明治維新志士の書
4月 20th, 2016 at 14:34
先日、家内と所用で中央の公官庁に出かけた。
すぐ近くのビルに「書に探る鼓動の幕末維新展」の展示会の掲示があった。
(古典の中に前衛ともいえる創意に溢れる「副島密」の横額)
面白いとばかり、立ち寄ると、あいにく休館日。
横のドアを押すと、中で書道教室と展示室が連なっていた。
「どうぞ、お入りください。今日は休館日なので、お金がとれません。
でも、ご覧ください」と、ご親切に、ご案内戴いた。
その方が、主催者で書家の小原道城氏であった。
あの明治維新に生きた志士たち25名の43点が一堂に並ぶ。
勝海舟、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などなどの名筆が、
この北海道にあるとは、驚きである。
(伊藤博文の信書)
当時の志士というより、一般の若者の教養の高さは、その筆致に伺えるだろう。
ことに、事を成したこの博文は、甲論乙駁、色々言われるが、それ以前に、
人間としての格というか、学識や胆力や体験の深さが並ではない。
この境に至れずして、なかなか物言いはできない気迫を感じた。
惑いのない、迷いのない、筆致の址に、命がけの日常が伺える。
この富岡鉄斎の軸。
万巻の書、万里の旅をせよ、といった鉄斎の内に蔵する学識は半端ではない。
無尽蔵の知恵蔵から溢れ出る、画と文は百年を超えても色あせない。
京都の維新の激動の地にて活躍し、それを実写した鉄斎は、
晩年益々冴えわたった、というから面白い。
それは若年の豊穣なる蓄えがあったからだ。
若きうちに、学びたまえ!と。
贋作が多いとされる西郷隆盛の豪快な書。
山岡鉄舟にも似る筆使い。
豪壮の気風に、惑いのない終始。
当時、漢文の素養をみな一応に身に着けて背骨バックボーンを形成した。
戦後、その教育を失し、海月なす漂える国となってしまった。
今一度、行きて戻らぬ気概を学ぶべきである。
榎本武揚の晩年の書である。
隣に、若書きの書があるが、明らかに目覚ましい境地となっている。
若き日は、月並みの志士のそれであるが、
老齢になって一つ一つ味わい深い文字が互いに呼応している。
若くして、函館五稜郭にて惨敗し、その後救われて明治政府の高官に。
その波乱万丈の人生の裏表が、見事に浮き出ている。
小原館長も激賞している傑作の逸品である。
なかなか味わい深い。
門外漢の家内と談笑する小原館長。
全く筆も持たぬ彼女であるが故に、ズケズケと物言う。
本質をいうので、先生も話に乗り、色々教えてくださった。
学生の頃から、書の博物館設立の夢を以て、
何と個人の所蔵が4000点にまで及ぶという。
これが北海道でなされているというから驚異的な事業である。
独りの志、国を動かす。
まさに、志士に通じる小原先生の大志である。