ダラスからのおたより
12月 18th, 2014 at 17:28アメリカ・ダラスで、治療院を営んでおられる高松文三さんから、
連載『東洋医学の観方』二篇が送られて来ました。
いずれも興味深い内容で溜飲が下がる思い。
「大インフルエンザ」では、
医学には再現性がない、つまり科学にはなりえない。
科学は1+1=2でなければならないが、
人間では0になったり、3になったりする。
1892年、ペッテンコーファーがコッホとの論争に終止符を付けるため、
コッホが培養した大量のコレラ菌を飲んだ。
しかし、罹患しなかった。
コレラ菌こそ、コレラの病因だと主張したコッホ。
もっと複合的な原因であると反論したペッテンコーファー。
まほろばは、両論を止揚する。
単純系と複雑系が絡み合って、それぞれ多様な症状や状況を呈する。
それが自然であり、人間ではなかろうか。
「心主脳従」では、
「脳を使え、使われるな」という。
心が、つまり意識が脳を生み出している。
「脳を使う」コツは「意識的に生きる」ことだという。
動物は、本能的「無意識」に生きる。
「意識的であればあるほど、現実を変える力がある」とする。
鬱なども、その反対は幸福という観念を抱くことではなく、
元気だ、として体を動かすことが最大の治療法だ。
人間が体験する現象は、
人間のの神経系(脳)が映し出している幻影(夢)のようなもの。
「知って欲しいものは、この世には色もなく、音もなく、
形もなく、感触もなく、美もなく、匂いもないということである」
すべては脳によって、
「存在すると思わされている」ことである。
アインシュタインは、
「最も不思議なことは、宇宙が存在するということではない。
その存在を認識できる人間の意識である」
シュレデンガーは、仏陀のように、言う。
『究極的には、宇宙に存在するのは唯一の意識だけである』
Posted by mahoroba,
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