「切り干し大根」に生まれ変わり
11月 13th, 2020 at 3:45思い余って、大橋社長が、石狩に切り干し大根の工場を探してくれた。
そこでは、空洞大根でもカットしないままのそのままの方が、加工しやすいとのコメント。
これは、実にありがたい!!
スタッフの高田さんと、空洞をスッパスッパとカットする度に、
その周りを、惜しげもなく畑に捨てるのを忍びなく思って捨てる。
「勿体ないなー」
昔気質(かたぎ)の81歳だから尚更である。
その切り残しを齧(かじ)っては、
「こんなに旨いのにナー」
と嘆く。同じ気持ちなのだ。
しかし、前を見ると途方もない大根の海に、捨てて捨てて進まねば進まないのだ。
そんな中、今日、切り干し大根の見本が届いた。
早速口にして、その甘いことあまいこと。
ビックリ!
まるで、砂糖菓子を食べているよう!!
ホロリと口の中で解(ほど)け、ホロホロと舌の上で溶ける。
咄嗟に、利休翁の閃(ひらめ)きを覚えた。
和菓子の見立てとして、充分使える滋味あり、景色あり、喉越し後の余韻あり。
武将なら、「これは、でかした!」。好事家(こうずか)なら、「これは、お見事!」。左党でさえ、「これは、絶品!」
と翁の無作の作に唸(うな)っただろう。
匠の極み、贅の極みより、名も無き一農夫の大根干しの素朴を、翁ならより好むだろう。
大名物の支那の天目茶碗より、朝鮮の飯(めし)茶碗や変哲なき黒楽茶碗を好んだように。
確かに、これを口にしての一服は、何と言ってか、何とも味わい深い。
今までにない茶との取り合わせに、新境地が開けた思いだ。
そんな茶聖の斬新な発想と思い切りの良さが次代を切り拓く切っ掛けだったのだろう。
ミサの儀式を濃茶に映した大胆さの素材は、何時の世、何処の場でもそこいらに転がっているのだから。
この土曜日に、援農の方々と店のスタッフと一気呵成に畑の大根を総攫(そうざら)える。
今年もまたもや、抜かぬまま畑に捨て置くのか、と半ば落胆していたから、
本当に物のイノチを、根こそぎ救えて、これほど嬉しいことはない。
切り干し大根に生まれ変わって、皆さんのイノチの芯を支えて欲しい。
そんな折、郷土史家の大橋しのぶさんから大根のことで、
お電話がかかって来て、メールを戴いた。
「今日は母娘共にお電話にてお話しできて嬉しかったです。
仁木農場から届いた大根と鶏肉と人参で煮物を作ってみました。
大根おろしもつくりました。
宮下ご夫妻のご努力の賜物ですね。
切り干し大根も楽しみにしています♪
大橋しのぶ
※写真は近所の遊行寺と大根料理です。」
遠い神奈川でもかように喜んで頂き、穴大根も果報者です。
あれほど落胆したことが、何であったか。
落ち込みが深いほど、皆さんに助けられ、天に拾われた思いで感謝するばかり。
ありがとうございました。
今朝は、昨日降り積もった雪が、朝日に照らされて溶け、畑がキラキラ光っていた。
時間に余裕がなかった最後に、我が家の大根を抜き、洗い、干すこと50本ばかり。
峻烈で勢い有る井戸水で洗う。
ひげの無い、息を飲むほど真っ白な肌えが現れ、京美人を彷彿とさせた。
「なるほど!大原の京野菜、『鞍馬(くらま)』か」
大の漬物好きの私は、食卓に出れば出るだけ、あればあるだけバリバリと食べ尽くしてしまう。
それは昔、菓子など充分無かった頃、お客様のお茶請けに、氷に浸かった丼一杯の漬物を出す年代に育ったからだろう。
兎に角、眼がない。
だが、塩分過多が心配だ、すぐ怒りっぽくなるから(笑)。
無施肥の畑の中ごろが、比較的干し大根用に大きさが揃い、しかも案外空洞がないのには、驚いた。
こんなのを皆様にご提供したかったが。
来年、また頑張ろうかなとも、思った。
今年は、大根騒動の学びの後先(あとさき)でした。