すべてを清める水
さわさわと音を立てて流れゆく清らかな川の水を眺めていると、ふと、『水にはものを清める力があるのだ』という言葉が脳裏に浮かびました。たしかに、私たちは日常の多くの場面で水の浄化力に助けられながら生活しています。衣服や食器を洗ったり、お風呂で体を洗ったり本来は洗剤を使わなくても汚れを落とすことができる力を水は備えているのです。きっと、水は私たちの体の中まで清めてくれているのではないでしょうか。
そんな物理的な洗浄力ばかりではありません。心地よい水音を聞いているだけで、私たちは日常の喧騒を忘れ、安らかな気持ちになります。水は人の心をも癒し、清めるのです。それは単に安らぐといったレベルではなく、何か私たちのより深いルーツ、自然そのものへの回帰ともいえるような、そんな捉えどころのない感覚で人に癒しをもたらすのではないでしょうか。水には私たちが頭で考えている以上に多次元的なレベルまで清める力があるのです。それは、私たち人類が今一番の問題として突き当たっている心の問題、なかなか変えることのできない人間の強い思い込みや想念、古い価値観まで清めてくれる可能性が水にはあるということなのです。
しかし、残念なことに現代では、そんな力を水に期待できなくなってしまいました。水道水は言うまでもありませんが、世界的な環境汚染のために、清浄なはずの山から湧き出る天然水でさえ、今では安全とはいえない状況になっています。それでは星の数ほどある浄水器はどうでしょうか。浄水器のフィルターを通すことによって、確かに有害物質を取り除くことは可能です。しかしそれだけでは、“何か”が足りないのです。その“何か”とはいったい何なのでしょうか。それは、近年波動という言葉で語られたり、また生命力、あるいは氣のようなもの、現代科学の数値では捉えきれないが、しかし、確かに私たち人間の深い感性のみが捉えることの出来る、水に関するある重要なファクターなのです。 「エリクサー」を開発した「まほろば」の宮下氏が求めていたものは、まさにそんなものだったのではないでしょうか。それは、単なる波動水というレベルを超え、地球創生から備わる、すべての生命を生み育んだ“水の本質的な力”を、現代に甦らせることだったのです。そして、「人を清めることが世界を清めることである」という信念のもと、「エリクサー」の開発は始まったのです。
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