「アシリ・レラ」さんからのたより
3月 4th, 2014 at 13:20「誰のためでもない。
自分のため、子どもたちのためにも
地球をきれいにして
カムイにかえしてあげないとね。
アイヌ・ネノアン・アイヌ
(人間らしい、人間)でありますように。
アイヌとは人間という意味です」
アシリ・レラ(山道康子)
二風谷のアシリ・レラさんから、時々会報を戴きます。
その中で、胸の痛む心にかかる記事がありましたのでお読みください。
「関東大震災90年」
淺川 熙信 七施精舎主催・戒蔵寺福住職
今から50年以上も前の。私が子供のときのことです。
周囲の大人たちが、県内ので多くの朝鮮人が殺された話をしていたのをかすかに記憶しています。
「フテーセンジン」という言葉も覚えています。「不逞鮮人」ということでしょう。
多数の朝鮮人がなぶり殺しにされたという話でした。
完全な記憶ではありませんし、当時、それらの意味を理解していたとは思えません。
ただ。子供心に、あのとき、そこに集まっていた大人たちの何とも形容し難い雰囲気をよく覚えています。
やがて私は高校で倫理社会を教えるようになりますが、
勤務校の隣の藤岡市で虐殺事件があったことを初めて知り、自らの不明を恥じたのです。
1923年(大正12)9月1日、午前11時58分、マグニチュード8弱の大地震が関東方面を襲いました。
激震と、時間的に昼食の準備をしていた家族が多かったため、大火災が発生しました。
東京、横浜を中心に、死者、行方不明は10万人とも14万人とも言われています。
この震災が特筆されるのは、震災後、悲惨な事件が各地で起こったことです。
それが他の震災と大きく異なる点だと言われています。
世情騒乱の中で、朝鮮人が「井戸に毒を投げ込む」「放火して廻っている」「婦女子を暴行している」などの
デマゴーグが流され、世間はそれに踊らされ、朝鮮人などを暴行、虐殺したと言われます。
この蛮行は、実際に手を下した在郷軍人会、青年会、消防組などを中核として
組織された自警団と一般大衆の手によって行われた凶行でした。
ただ、このことに関しては諸説が存在することを私は承知しています。
この蛮行の根底にあったのは、実は朝鮮人に対する恐怖心だったと指摘されています。
では、その恐怖心は何から生まれたのでしょうか。
私は、韓国併合の影響は大きいと思います。
そのひとつは後ろめたさです。
加えて朝鮮人への蔑視、偏見、搾取がありました。
そうだとすれば、国民性でもある差別指向を考えないわけにはゆきません。
被差別部落を作ってきた歴史もあります。
ほかにも偏見と差別に関することは今でも山のようにあるでしょう。
関東大震災の直後、群馬県では9月5日から6日にかけて、
身の危険を察知した隣県の朝鮮人が周囲の人々の斡旋で警察署に保護を願い出て、
留置場にかくまわれています。
それを知った数千人とも言われる近隣住民が警察に押しかけて、
周囲を取り囲み、朝鮮人の引渡しを求めたのです。
警察までもが恐れをなして逃亡してしまい、署内な無法地帯と化し、
隠れていた朝鮮人17名が撲殺されました。
これは「藤岡事件」といって、実際にあったことです。。
私はこれを90年前の過去のこととして、片付けるわけにはゆかないと思います。
形を変えた「藤岡事件」が今後も起こるのではないかと思うからです。
一人ひとりが善良な市民でも、何かのきっかけで排除の行動に出る可能性は考えられるのです。
想定外の場面に遭遇したとき、あるいは追い詰められたとき、
ふたたび「藤岡事件」のようなことが形を変えて起こる、そのようなことがあってはなりません。
関東大震災から90年。
私たちの社会はどう変わったのか、そう成長したのか、見つめ直す必要があると思います。
なお「藤岡事件」の犠牲者はその後、警察署に隣接していた成道寺に埋葬され、
今も毎年、歴代住職や有志によって慰霊の法要が営まれていうことも付け加えておきたいと思います。
合掌