統一体としての水
ゼロから出発した私には、パラマグネティズムやゼロウオーターの知識があろうはずもなかった。また、世に問われる水の特異性や一機能性を水に求めていたわけでもなかった。最も始源的で全一的な水のイメージだけがあり、物と心が融合した未分化な「生命の水」を求めていた。
……水にとって、人が水をいかに清め汚し、捨て貯めようが、泰然としてその本質は変わらない。地球創生40億年前に発生した13・5立方kmの水量は未だ変わらないという。正に、仏説に説く不増不減・不垢不浄の世界なのだ。
男女の精血も元はといえば水である。人の誕生は水の再生である。地球は水の惑星といわれるが、そこに棲まう人間そのものが水であり、宇宙ではなかろうか。陰陽五行でも無から一気が動き万物生成の回転が始まる。その一気、北一に位置する水気こそ易数の兆、生命の源と東洋の智者は直感した。人は羊水より生れ、生物は海水より来たる。母なる水は万物の家郷なのだ。…………