まほろばblog

『僕を支えた母の言葉』

12月 29th, 2014 at 12:21

昨日、登別のアイ企画・野崎秀夫さんから、年末のお手紙を戴きました。

以前から、ご紹介戴いている梅原司平さんのことは存じ上げているのですが、

時のご縁でしょうか、彼の唄に動かされ、それと野崎さんが同封してくださった

ある方の「おかあさん」への想いの綴りが重なって、

皆さまにお知らせしたくなりました。

また韓国の後藤翁も「母の会」を立ち上げましたので、次回お知らせいたします。

まずは、野崎さんの許可を得て、文章と共に、動画も添付します。

 

宮下社長!

沖田 真琴 @野崎秀夫です。先日はありがとうございました。

このCD是非お聞きください。お願いします。(以下は私の顧客にお知らせした内容です)

拝啓

18日(木)午後2時から90分、NHKラジオ第一に、シンガーソングライターの梅原司平さんがゲスト出演されました。

しかし、今回の爆弾低気圧で、肝心なところが北海道のラジオでは聞けませんでした。

ところが・・

偶然ある方から依頼を受けてパソコンで録音していたので、聞き直して感動しております。 

もし、聞きたい方が居られましたら、CDに焼いてお届けいたします。

OB3A4966[1]

梅原司平

 

内容は、NHKのブログから引用してご紹介します。

 

『売れない歌手でよかった』

キャリア40年以上、“アラ古希”とは思えない艶やかな

声と見事なギターテクニックをスタジオで御披露ください

ました。でも、何より、歌詞に込められている司平さんの

思いの深さが、パーソナリティ陣の胸にストレートに刺さ

ってきて、“みちや”の目に 涙・・・きっとラジオでお聞

きになっていた皆さんの胸にも届いたことと思います。

 

昭和20年の富山大空襲のとき、お母さんのお腹の中に

いた司平さん。自宅は全焼、疎開先の物置小屋で生まれ、

お母さんや兄弟から空襲のときの様子を繰り返し聞かされながら、

大きくなりました。

 

30歳で故郷を離れ、歌手としてデビューするも、なかなかメジャーになれません。全国各地でオリジナルコンサートをしながら、フォークソングの原点である“ラブ&ピース”をテーマにした歌を作りたいとずっと思っていたそうです。そして、被爆者の方と知り合い、平和の歌を作ることになったとき、子どものころ から聞かされてきた富山大空襲と改めて向き合って、今も歌い継がれる『折り鶴』が生まれました。

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今日、もう一曲歌っていただいたのは、東日本大震災の被災地、福島県楢葉町との交流の中で作られた『望郷』。司平さんの歌は、弱い人、苦しみにある人たちのそばで生まれ、癒しと励ましを与えています。

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番組でもご紹介いただきましたが、司平さんのファンの方たちは、コンサートのあとに書くアンケートの内容が濃いんです!学校コンサートでの小学生の率直な 感想にも驚かされましたが、多くの人が、ご自分の人生や生き方を司平さんの歌に重ね、明日へ、未来へ生きる力にしていることがわかります。そして、その1 枚1枚を大切にしている司平さん。

売れたほうが、多くの人に歌を聴いてもらえるからもちろん良いのだけれど、でも、ご著書のタイトル『売れない歌手でよかった』ではありませんが、こうして人々の思いを近くで感じて、くみ上げることのできることを幸せに思っている司平さんでした。

引用おわり

 

ラジオ深夜便に登場してから11年余り。久々に90分のラジオ番組に登場されました。

彼の一途な営みに感謝して、この一年を終えることを幸せに感じております。

皆様のご健康をお祈り申し上げます。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/pulana/

 

 

『僕を支えた母の言葉』

僕が3歳のとき父が亡くなり

その後は母が女手ひとつで僕を育ててくれた

仕事から帰ってきた母は 疲れた顔も見せずに

晩ごはんをつくり 晩ごはんを食べた後は内職をした

毎晩遅くまでやっていた

母が頑張ってくれていることはよくわかっていた

だけど僕には不満もいっぱいあった

僕が学校から帰ってきても家には誰もいない

夜は夜で母は遅くまで内職

そんなに働いているのにわが家は裕福じゃなかった

遊園地にも連れて行ってもらえない

ゲームセンターで遊ぶだけの小遣いももらえない

テレビが壊れた時も半年間 

買ってもらえなかった

僕はいつしか母にきつく当たるようになった

「おい」とか 「うるせー」とか なまいきな言葉を吐いた

「ばばあ」と 呼んだこともあった

それでも母はこんな僕のために頑張って働いてくれた

そして僕にはいつもやさしかった

小学校6年のときはじめて運動会にきてくれた

運動神経が鈍い僕はかけっこでビリだった

悔しかった

家に帰って母はこう言った

「かけっこの順番なんて気にしなくていい

おまえは素晴らしいんだから

だけど僕の悔しさはちっともおさまらなかった

僕は学校の勉強も苦手だった

成績も最悪 自分でも劣等感を感じていた

だけど母はテストの点や通知表を見るたび、やっぱりこう言った

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

僕にはなんの説得力も感じられなかった

母に食ってかかったこともあった

「何が素晴らしいんだよ!?どうせ俺はダメな人間だよ」

それでも母は自信満々の笑顔で言った

「いつかわかる時が来るよ

おまえは素晴らしいんだから

僕は中学2年生になったころから 仲間たちとタバコを吸うようになった

万引きもした 他の学校の生徒とケンカもした

母は何度も学校や警察に呼び出された いつも頭を下げて

「ご迷惑をかけて申し訳ありません」 と 

あやまっていた

ある日のこと 僕は校内でちょっとした事件を起こした

母は仕事を抜けて学校にやって来て いつものようにあやまった

教頭先生が言った

「お子さんがこんなに”悪い子”になったのは

ご家庭にも原因があるのではないでしょうか」

その瞬間 母の表情が変わった

母は明らかに怒った眼で教頭先生をにらみつけ

きっぱりと言った「この子は悪い子ではありません」

その迫力に驚いた教頭先生は言葉を失った

母は続けた

「この子のやったことは間違っています

親の私にも責任があります

ですがこの子は悪い子ではありません」

僕は思いきりビンタをくらったような そんな衝撃を受けた

僕はわいてくる涙を抑えるのに必死だった

母はこんな僕のことを

本当に素晴らしい人間だと 思っていれくれていたんだ・・・

あとで隠れてひとりで泣いた

翌日から僕はタバコをやめた

万引きもやめた 仲間たちからも抜けた

その後 中学校を卒業した僕は高校に入ったが

肌が合わなくて中退した

そして仕事に就いた

そのときも母はこう言ってくれた

「大丈夫 お前は素晴らしいんだから」

僕は心に誓った

「これから僕が頑張って お母さんに楽をしてもらうぞ」

だけどなかなか仕事を 覚えられなくてよく怒鳴られた

「何度同じ事を言わせるんだ!」 「すこしは頭を働かせろ!」

「おまえはほんとうにダメなやつだな!」

怒鳴られるたびに落ち込んだけど

そんなとき 僕の心には母の声が聞こえてきた

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

この言葉を何度もかみしめた

そうすると 元気がわいてきた 勇気もわいてきた

「いつかきっと 僕自身の素晴らしさを証明して お母さんに見せたい」

そう考えると僕はどこまでも頑張れた

仕事を始めて半年くらい経ったときのことだ

仕事を終えて帰ろうとしていたら 社長がとんできて言った

「お母さんが事故にあわれたそうだ すぐに病院に行きなさい」

病院に着いたとき 母の顔には白い布がかかっていた

僕はわけがわからなくて 何度も 「おかあさん!」

と叫びながら ただただ 泣き続けた

僕のために 身を粉にして働いてくれた母

縫いものの内職をしているときの 母の丸くなった背中を思い出した

母は何を楽しみにして 頑張ってくれてたんだろう?

これから親孝行できると思っていたのに

これから楽させてあげられると思っていたのに

葬式のあとで親戚から聞いた

母が実の母でなかったことを

実母は僕を産んだときに亡くなったらしい

母はそのことを いつか僕に言うつもりだったんだろう

もしそうなったら僕はこう伝えたかった

「血はつながっていなくても お母さんは僕のお母さんだよ」

あれから月日が流れ僕は35歳になった

今あらためて母にメッセージを送りたい

お母さん 僕とは血がつながっていなかったんだね

そんな僕のためにお母さんは 昼も夜も働いてくれたね

そして お母さんはいつも言ってくれた

「おまえは素晴らしいんだから」 って

その言葉が どんなに僕を救ってくれたか

どんなに僕を支えてくれたか

あれから僕なりに成長し     

今は結婚して子どももいるよ

規模は小さいけど会社の社長になって

社員たちと楽しくやっているよ      

まだまだ未熟な僕だけど 僕なりに成長してきたと思う

その成長した姿をお母さんに見せたかったよ

「おまえは素晴らしい」 って言ってくれたお母さん

その言葉は間違っていなかった っていう証拠を見せたかった

そしてそれを見せられないことが 残念でならなかった

だけど最近気づいたんだ     

お母さんは最初から 僕の素晴らしさを見てくれてたんだよね

証拠なんてなくても 心の目でちゃんと見てくれてたんだよね

だって、 お母さんが 「おまえは素晴らしいんだから」

って言うときは まったく迷いがなかったから

お母さんの顔は確信に満ちていたから 僕も今 

社員たちと接していて

ついついその社員の悪いところばかりに 目が行ってしまうことがある

ついつい怒鳴ってしまうこともある

だけどお母さんの言葉を思い出して 心の目で

その社員の素晴らしさを 見直すようにしているんだ

そして心を込めて言うようにしている

「きみは素晴らしい」 って

おかげで社員たちともいい関係を築け 楽しく仕事をしているよ

これもお母さんのおかげです

お母さん 血はつながっていなくても

僕の本当のお母さん

ありがとう

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