まほろばblog

 「第二の人生の指針をくれた妻の手紙」

1月 16th, 2012 at 11:25

       
 日野原 重明 

 (聖路加国際病院理事長、名誉院長)
        
  『致知』2012年2月号
            特集「一途一心」より
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 私は一九七〇年、五十八歳の時に
 よど号ハイジャック事件の現場に居合わせました。

 よく晴れた朝の七時頃、富士山の真上を飛んでいると、
 日本刀を抜いた若者たちが座席から立ち上がり、その一人が
 
 
 「我われ日本赤軍はこの飛行機をハイジャックし、
 北朝鮮の平壌を目指して直行することを命ずる」
 

  と叫んだんです。
 
 私も含め、百二十二人の乗客と客室乗務員は
 全員麻縄で手を縛られました。
 
 機長は機転を利かせて
 「北朝鮮に行くにはガソリンが足りないから」と嘘を言い、
 いったん福岡に降りて給油することになりました。
 そこで子供や老人たちは解放されました。

 北朝鮮へ向かう途中、赤軍の若者たちは
 「機内に本をいくつか持ち込んでいるから、
   読みたい者は手を挙げよ」
 と言って本のタイトルを読み上げていきました。
 
 赤軍の機関誌、金日成や親鸞の伝記、
 伊東静雄の詩集などが挙がり、
 最後にドストエスフキーの『カラマーゾフの兄弟』がありました。
 しかし乗客は誰一人として手を挙げようとしない。

 そんな中、私一人だけが
 「『カラマーゾフの兄弟』を貸してください」
 と手を挙げた。すると文庫本五冊を膝の上に
 置いてくれましてね。
 
 あぁ、これを読んでおれば、何か月抑留されても、
 心が支えられると思いました。

 開いてみると冒頭に『聖書』の教えの一節が出ていました。
 
 
 「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、
  死なば多くの実を結ぶべし」
  
  (ヨハネによる福音書十二章二十四節)。

 私もここで一粒の麦となって死んでしまうかもしれない。
 けれども私のこれからの振る舞いが、
 後に続く人たちに何かの結果を及ぼすかもしれない――。
 そういう気持ちを持って心を静かにし、
 皆のためにできるだけのことをやろうと考えたんです。

 私たち乗客は事件から四日目に全員無事、
 韓国の金浦(きんぽ)空港で解放されることになりました。
 
 靴底で大地を踏んでその土の音を聞いた時
 「無事、地上に生還した」と感じました。
 
 そして「あぁ、これからの私の人生は与えられたものだ」
 と思いました。

 帰国すると、千人を超える皆さんから
 お見舞いやお花が届いていました。
 
 私たち夫婦は皆さんに感謝の意を表し、
 礼状を出すことにしたのですが、
 妻は私の文章の後に続き、こんな言葉を添えました。

「いつの日か、いづこの場所かで、
 どなたかにこのうけました大きな
 お恵みの一部でもお返し出来ればと願っております」

 妻は無口で出しゃばらず、いつも控えめな女性でしたが、
 この言葉は私を驚かせ、妻に尊敬の念を覚えさせました。
  
 そしてこの言葉が私の第二の人生の指針となりました。

 その後しばらくして、マルティン・ブーバーという
 哲学者の本を読んでいた時に

 「人は創(はじ)めることさえ忘れなければ、
  いつまでも若い」
  
 という言葉に出合いました。
 そうだ、いままでやったことのないことをやってみようと。

 その四年後、私はライフ・プランニングセンターを創設して
 予防医学の重要性などを訴え、
 八十九歳の時に「新老人の会」を立ち上げ、
 七十五歳以上の新しい生き方を提唱してきました。
 
 その会に掲げた
 
 
 「愛し愛されること、創めること、耐えること」
 
 
 という三つのモットーは、それまでの私の人生体験を
 踏まえてつくられたものなんですね。
 
 つまりああいう事件に遭遇したことが、
 私に本当の生きる意味というものを教えてくれたんです。
 

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