夭折の俳人・住宅顕信
2月 13th, 2012 at 19:191961年生まれ、満25歳の87年に死去した住宅顕信(すみたくけんしん)。
死後、句集「未完成」が刊行された夭折の俳人だった。
中卒後、調理師学校、市役所に勤務、そして22歳で出家得度。
結婚後、白血病で入院して離婚。その後、句作に励み、自由律の俳句は、
かつての山頭火や放哉を思い出す。
その短くも、儚い年月に、書き刻んだ句々。
「気の抜けたサイダーが僕の人生」
「水滴のひとつひとつが笑っている顔だ」
「春風の重い扉だ」
「地をはっても生きていたいみのむし」
「捨てられた人形が見せたからくり」
「若さとはこんな淋しい春なのか」
「合掌するその手が蚊をうつ」
「点滴と白い月とがぶらさがっている夜」
「レントゲンに淋しい胸のうちのぞかれた」
「かあちゃんが言えて母のない子よ」
「抱きあげてやれない子の高さに坐る」
「鬼とは私のことか豆がまかれる」
「夜が淋しくて誰かが笑いはじめた」
「ずぶぬれて犬ころ」
「洗面器の中のゆがんだ顔すくいあげる」
「何もないポケットに手がある」
新聞で、初めて知った顕信だが、
若くして、何気ない言葉に、意味を吹き込めたのは、
やはり、苦悩の淵を歩んだからであろうが・・・・。
救い難い若さが、生き続けて、
やがて諦念の言葉がどう紡ぎ出されるか、
見届けたかったのも、一方にある。
Posted by mahoroba,
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