「一指に霊性が宿れり」
1月 24th, 2016 at 18:44
とある夕方、スタッフに呼ばれてレジに行くと、そこに貴婦人が立たれていた。
何でも、京都の友人が、ここの水が素晴らしいから汲みに行きなさいと、薦められたとか。
聞くと、本店に近い山の手在住の佐々木規伃さん、長唄などの大鼓のお師匠様でいらした。
その冴えた音味は、上の創作「薫風のしらべ」(堅田喜千城)に十二分に響き渡っている。
あの著名な人間国宝「堅田喜三久」師に久しく師事されて、
十代から始められて既に六十有余年にもなられるとか。
下の動画、堅田師の太鼓と語りの飄逸さは、又となく格別で趣がある。
私も、少なからず邦楽には興味があり、話は盛り上がり、時の経つのを忘れるほどだった。
その中でも、ことのほか興味がそそられたのが、次のお話であった。
ある日、お坊様にお会いしたそうな。
そこで、日頃悩んでいることを打ち明けたと言う。
「どうしたら、自分の音をつかめるのでしょうか」
「すべてのものに、音がある。一切が、鳴っている」
そこでハタと気付き、狭い自己が破られ、豁然と悟ったという。
歓びが全身を巡り、笑いが内から出でて、それが3日ほど止まなかったという。
この境地を、音曲仲間の一人に伝えようと懇切に話すが、
チンプンカンプンで、全く理解しがたく徒労であった。
鼓に、あたかも穴が開いていて、そこに指が触れるだけの感覚で音が鳴り出した。
「名人は、みな脱力よ」と事も無げにおっしゃる。
それは道元禅師の「心身脱落、脱落心身」の境涯、
只管打座(しかんだざ)、ひたすら座り続けると、自ずから心身が抜け落ちる。
仏道のみならず、芸道でも然り、道は一つなのだ。
私は、以前に、
「一つの音を聞き続けて悟らなければ、ワシの首を獲ってもイイぞ!」
と、説く高名な禅僧の書物の一行を読んだことがあった。
尺八の究極は「即音成仏」。
一音を吹いて仏に成る、というからスサマジイ。
空海も「梵音声字」を説いて真言宗を開いた。
「ナーダ・ブラウマ」という印度哲学の言葉がある。
つまり「宇宙は、音である」と。
ある時、この佐々木女史、関西の整体師に就いて、体のことを習った際、
「頭の松果体と足の湧泉を意識的に繋ぐと心身が即整う」と教えられた。
それが、即理解出来て、体から何らかの不調が立ち処に消えたと言う。
ついでに、0-リングテストを教示されたが、これも瞬時にコツを掴んだ。
ほぼ一生の間、指先に全神経・全精神を集中して太鼓を打ち続けて来られた。
そして、「その指に霊性が宿った」のだ。
『一芸に通ずる者、万芸に通ずる』。
正に、かくの如し。
かく在野にも、人知れず真人が隠れていたとは!!!