「93歳現役画家の流儀」
12月 7th, 2011 at 12:32
堀 文子 (日本画家)
『致知』2012年1月号
特集「生涯修業」より
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【記者:堀さんの絵が世間で評価され始めたのはいつ頃からですか】
評価されたかは知りませんが、女子美術専門学校を出てからまもなく、
出品した絵が賞を受けて騒がれた時期もありました。
その時に、自分が若い女だから騒ぐので、
こんな言葉に乗っていたら大変だ。
ある時期を過ぎたら誰も振り向かなくなる
という自覚がありました。
大抵は若い時ちやほやされて、ダメにされるんです。
自分を堕落させるのもよくするのも自分なんだ、
と考えていますから。
誰かにすがっていたら、その人の言うなりじゃないですか。
人それぞれ姿形が違うように、運命も皆違うのですから、
誰もしないことを開拓しなければダメだと思っています。
ですから安全な道はなるべく通らない。
不安な道や未知の道を通っていくとか、獣道を選ぶとか。
大通りはつまらないと思っている人間で、
それがいまでも続いています。
そういう性質ですから、画家としては
食べることができませんので、
絵本を描いたりして生業を繋いできた。
ただ、それもやってるうちにちやほやされて、
児童の教育委員会などに出されることになってきました。
だから「これはいけない」と思って絵本の仕事はやめました。
そうやって、どこへ行ってもちやほやされないように、
上手にその道を避けて生きてきたわけです。
【記者:絵の腕はどのようにして磨いてこられたのですか?】
磨いてなんかいません。それはいい絵を描きたいですが、
いい絵を描こうといってできるものじゃない。
感覚というものは努力したってダメなんです。
絵は他の人から学ぶことはできない。
ただ、自分のだらしなさが直に現れます。
ですから自分がいつも未知の谷に飛び込むこと。
不安の中に身を投げていなければダメだと思っております。
いつも不安の中に身を置いて、
昨日をぶち壊していくということです。
ですから学ぶよりも「壊す」というのが私のやり方です。
そして、過ぎたことを忘れることです。
きょう出品したものはお葬式が済んだ後ですから、
もう一度はやれません。やれば悪くなるに決まっています。
人は「もう一度あの絵を描いてください」と言いますが、
慣れると確かにうまく見えますが、それはコピーです。
描いた本人には気が抜けていて、
魂が入っていないのが分かる。
同じ感動は繰り返せないということです。
もしかしたら私の中に、
まだ芽を吹かないものがあるかもしれない、
ひょっとしたら、まだ思いがけないものが潜んでやしないかと、
いまだにそんなことを考えています。
そのためにはいつも自分を空っぽにしておかないと
新しい水は入ってこないんです。
私に勉強の仕方があるとすれば、
いつも自分を空っぽにしておくということです。