『人生をひらく秘訣 ― 渋沢栄一と人間学』
9月 23rd, 2011 at 11:30(『致知』編集発行人)
「利に放りて行えば怨み多し」 ―という言葉が『論語』(里仁第四)にあります。
利益本位で物事を行ってゆくと、人の怨みを買うことが多い、という意味です。
サブプライムローンによる経済破綻は、
2500年前の孔子の忠告を無視した人間の業の現れといえます。
我が国の実業界の先達たちは一様に、
そのことを熟知していたが故に浮利を追うことをきつく戒めています。
論語と算盤の両方を大事にした渋沢栄一もその一人です。
その渋沢の『論語と算盤』をやさしく解説した
『渋沢栄一「論語と算盤」が教える人生繁栄の道』(渡部昇一著)がいま
八重洲ブツクセンターで3週間連続のベストテン入りを果たしています。
この本は渋沢流の人生をひらく秘訣を説いた本といえます。
渋沢はこの本の中で、
「高尚な人格をもって得た富や地位でなければ、完全な成功とはいわない」
と言い切っています。そして、
「人格を修養する方法は仏教もキリスト教もあるが、
自分は儒教に接してきたので、忠信孝悌の道を重んずることが
大いに権威ある人格養成法であると信じている」
と語っています。
忠信孝悌は『論語』が重んじた人としての徳目です。
忠とは、中する心、即ち何事にもまごころを尽くす、
全力をつくすという一ことです。
この忠が人に向かった時に、恕(おもいやり)になります。
信は信頼、信用です。
信がなければ、あらゆるものが成立しない。
孝は親孝行をすること。
孝は人格の基礎を創る。即ち、運命を創る基となるものです。
さらにいえば、孝は親子のみならず、新と旧、上と下が連続統一することです。
二者の断絶するところに、生命の発展はありません。
悌は目上の人に従順であること。
この4つの徳目の実践、修得にこそ、人生はひらく―
渋沢が体験から得た哲学です。
話は転じます。
先日乗ったタクシーの運転手さん。
その方の本職は葬儀屋でひまな時にタクシーに乗るそうですが、
こんな話をしてくれました。
「本業のお客さんの話ですが、その男性は1年前、
母親が亡くなった時に父親から1億円の遺産をもらった。
1年たち今度は父親が亡くなったわけですが、
お金がないから火葬だけにしてくれたらいいという。
両親が汗水たらして貯めて息子に残してくれた遺産を
僅か1年もたたないうちに使い切ってしまった。
若い人ではない。50前後の人です。哀れなものですね」
この事実は何を教えているのでしょうか。
お金というものは、それにふさわしい人格の人が持たなければ、
その価値を生かし切れないということだと思います。
古来より『論語』と並び、人格向上に志す人の読むべき本といわれた
『大学』は全篇これ、人生をひらく教えに満ちていますが、その一節に、
「徳は本なり。財は末なり」
と書かれています。
財は大事です。人間にとって宝です。しかし、その大事な宝も
「本末」からいえば「末」であって、「本」は徳だというのです。
その通りです。
徳がなけれぱ、巨万の富を得ても空しく使い果たすに終わります。
まず、徳を身につける、それを「修身」といいます。
自らの身を修めていない人に人生はひらかない。
『大学』の教えの真髄です。
では、どうしたら身を修めることができるのか。
そのポイントを『大学』はこう指摘しています。
「忠信以て之を得、騎泰以て之を失う」
この意味は『致知』本誌ですでにしていますので省略しますが、
『大学』の中でも白眉の一文です。
出典は忘れましたが、これと似たような言葉があります。
厳己以成、騎己以敗
別に説明はいらないと思いますが、己を甘やかせず、
厳しく律していくことで物事は成功する。
しかし、騎慢になり、つつしみ、謙譲さを失うと、
必ず足を掬われ人生に敗れる―ということです。
科学的技術はめざましい進歩をとげていますが、
人間の本質は2,3千年前も今もそう変わらない。
私たちが人間学を学ぶ所以もそこにあります。
(二〇〇九年六月一日配信)