2009年06月30日

●胡桃のテーブルから

ローズウッド 1.jpg
(胡桃材のカウンターと製作者のコンパス今村さん)

ソフテリアのテーブルを胡桃材に換えた。
今まではパイン材で傷つき易かった。
長さ4.3m、幅80cmの大物で2枚。
木工作家の今村さんと市内を半年かけて探し当てた。

室内が白っぽいので、ダーク系で引き締めたかった。
漸く出来上がったカウンターを見て、
みなから感動の声が上がった。
5,60mmの厚さの無垢材、耳をそのまま残して活かした。
その滲み出る風格、ただならぬ空気は、何とも言葉に出来ず。

芯の茶系に皮の白目、その色合が一層柔らかさを醸す。
樹の精に吸い込まれるように、何時の間にかテーブルに着いてしまう。
以前に比し、強い吸引力をまざまざと見せ付けられた。

ここで、しみじみと一杯のコーヒーを啜るだけで、
瞑想気分になってしまうだろう。
大木にハグして一体になる瞑想法があるようだが、
都会の片隅でも、樹と語り合える時間が存在する。

胡桃の樹.jpg
(ウオールナッツ、胡桃の大木)

しかし、問題が出て来た。
無垢の良さを生かす為に、オイルを塗ってもらうだけに留めた。
だが、水をお出しすると、そのグラスの跡がそのまま残るのだ。
チョットした食器のスレが、傷となって付くのには頭を痛めた。
今更ながらコーティングすればよかったかな、と後悔した。

しかし、ここが判断の為所(しどころ)だった。
札幌で一番の材木の目利き、森銘木店の中村さんとは旧知の仲。
聞くと、そこは意見の分かれる所で、最後は施主の思いだけだ、という。
利便を取るか、自然を取るか。

コーティングすれば、サァーと拭くだけで何も留めない。
しかし、オイル仕上げは、毎日の手入れが欠かせない。
店仕舞いした後は、ヌカ袋の磨きを丹念にして朝まで乾かす。
これは、結構手間隙のかかる厄介者なのだ。

しかし、こう思った。
その手間の分、樹は応えてくれる。
そして、樹はその手間分、お客様に語ってくれる。
染み込むオイル、磨きをかける愛情。
それでこそ、無垢は無垢としての表情や価値を
一層光らせてくれる。

ローズウッド 赤ちゃん.jpg
(福田君の赤ちゃん「多櫻/たおちゃん」。かわいいね。すわり心地がいいみたい!)

今日、現代文明がもたらせたのは、
この簡単便利というコーティングの世界だった。
その薄皮を剥いだ所の、樹の温もりや語らい。
触る掌の何か、嗅ぐ匂いの何か・・・・・

その言うに言われぬ何かが、実は最も言いたいこと
樹が人に最も知ってもらいたいことだった。
プラスチックの皮膜では、すべてが遮断されて
何もかも伝わらなくなるのだ。

早いこと、強いこと、保つこと・・・・・・・
さまざまな現代の利便性がもたらせたものは、
我々に幸せや楽しさや優しさを
ひっよとしたら、奪い去っていたのかもしれない。

鉄やコンクリートが強いと誰もが思うだろう。
しかし、奈良の古寺が樹木で成っていた事を改めて知る。
弱いこと、柔らかいこと、朽ちやすいこと・・・・などが、
実は強く、堅く、長らえることを覚(さと)るのだ。

不便なこと、晩いこと、目立たないこと・・・・などなど、
負のようなこと、蔭のようなところが、
実はとても大事であることに気付く。
本物は、やはり晩くやって来る。

ローズウッド テーブル.jpg

一枚の木の語る処は、大きくて、かつ深かった。
木々に救われている小さな人間がいる。

●リニューアルPreOPEN!厚別

リニューアル 2 参り.jpg
(みんなで、床や棚、冷蔵庫にお礼をして回った)

87年の8月に、厚別店を開業した。
ほぼ22年も前のことだ。
「よくぞ、今まで持ったものだ!」という感慨に耽る。

当初、最新設備でスタートしたものの、
中々思うように回らず、赤字続きだった。
それをよく持ち堪えて、今では厚別無しには、
まほろばが成り立たない存在にまで成長した。

リニューアル 1.jpg
(バックヤードの床はボロボロだ)

その間、一度も手直ししたことがなかった。
最近、移転計画もあったが、それも断念した。
この馴染んで離れがたくなったここを大切に、
「この先さらに何年・何十年も続けよう」
と、意を決して改装した。

合田店長の後を継いで、若い渡辺君が張り切っている。
道具にもイノチあり。
冷蔵庫も棚も、20年以上使い続け、
「よくぞ今まで働いてくださった。
ご苦労さま!ありがとう!!」
と、言って別れを惜しんだ。
いよいよバトントッチして、
香り芳しい木造りのあつらえ棚にした。

リニューアル 3 五体投地.jpg
(新店長は、床に頬をすり寄せて「ありがとう」を言っている)

24,25日両日、皆の作業よろしきを得て、
26日から、ささやかながらもプレオープン。

この日を境に、渡辺匠君も、
正式に代理から店長に昇格。
「よくぞ、今までがんばりました!」

リニューアル OPEN 2 前面.jpg
(斜めに木棚が入りました。新たな動線に、新たな感覚が生まれました)

ドアーが開く度に、お客様から驚きの声々。
「どこ、ここ?」
「もう、びっくり!」
「いい香り!!」
「きれい!うれしい!」
などなど歓びの反応。

リニューアル OPEN 1 ケース.jpg
(オープンケースにして、まほろば朝どり野菜も鮮度良好)

来る3,4,5日の「創業25周年記念祭」が、
正式の「オープン記念セール」を兼ねます。
ちなみに、この設計や配置なども、
みな「0−1テスト」で決めるんですよ。

リニューアル OPEN 3 ケーキ.jpg
(従業員で新たなる出発をささやかながら祝いました)

厚別のお客様には、今まで多くの
ご不便をおかけしました。
従業員一同、心一新になって、
これからも、より親しみ愛される厚別店に、
生まれ変わって参りたいと思います。

どうぞ、よろしくお引き立てのほどを、
お願い申し上げます。

2009年06月29日

●フェアトレードフェスタ 2009

リニューアル 4 テレビ塔.jpg
(札幌テレビ塔の真下に店。農園の上島さんも)

発展途上国の物品を適正な価格で買うことで、
現地の貧しい人々の経済的自立を支援する「フェアトレード」。
市内の学生などが運営する「フェアトレードフェスタ2009」が、
27日、28日に大通公園で開かれた。

フェアトレードは「公正な取引」の意味。
途上国の生産者から物品を安く買いたたくのをやめ、
適正な対価を支払うことで暮らしや技術の向上を促す取り組み。

会場ではフェアトレードについてのワークショップが開かれたほか、
アフリカや東南アジア、中南米産の色とりどりの服やアクセサリー、
エスニック料理などの店が並び、多くの人でにぎわった。

フェアートレード 3 全体.jpg

まほろばも一日参加してみました。
今回は、VOXスパイスと
まほろば自然農園の野菜を販売。
店からは城越ゆかりちゃんと
畑からは穂積豊仁君が売り子に。
真夏の陽射しに、人通りも多く、
新しい刺激に、大いに勉強になったはず。 

フェアートレード 1 工藤.jpg
(編集室の工藤さんも応援に駆けつけてくれた)

20年前、第三世界ショップなどとフェアトレード運動を展開していたが、
遅々として進まない感じがしていた。
最近、漸く市民権を得たような気がする。
それでも、認知度はまだまだ。

そんな中、衣服への関心が若者側から興り、
今まで欧米主体のファッションが、これからは
アジア主流に流れが変わるのではないかと予感する。
BD・0−リングテストの大村博士は、
今の化繊の衣服が生理障害を起こしていると警告している。

これからは綿や麻がもっと尊ばれていいだろう。
そしてその需要が、彼らの自立を促すものであれば二重に歓びだ。
古風でいて斬新な息吹と経済システムが、東洋から興る。
停滞する現代文明に風穴を開けるのは、
きっとそんな若者の感覚から興るのではないか期待している。

まほろばでも、衣料を置きたいが、今の処スペースがない。
食のみならず、真・衣食住全般を提案出来る店でありたい、
と願う夏の日の一日であった。

2009年06月27日

●生涯現役

宮本さん.jpg

みなさん、このおじいさん何歳に見られます?
毎朝、市場で見かけます。
同じ組合員です。

試しに、周りのみんなに聞いてみました。
「70代だな・・・・」
「んん・・・、80はまだ行ってないべ・・・」
「まあ・・・75ってところかな・・・」

そこで本人に聞いてみました。
「89。
あと半年少しで、90になる!」
「えぇ!90!!!!」
もう、まわりはビックリ!!

毎朝、一人で車で仕入れに来られる宮本さん。
自動車免許の更新をダメモトで申請したら、すんなり通り、
しかも表彰状が贈られたとか。最高年齢だそうだ。
半世紀以上も市場通い。
昔は、ソリにカラフト犬を繋いで走らせて来たと言う苦労人。

到底、そんなお歳には見えない。
表情が生き生きして、お顔が綺麗だ。
精進されて、心が澄んでいるのだろう。
それが、一層体を溌溂とさせているのだろう。
耄碌とかヨボヨボということが全くない。

引退して、ゴルフだ、遊びだ、趣味だ、という余暇はない。
何時までも現実の今を生きている。
社会と面と向って生きている。
年寄り扱いにされるのが嫌で、
あくまでも自分の足、自分の頭、自分の経済力で、
子供にも、孫にも、奥さんにも頼らず、生きている。

何と素敵な人生なんだろう、と感心してしまった。
ささやかだけれど、爽やかな、
稔り有る人生なんだろう、と我が身を反省する。

今朝土曜日ともなれば、道路は空いて人通りはなく走りがスムーズだ。
みんな休んでいる。
しかし、我ら八百屋家業は、土・日もなく年中働き詰めに働かねばならない。

でも、この宮本さんのおじさんを見ていると、
休みなく働くこともありがたいことだと思える。
この健康の手本を見ていると、
いかに働けることに感謝しているか、身に染みる。
今、就職難の折、こうして働ける場があること、
勿体ない、と思うのだ。

この職場で、良き仲間、良きお客様、良き生産者の方々、
こんな素晴らしい仲間に囲まれ、
生涯現役で生きられることは、
何と幸せな事かと、思う今朝の一時であった。

死ぬまで、働き切ろう!!


2009年06月24日

●お答えいたします 4、

▲ コメント ▼

強い関心をもって読ませていただきました。
感想としては、今まで自分なりに続けてきた玄米菜食が
「食」に関して終着点と考えておりましたので、
「目からウロコ」の心境です。
これからも学ばせていただきたいと思います。
ところで、以前から気になっていたことがあるので、
この場をお借りして質問させていただきたいと思います。

「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や
「菜食であれば攻撃的にはならない」と良く耳にしますが、
よろしければこの事についもお答え頂けないでしょうか?
よろしく御願い致します。
                    Posted by: 和 | 2009年06月18日 20:20


◎ お答え致します ◎
                                      宮下洋子

「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や
「菜食であれば攻撃的にはならない」

と言うのが、菜食者の依拠するところですが、
私も長い間そのように考えてきました。
でもよくよく考えてみれば何の根拠もありません。
なんとなく、イメージ的にそう思わせる所があるので、
信じてしまいやすいのだと思います。

『食するものがその人となり』であるならば、
牛や馬や、羊や豚や鶏や鹿は、人が攻撃しなければ、
自分から攻撃をしかける動物ではなく、極めて平和的な菜食あるいは
雑食動物で、これらの肉を食べたからと言って、
攻撃的になるとは考えられません。

クマはちょっと怖いですが、それを食べてきたアイヌの人たちも
攻撃的とはいえません。
むしろ、江戸時代から四足獣を食べなかった屯田兵が、
平和的な民である彼らを追い払い永住したのです。

太平洋戦争を最後とする侵略戦争を起こしたのも、
江戸時代から四足獣を食べなかった日本人でした。

さらに驚くべきことは、あの残虐極まりないヒットラーは菜食でした。

また、チベットでは野菜が育たず羊の肉が主食で、当然、
ダライラマ14世などのラマ僧仏教徒も肉食ですが、
中国の不当な弾圧がなければ、暴動を起こすような
攻撃的な人たちではありません。

イヌイットの人たちも海獣(アザラシなど)が主食ですが、
攻撃的な人たちではありません。

以上のことからも、
「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出す」や、
「菜食であれば攻撃的にはならない」

と言うのは説得力がないことがお分かり戴けると思います。

それでは、暴力や犯罪と食はどのようなかかわりがあるのでしょうか?

現在、『アメリカ生物社会研究所長』である、アレキサンダー・G・シャウスは、
裁判所の保護監察官から、主席矯正管理官などを歴任しながら、
暴力や犯罪と食の関係を、栄養学的、医学的、かつ統計学的見地から
科学的に考察し、実績を上げている人です。
         (参考文献)
            『栄養と犯罪行動』  A・Gシャウス著 ブレーン出版
            『シュガーブルース』 ウイリアム・ダフティ 日貿出版社


彼によると、アメリカでは、暴力犯罪の50パーセント以上が、
その犯罪のすぐ前にアルコールを飲んでいた
と言う統計調査があります。
アルコールが、一時的に人格を変えることがあるのは衆知の事実なので、
異論はないと思います。

次に、低血糖症が暴力を始めとした行動障害を起こすと言う統計的、
臨床的データや、研究報告は、山のようにあります。
その原因物質として標的に上がったのが白砂糖でした。

白砂糖は、ブドウ糖と果糖が合成された2糖類ですが、
その中のブドウ糖が代謝にインシュリンホルモンを必要とし、
白砂糖の大量摂取の繰り返しが、インシュリンの過剰分泌を招き、
低血糖症に至る
というものです。

● 果糖はインシュリンがなくても代謝できて、
  高血糖症にも低血糖症にもならない糖で、すい臓に負担をかけません。
  まほろばでは、テンサイ糖由来の果糖を主体に
  2糖類(蔗糖=オーガニックブラウンシュガー)、
  オリゴ糖類、多糖類(クマザサ粉)、高分子多糖類(羅漢果)等を
  人体生理に合わせて0−1テストでバランスよく配合した
  ひふみ(一、二、三)糖をオリジナルに作っています。
  0−1テストで、砂糖は白いからいけないのではなく、
  砂糖の大量摂取によるブドウ糖過多がいけないのだと、
  早くから気づいていたためです)

多くの研究によると、犯罪者の80〜85パーセントは、低血糖症で、
コーラやソーダ、などの清涼飲料水や、缶コーヒー、アイスクリーム、
キャンディーなどを大量に、異常に食べている人たちでした。
(アル中患者についてのある研究では、
97パーセントが低血糖症だったという報告があります)

ここまで異常ではなくても、お腹が空くと(血糖値が下がると)
怒りっぽくなったり、イライラしたりする人はいるものです。

さらに、糖の代謝にはビタミンB1が必要で、
大量のブドウ糖をエネルギー源としている脳にとって、
B1不足は致命的で、脳の基底部分(小脳、延髄、橋梁)に
機能障害を来たし、興奮性、攻撃性、衝動をコントロールできない、
批判を処理できない、記憶障害、集中力欠如
などを
起こしやすいとされています。

カフェインも大量にB1を消耗するので、コーヒーなど大量にとると、
精神不安定になり、犯罪者も多いという報告があります。

また、アル中患者にはB1不足の人が多いとのこと。

● 果糖はインシュリンは必要としませんが、B1は必要なので、
  ひふみ糖といえども大量に取りすぎるのはよくありません。
  ただし、筋肉が糖をエネルギーに変えるときは、B1を必要としないので、
  スポーツ選手や肉体労働者は、
  大量に糖分を取ってもB1不足にはならないようです。
  頭脳労働者や、あまり動かない人は、
  糖分を取りすぎるとB1不足になるので要注意です。

ペルーのクオラ・インディアン社会について研究したラルフ・ボルトン博士は、
クオラの大多数の人間は、殺人、強姦、放火,喧嘩、盗みなど、
あらゆる種類の犯罪行動を行っており、人口が1000を超える村では、
世帯主の50パーセント以上が、直接、あるいは間接に
殺人にかかわっていたと言う報告をしています。

血糖を調べてみると、クオラの男性の50パーセント以上が臨床的に低血糖でした。
そして、彼らの食事は、たんぱく質が非常に低く、
炭水化物が極度に高いもの
でした。
(炭水化物は何千と言うブドウ糖が鎖のように繋がって出来ています)

ハリス博士は、高たんぱく、低炭水化物食が正常で安定した血糖を維持し、
低血糖を統制することを発見し、
アメリカ医学協会からメダルを贈られました。

しかし、低たんぱく、高炭水化物食だけでは、
人はそれほど極端な高血糖や、低血糖にはなりません。
たんぱく質が非常に低いところへ、コーラや、アルコールが入ると、
低血糖になってしまい、常習化するのです
特に菜食者や低蛋白者は、糖や、カフェインや、アルコールの害を受けやすく、
うつや、被害妄想、精神不安定にもなりやすいようです。
また、いわゆる霊障も受け易いようです。
(0−1テストによる実験と考察)

クオラの人たちも、砂糖やカフェインや、安価なアルコールが
入ってくるまでは、平和な民だったのかも知れません。

その他、銅、鉛、カドミウム、水銀、リン酸塩添加物、などの神経毒の過多も、
攻撃性や多動などの行動障害を起こすことも知られています。

これらの事は、砂糖、カフェイン、アルコールの取り過ぎや、食品添加物、
農薬、大気汚染、水質汚染、ファーストフードなど、
現代文明のもたらした、負の側面であり、
これらの生理的基礎の上に、生活習慣や、電磁波の問題、テレビなどの
マスコミや、学校教育の問題、さらに、家庭的、社会的な複雑な要因も
絡み合って反社会的、攻撃的、暴力的問題は発生するように思います。

従って、「肉を食べると攻撃的な考え方と行動を生み出すことがある」や
「菜食であれば攻撃的にはならない」
と言う風に単純には決め付けられないのではないかと考えます。

食養家、桜沢如一氏の最終目的は、世界平和でした。
先生は
『食』と言う物を安全・安心や健康を実現するためだけに限らず、
人の運命や、人格、その生き方や思想、さらには、国の運命を左右し、
国際平和までも実現する
ものとして、大統一理論を構築された方でした。

それは、
『濁ったり、穢れたりした血液が病を生み、悪想念や争いを生む』
言うもので『食を正す』ことが人生の第一義とされました。

食は、自らを修め、家族や社会、世界とより良い絆を築く生理的基礎であり、
手段であり、智慧でもありました。

それは東洋哲学を基礎とした弁証法的世界観・宇宙観に裏付けられた、
壮大なスケールの中にも確固とした骨組みを持つもの
でした。

先生の世界観は、あらゆる相対立するものの統一であり、
価値観を異にする東洋と西洋の包括的融合であり、平和でした。
従って先生は、本質論的には二元的一元論者であり、
一元的二元論者でした。

しかし、余りにも物事を、陰、陽に分類し過ぎてしまい、
1=2であり、2=1であり、陰陽は、バランスを取ることによって1になる、
と言う本質的視点が希薄になってしまいました。

先生自身の思想の中心軸は、一度もブレたことはありませんが、
現実面で動物性食品を否定されるという自己矛盾が起きたのだと思います。

真生活を8〜9年続ければ、後は何を食べても何をしても自由人と言われながら、
実際には、玄米菜食の枠から大きく外れることは出来ませんでした。

それは、
1、治病食と平常食を明確に区別出来なかった事。

2、一般の動物性食品と安全なエサを食べ、自然に育てられた
  動物性食品を明確に区別出来なかった事。

3、陰陽のバランスが大切なのに、陽性を重んじたこと。
にあると思います。

しかし、その事で先生の評価が下がることはありません。
食』というものを、あらゆる物事の、
そして、世界観、宇宙観の生理的基礎として、
これほどまでに深く掘り下げ、また、これほどまでに、
高く広く価値付けてくれた人はありません。

私の最も尊敬する生涯の恩師です。

ただ、先駆者として、多少応用面で不完全であったかもしれないと、
私が思っているだけなのです。
大きな枠組みと、その精神は微動だにするものではありません。


以上、また思いつくままに長々しく書いてしまいました。
今回はマクロビオテイックを学ばれた方でなければ、分かりにくいかなと、
思うことも書いてしまったので、関係のない方はとばしてお読み下さい。

ありがとうございました。
引き続きどんな質問・反論もお受けいたします。
ご遠慮なくお寄せ下さい。

2009年06月23日

●波紋音「CHAOS/混沌」セッション

波紋音 混沌 1.jpg

20日(土)に、地下洞「無限心庵」で開かれた「波紋音」ミニライブ。
生音が、このように豊かで、繊細で、ダイナミックな表情を持つものかと、
改めて知り、CDでは全く聞き取れない音外音にその夜は酔い痴れた。

場の空気、人の感性、その流れ、その動きを捉える。
永田さんの確かな技量と耳と直感が感応して自在に手が応じる。
連打するクラスター(音群)で、倍音が立ち昇る。
即興のようで、楽曲のようで、しかもその跡を遺さない。

一通りの演奏と説明をされた後、みんなでジャムセッション。
シンキングボールやチベタンベル(ガンターやティンシャ)と、
笙、そしてカルグラの声。
その混沌たる無為の音。
皆素人が、準備なく無心に奏でた協演のまた饗宴。
これほど味わい深い音楽もない。

最後に、生粋の江戸っ子という永田さんの語りは、
極めてハッキリという傍ら、何気なくボソボソと独り言を吐く。
その取り合わせと間合いが落語のようで、
何とも可笑しさが募り、魅力的でもあった。
その存在自体、音楽なのだろう。


(波紋音『CHAOS/混沌』セッションinまほろば『無限心庵』)

2009年06月22日

●早川オーガニックメロン入荷!

早川さん 市場 09.6.22 2.jpg

今朝、新篠津の早川さんのオーガニックメロンが出荷された。
全国からの引き合いが多く、6月一杯で出荷ピークは過ぎ、
7月からは個人のお中元送りに入り、余り出せないと言う。
拡がるのは喜ばしいが、その煽りでこちらが減少するのは残念。

今、全国的に有機農家は微減しているとか。
思ったより数が伸びていないらしい。
国内産の米も大豆も、意外と売れ行きが芳しくなく、
未だ外国産に圧倒されて改善されていない状況。

有機農業推進法が良いように作用せず、
自給率アップの運動化で、とにかく作物を増やそうが優先されて、
安全・安心は後回しにされていると言うことだ。

有機は段階的工程で上って行けば良く、
自給率はとにかく切羽詰った日本の課題、死活問題だ。
両者、相乗効果よろしく、支え合いながら伸びて行くのが理想だろう。

ともあれ、有機メロン贈りの申し込みは、
前倒しで一日でも早くお願いいたします。
八月お盆には、入荷の見込みはありません。

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix200807.htm
(農場報告「早川仁史農場」を訪ねて)

早川さん 市場 09.6.22.jpg