「目をつむれば精神は花園に遊ぶことができる」
12月 17th, 2011 at 8:27 (財団法人 国際全人医療研究所理事長)
『致知』2011年11月号
特集「人生は心一つの置きどころ」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick3
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今回(東日本大震災)のような文明を
引っくり返すような大きなストレスに対し、
悲観的な捉え方をする専門家もいます。
けれども日本人は第二次大戦を経験し、
広島・長崎の被爆を経験し、
その中から立ち上がっていったわけでしょう。
だから僕はそれほど悲観的になる必要もないし、
人間はそんなに柔なものじゃない、
強かなものだと思っているんです。
それが我々のように実存分析を学ぼうとする人間の
最も根底にある考え方です。
要するに楽観主義の精神ですね。
フランクル先生ご自身の生き様もそうでして、
彼がアウシュビッツ収容所で家族全員を殺され、
いつガス室に行けと言われるかもしれない中を
生き抜けたのは、基本的に楽観主義者だったということ。
逆に悲観的な人は死んでいったということでしょう。
例えば何月何日に米軍が救出に来るという噂が流れる。
皆いよいよ助かるかもしれないと心がざわめく。
ところがその日が来ても何も起こらなかった時、
ガクッときてバタバタと人が死んでいった。
ところがフランクル先生はそんな期待はしていません。
例えばこんなエピソードがあります。
彼が収容所の中で何かミスをやった。
それを見ていたナチスの将校が
彼の頬を思い切りぶん殴ったんです。
その拍子に眼鏡が吹っ飛んで地面に落ち、
レンズが割れてしまった。
その割れた眼鏡を拾い上げながら彼は思った。
「もしここを出られて収容所体験を本にできたら、
この割れた眼鏡を表紙にしよう」と。
だから彼の初版本の表紙には、
その割れた眼鏡の絵が使われているんですよ。
とにかくそのくらいに彼は楽観的で強かだった。
またアウシュビッツでチフスに罹った先生は高熱を発しました。
本人は医者だから自分の予後が分かる。
今夜もし寝てしまったら、
私は明日の朝、死体になっているだろう、と。
だから自分の足をつねりながら、
眠らないようにしていたというんです。
一方、頭の中では何を考えていたかというと、
自分は米軍に救出されてウィーンへ帰る。
そして『一精神医学者の収容所体験』という本を書き上げ、
それが世界的なベストセラーになって
カーネギーホールに呼ばれると考えた。
そのホールを埋め尽くす聴衆を前に講演を終わり、
大喝采を受けている自分の姿を想像していたというんです(笑)。
今夜死ぬかもしれないという、その最中にですよ。
(中略)
たとえいかなる極限状況に置かれても、
人間の心は自由だと。
目をつむれば精神は花園に遊ぶことができると
フランクルは述べていますが、そのとおりですよね。
確かに妄想かもしれませんが、最後の瞬間まで諦めず
希望にしがみつくことが大事だと思うんです。