「誇り高き消防団」
9月 22nd, 2011 at 11:33津波が近づくなか、
宮城県南三陸町防災対策庁舎2階にとどまり、
防災無線を通じて町民に避難を呼びかけた
遠藤未希さん一享年24一の語は涙を誘った。
ただ、遠藤さんと交代して最後の最後まで
避難を呼びかけた上司がいたことはあまり知られていない。
同町危機管理課課長補佐の三浦毅さん(享年51)。
「10mの津波が来ます。皆さん、逃げてください!」
それが、母のすゑ子さん(75歳)が
最後に聞いた息子の声だった。
「未希さんの懸命の声が途中で息子に代わり、
3度目の呼びかけの途中で
『ガガガッ』という雑音でかき消されました。
息子の声は呼びかけというより叫びに近かった。
あまりのショックで記憶が暖味ですが、
夫が『流された……。家族を守って流された……と言ったことだけ憶えています」
町民からは「毅さんの声を聞いて助かった。地域の英雄だ」
という感謝の声が多く寄せられた。
「それは、親として誇りに思います。
でも一方で、なんで逃げてくれなかったのか、
という無念が消えなくて……。
夫は常々、津波が来たらとにかく逃げろと息子に説いていました。
『誰も悪くねえ。逃げられなかったのが悪い。親の言うこときかねえで』
と憎まれ口を叩いて、私が泣いていると
『まだ泣いてんのか』と怒るけど……。
心の中では夫も泣いています」
わが子を失うという最大の悲しみを多くの人が味わった。
なかでも全校生徒の約7割の命が奪われた、
宮城県石巻市立大川小学校の悲劇は広く知られる。
震災後、東北各地では自衛隊に先がけて地元の消防団が救助と遺体捜索に当たった。
大川地区を担当する石巻市河北消防団第4分団の団員の多くは、
わが子を失った痛みに堪えながら活動した。
紫桃千聖ちゃん(当時5年生)の父親・紫桃隆洋一47歳)さんもそのひとりだ。
「娘は早い段階で遺体が上がりました。見つけてくれたのは地域の方。
団員のなかには自分の子を見つけた人もいます。
私だけでなく、自分の子が上がっても皆が捜索を続けました。
ここらには『子供は地域の子』という意識が残っているんです。
東北のあらゆる土地で、消防団員が必死に頑張った。
私は個人としてではなく、誇り高い消防団の一員として、
そのことを伝えておきたいと思います」
(週間現代8月20,27日号)