寺田さん逝く
4月 19th, 2012 at 18:35昨朝、宮嶋さんから「寺田さんが亡くなられた」との訃報を頂いた。
「えっ、まさか!」信じ難い急報に、全国の知人に確かめたが、誰も知ってはいなかった。
だが、夕刻、寺田さんの近所の方から真相を伝えられた。
そして、22日通夜の日取りを聞かされ、初めて死の事実なるを悟った。
思えば、二人して講演するはずだった31日の前夜、電話した時、入院するとの決断された時だった。
3月のこうさきのお祭りに風邪を引いてこじらせたらしい。
ここ何年かの寺田さんの働きぶりは、発酵ブームと相まって、本人の意思では
止められないほどの勢いが加わって、無理に無理を重ねられたのだろう。
笑顔をいつも絶やさずにおられたが、体力的には限界を遥かに超えていたに違いない。
うれしきも、たのしきも、周りにはそうであっても、気を配りながらの人への思いやりは、
やはり、体力を蝕むほど、過労に過労が追い討ちをかけた。
発酵というゆったりとした時間の推移を見守る蔵元主人の勤めは、
ただじっと毎日、樽のそばを通りすがれば、良いものだったはずだ。
そうはのんびりさせてくれなかった世間の発酵ブームの火付け役として、
東奔西走する日々を悔やまれてならない。
(最後の姿となったお祭りでの「バカ殿」に扮した寺田さん。彼らしい優しさと笑いに、
悲しみが伝わる。上記三点の写真は、いずれも国際自然医学社の山司記者の撮影)
今朝の道新に、「老少不定」「みな同じ年」と仙厓さんが云ったとのこと。
あの震災で、老若男女皆歳を違えて、あの世に旅立った。
寺田さんには、まだまだ働いて貰わねばならない歳で、
そんな意味では、みな同じ歳の感を否めない。
燎原の火のごとく、今「国菌」なる麹ブームで、
日本が変わる良き前兆と思っている。
日本は、微生物から変わる。
小さき世界から革命が起こる。
そんな小さき世界に目を向けてくれた寺田さんの功績は、
後代、語り継がれるであろう。
天上にて、日本をみそなわされて戴きますようご冥福と、
寺田本家の益々の繁栄を祈りたいと思います。