血糖になってしまい、常習化するのです
特に菜食者や低蛋白者は、糖や、カフェインや、アルコールの害を受けやすく、
うつや、被害妄想、精神不安定にもなりやすいようです。
また、いわゆる霊障も受け易いようです。
(0−1テストによる実験と考察)
クオラの人たちも、砂糖やカフェインや、安価なアルコールが
入ってくるまでは、平和な民だったのかも知れません。
その他、銅、鉛、カドミウム、水銀、リン酸塩添加物、などの神経毒の過多も、
攻撃性や多動などの行動障害を起こすことも知られています。
これらの事は、砂糖、カフェイン、アルコールの取り過ぎや、食品添加物、
農薬、大気汚染、水質汚染、ファーストフードなど、
現代文明のもたらした、負の側面であり、
これらの生理的基礎の上に、生活習慣や、電磁波の問題、テレビなどの
マスコミや、学校教育の問題、さらに、家庭的、社会的な複雑な要因も
絡み合って反社会的、攻撃的、暴力的問題は発生するように思います。
従って、「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や
「菜食であれば攻撃的にはならない」
と言う風に単純には決め付けられないのではないかと考えます。
食養家、桜沢如一氏の最終目的は、世界平和でした。
先生は
『食』と言う物を安全・安心や健康を実現するためだけに限らず、
人の運命や、人格、その生き方や思想、さらには、国の運命を左右し、
国際平和までも実現するものとして、大統一理論を構築された方でした。
それは、
『濁ったり、穢れたりした血液が病を生み、悪想念や争いを生む』と
言うもので『食を正す』ことが人生の第一義とされました。
食は、自らを修め、家族や社会、世界とより良い絆を築く生理的基礎であり、
手段であり、智慧でもありました。
それは東洋哲学を基礎とした弁証法的世界観・宇宙観に裏付けられた、
壮大なスケールの中にも確固とした骨組みを持つものでした。
先生の世界観は、あらゆる相対立するものの統一であり、
価値観を異にする東洋と西洋の包括的融合であり、平和でした。
従って先生は、本質論的には二元的一元論者であり、
一元的二元論者でした。
しかし、余りにも物事を、陰、陽に分類し過ぎてしまい、
1=2であり、2=1であり、陰陽は、バランスを取ることによって1になる、
と言う本質的視点が希薄になってしまいました。
先生自身の思想の中心軸は、一度もブレたことはありませんが、
現実面で動物性食品を否定されるという自己矛盾が起きたのだと思います。
真生活を8〜9年続ければ、後は何を食べても何をしても自由人と言われながら、
実際には、玄米菜食の枠から大きく外れることは出来ませんでした。
それは、
1、治病食と平常食を明確に区別出来なかった事。
2、一般の動物性食品と安全なエサを食べ、自然に育てられた
動物性食品を明確に区別出来なかった事。
3、陰陽のバランスが大切なのに、陽性を重んじたこと。
にあると思います。
しかし、その事で先生の評価が下がることはありません。
『食』というものを、あらゆる物事の、
そして、世界観、宇宙観の生理的基礎として、
これほどまでに深く掘り下げ、また、これほどまでに、
高く広く価値付けてくれた人はありません。
私の最も尊敬する生涯の恩師です。
ただ、先駆者として、多少応用面で不完全であったかもしれないと、
私が思っているだけなのです。
大きな枠組みと、その精神は微動だにするものではありません。
以上、また思いつくままに長々しく書いてしまいました。
今回はマクロビオテイックを学ばれた方でなければ、分かりにくいかなと、
思うことも書いてしまったので、関係のない方はとばしてお読み下さい。
ありがとうございました。
引き続きどんな質問・反論もお受けいたします。
ご遠慮なくお寄せ下さい。