「“現場”はコストではなく、バリューである」
2月 1st, 2012 at 10:58
遠藤 功 (早稲田大学ビジネススクール教授、
ローランド・ベルガー会長)
『致知』2012年2月号
特集「一途一心」より
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私たちの周りにはたくさんの「現場」がある。
飲食店やコンビニ、スーパーなどの店舗、ホテルや病院など、
日常何気なく接しているところが、
企業の側からすると紛れもなく「現場」なのである。
この現場に内在する現場力こそが企業の実力であり、
現場力が強い企業ほど景気に関係なく成長・発展を遂げている。
ここで私が言っている現場力とは
「私たちは現場で一所懸命真面目に働いています」
というレベルの話ではない。
その定義は、欧米と比較するとより明確になるだろう。
欧米のマネジメントでは、現場は上から指示されたことさえやれば
それ以上は求められないし、下手をすると、
それ以上やるのはよくないこととされる。
日本企業は違う。
天然資源に恵まれない日本がここまで経済成長を遂げたのも、
現場の一人ひとりが自らの担当する仕事を
「もっとよくしよう」と自発的に知恵を出し、
改善・改良をしてきたからである。
それは製造業でもサービス業でもすべて同じであり、
現場の人材の質こそが日本の競争力のベースであった。
ところが最近、様相が変わってきた。
バブル崩壊以後、「失われた二十年」といわれるが、
何を失ったかといえば、現場力を失ったに他ならない。
なぜ現場力が失われたのか。
それは一言でいえば、現場を
「コスト」として考えるようになってしまったのである。
現場を単純にコストと捉えれば、
正社員ではなく非正規社員を増やすほうが安上がりだし、
外に出せる業務はアウトソーシングしたほうがいい。
そういう流れの中に、アメリカ的な管理思想も入り、
コンプライアンスを含め、企業の管理強化がなされた。
「現場が自発的に動いて、企業責任を問われるような
失敗をされたら困る」
というわけだ。
そうして正社員が減った代わりにパート、アルバイトを雇い、
「マニュアルどおりにやってくれればいい」と考える。
九〇年代以降、こういう企業が増えたのである。
もともと日本は現場をコストセンターではなく
「バリューセンター」と位置づけてきた。
企業の価値を生み出すのは役員や本社ではなく、現場である。
であるならば、少しくらいコストが高くても、
それを上回る価値を生み出せばいいのだ。
その昔、日本は「資本主義」ではなく「人本主義」といわれた。
企業活動の中心には常に人があり、
人の能力を最大限に活かすことが日本経営の大きな特徴であった。
だからこそ懸命に社員教育を行ったし、終身雇用を約束した。
それに応えるように、現場の社員は会社にコミットし、
「自分の会社」として必死に働いたのである。
いつ首を切られるか分からないという状況で、
使命感や責任感をもって会社にコミットする人が生まれるだろうか。
人材はコストではなく、バリューである。
この原点に戻ることが、現場力を高めるための第一歩である。