「小林秀雄先生への質問」
4月 3rd, 2012 at 9:15この占部さんと同じ経験が私にもある。
高校2,3年の頃、札幌に、小林秀雄さんが講演にいらした。
ちょっとほろ酔い気分で、話し始めたのが、確か「私の人生論」ではなかったか。
その老成した風格に、若かった私も魅了させるものがあったのだろう。
その後、手紙を差し上げた覚えがあるが、自分の人生において、
物事の観方を教えてくれた恩師であることには変わりない。
こういう先師が無くなったこの頃は寂しいともいえる。
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『致知』2012年5月号
連載「語り継ぎたい美しい日本人の物語」より
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筆者が初めて小林秀雄さんの謦咳に接したのは、
昭和48年11月8日のことでした。
文藝春秋社主催の文化講演会が宮崎県延岡市で開かれることとなり、
講師として中村光夫や水上勉、那須良輔の三氏とともに
小林さんがやって来るという情報を友人が仕入れてきたのです。
ちょうど大学3年の時です。
演題は「文藝雑感」というありふれたものでしたが、
舞台の袖から小林さんが現れると、
文字通り釘づけになってしまいました。
一番前列の真ん中の席に座っていた筆者には
小林さんの眼が印象深く残っています。
人生の一切を見尽くした達人の眼差しとは
こういうものかと感じ入ったものです。
講演の中身はこの頃連載中の本居宣長を中心としたもので、
岡潔の学問や梅原龍三郎、中川一政などの芸の妙味にも言及。
1時間は瞬く間に過ぎました。
講演が終了したのは夜の九時過ぎ、
筆者は講演担当者に小林さんの宿泊先を密かに聞き出し、
現地で落ち合った友人を誘ってホテルに向かうことにしたのです。
小林さんに何としても伺いたいことがあったからです。
ホテルに着いてみると小林さん一行は戻ってはいません。
何でも延岡名物の鮎を肴に一杯やっているのだそうです。
1時間半程待った頃でした。
玄関前に数台の車が横付けされ、
名士の一群がどっと入ってきました。
小柄ながら風格のある小林さんは一目で分かります。
よし、今しかない、そう思うや中に割って入り、
小林さんの行く手を遮ったのです。
周囲は何事かと立ち止まりました。
まごまごしてはいられない。
蛮勇を奮い起こしてこう切り出したのです。
「先生、非礼であることは承知の上ですが、
どうしても質問したいことがあって、
お待ちしておりました」
と。
一蹴されると思いきや、小林さんは筆者の顔をじっと見つめられる。
そして、「いいえ、構いませんよ。何でしょうか」と応じられたのです。
疲れているから御免蒙るよと言われて当然にも拘わらず、
相手をして下さった。これが筆者の生涯を決めた瞬間でした。
質問の趣旨はこうでした。
「先生は、歴史を知るとは
自己を知ることだとおっしゃっていますね。
この意味が今一つ分からないのです。
どうして自己を知ることになるのでしょうか」