「意志は技術を凌駕する」
2月 19th, 2012 at 12:24 『致知』2011年12月号「致知随想」
※肩書きは『致知』掲載当時のものです
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一九八八年から二〇〇七年までの十九年間、
私は傭兵としてアフガニスタン、ビルマ、ボスニアなど、
世界各地の最前線で戦闘に携わってきました。
傭兵とは、正規軍兵士と違い、その国の国籍を持たない、
雇われた外国人兵士をいいます。
日本ではあまり馴染みのない傭兵という道を
私が選んだ理由はただ一つ。
「自分以外の誰かのため、何かのために
命を懸ける強い男になりたい」
という一心からでした。
そう思い立ったのは小学校低学年の頃。
子供向けの戦記物や特攻隊に関する本を読み、
国を守るために命を捧げた軍人たちの姿に
純粋な憧れを抱いたのです。
守るべきものを守り抜く人間になりたい。
子供心にそう感じた私は、この時、
将来は絶対軍人になると心に誓いました。
高校を卒業した後、私は航空自衛隊のパイロットを
養成する航空学生に運よく合格し、航空自衛隊に入隊。
しかし、訓練中に背中を怪我してしまい、
除隊せざるを得ませんでした。
このまま日本にいても、幼い頃から憧れていた
自分以外の誰かのため、何かのために戦う
人間にはなれないと感じ、それならば
日本の枠にこだわる必要はない、
海外へ行って傭兵になろうと決意しました。
ちょうどその頃、ある写真週刊誌に
アフガニスタン紛争に参加した
日本人の記事が掲載されていたのです。
それを見た時、私は「あぁこれだ」と思い、
すぐさま連絡を取ろうと試みました。
なんとか人づてに紹介してもらい、
その人の事務所に足を運んだのですが、
私が何を言っても「やめたほうがいい」の一点張り。
結局、相手にされず、追い返されてしまいました。
しかし、絶対に傭兵になると腹の底から決めていた私は、
パスポートとビザ、パキスタン行きのチケットを手に、
出発の前日、再び事務所へ向かいました。
「どうにもならないかもしれないけど、
とにかく向こうに行って、自分で道を探してみます」
私が決意のほどを伝えると、
「ここの事務所にもお前みたいなやつが何人か来たことがある。
でも話を聞きに来るだけで実際に行った奴は一人もいない。
だから俺は最初、お前を追い返した。
だが、お前はパスポートもビザもチケットも持ってきた。
お前は百万人に一人の人間かもしれない」
そう言って、現地の事務所に向けた紹介状を書いてくれました。
そして二十四歳の時、安定した将来も、お金も、
何もかも捨てて、私は身一つで海外へ飛び出しました。
一九八八年、当時ソ連の侵攻を受けていたアフガニスタンに
単身で乗り込み、ソ連軍との戦闘に参加。
一九九〇年代には、ビルマ(現・ミャンマー)軍事政権から
独立を目指すカレン族の解放軍に加わりました。
最前線は、まさに死と隣り合わせです。
アフガニスタンにいた時は、ソ連軍の戦闘ヘリコプターに襲撃され、
打ち込まれたロケットがすぐ近くで炸裂。
その破片が背中に突き刺さり、負傷しました。
あと二、三秒逃げ遅れていたら、直撃して死んでいたかもしれません。
またある時は、倉庫のような建物の窓から
敵を銃撃していたのですが、その建物に迫撃砲が着弾。
すぐ隣の窓にいた仲間二人が死んでしまいました。
私は瓦礫の下敷きになっただけで済んだのですが、
もしポジションが逆だった場合、
その砲弾は私に当たっていたわけです。
最前線を生き延びるかどうかは確率の問題です。
どんなに経験や訓練を積んでも
死ぬ確率をゼロにすることはできません。
しかし、最後に生死を分けるのは人間の意志だと思います。
これは私が十九年間、最前線を生きてきた中で得た実感です。
その中で一つの判断にしていたのが遺書です。
遺書を書いた仲間たちは不思議なほどに死んでいきました。
絶対に生き残ろうと思えば遺書を書こうとはしないはずです。
遺書を書くということは、心やイメージが死ぬほうへ
向かってしまっているということでしょう。
負傷した時も同様です。
例えば、地雷は運が悪くても
膝から下が飛ばされる程度の威力なのですが、
中にはそれだけでショック死してしまう人間がいる。
「俺は絶対に死なない。絶対に生き残る」
と強く思っている人間は、やはり死にづらいのです。
最前線を戦う兵士は人殺しの訓練を
十分に受けたプロフェッショナル。
仮に技術が互角だとしたら、そこで勝敗を決するのは心です。
相手を圧倒する気迫がなければ、生き残ることはできません。
私が大切にしている信条の一つに
「意志は技術を凌駕する」
という言葉があります。
最前線だけでなく、人生のあらゆる戦いの場で最も重要なのは、
その人間の意志なのです。
何かをやろうとする時、まず為すべきことは
技術を磨くことではなく、自分の意志を固めることだと思います。
それはつまり、捨てる覚悟を持つということです。
私は傭兵になるためにすべてを捨てました。
あれもやりたい、これもやりたいなどと欲張っていては、
結局どれも中途半端に終わってしまうだけなのです。
私たちに与えられた命は一つ。
その命は使ってこそ意味があると思います。
傭兵を引退して日本に帰ってきたいま、
これからの人生は祖国日本のために
自分の命を精いっぱい尽くしていきたいと思っています。
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私見 まほろば主人
最近、韓国映画「ロードナンバーワン」を観ているが、
私が生れた1950年に興った、あの朝鮮動乱、
南鮮の北進の凄まじい戦闘状況を描いているのだが、
主人公が死地にあっても失敗せず、不思議と生き残るのは、
何故か?と問われた時、平壌に待つ恋人に只管会いたい一心で
闘っている、との一言が、こうも運を開くのか、と思ったものだ。
そこに、高部氏の命がけの生き方の中に、同一のものを感じた。
それは、意志であり、志なのだろう。
成功するには、
「何をしたいか」
「何になりたいか」
という強烈な思い入れが必要だと、言っている。