「売茶翁」と菓子
2月 25th, 2014 at 16:27
昨夜、帯広の大竹さんが、ひょこり来店された。
ありがたくも、お土産に和菓子を戴いた。
細い箱に「みち乃くせん遍以」と書かれたお茶請けであった。
和三盆の甘み、薄焼きの品のいい煎餅で、このあと抹茶で、
互いに引き立てる存在なき存在に感心した次第。
聞くところによると、この『売茶翁・ばいさおう』なる店、
仙台で「知る人ぞ、知る」銘菓の老舗とかや。
今朝いらした李朝高麗好みの千田さんに、
これをお出しすると大感激で、まことに数寄人であった。
さらに、驚かされたこと一つ。
それは、電話がないこと!!!
注文も出来ず、ましてやインターネットなど・・・・・、
店に出向かい、そこで要るだけ買わねばならない。
茶会用菓子の事前予約も出来ない、という徹底振り。
このご時世、眼の覚めるような話に、
ある爽快感を感じたのも確か。
客に媚びず、自分の本分を尽くして商いを貫く。
それがこのIT時代に通用している、と言うことが、
わが身を省みて、恥ずかしい。
(伊藤若冲 画)
店名「売茶翁」。
あの京都万福寺で修行し、俗を去って、俗に入り、
煎茶を売って、世俗を清めること、中国の済公禅師に似る。
「喫茶店」のはしりである。
『仏弟子の世に居るや、その命の正邪は心に在り。
事跡には在らず。
そも、袈裟の仏徳を誇って、
世人の喜捨を煩わせるのは、
私の持する志とは異なっているのだ!』
何事も、形式を嫌い、
仏典や僧衣をかなぐり捨てての直説法。
抹茶の形式さえ厭い、日常茶を喫する着眼。
そんな市中の活きた説法こそ大事とする。
「売茶翁」こそ、活きた道のような気がする。