名盤「アンサンブル」 TaekoOnuki
8月 21st, 2012 at 12:41「旋律ではなくハーモニーピッチという考え方。
リズムではなくプルセーションという考え方。
新しいポリフォニーを試みる最初のデッサン」
これは、武満徹の「地平線のドーリア」のライナーノート。
これを聴いて読んだのが17歳のころだった。
秋山邦晴さんの解説には、こう書いてあった。
「つまり、旋律に代わるものとしての音色の動きによる要素。
リズムというよりは鼓動や脈拍と結びついたような展開の構造を試みた訳である。
ノン・ビブラートで奏される各音色の響きと
そこに打ち込まれるピチカートは、笙や鞨鼓を思わせる」
この試みが、武満トーンを決定付けるものだった。
立ち上がる笙の音群、時空を切り刻む鞨鼓。
音の流れ、天に向かう垂直志向は、
メロディは奏でる水平思考の西洋とは全く別世界のものだった。
(まほろば CD扱い)
10年くらい前だろうか、NHKFMのラジオで、
この「地平線のドーリア」を思わせる前奏が流れて、ハッとした。
その次に、これもノンビブラートの発声で唄が流れる。
題名は、「風花」。
無機的な無感情のような声質でありながら、
その底には、日本的ともいえるたゆとう叙情の河が流れていた。
その時、宮中歌会のような歌唱法、いわゆる記紀歌謡の古代の謡ぶりは、
実はこのような淡々としながら、深い情緒を湛えているのではなかろうか、
と、思い返したのだった。
その歌い手こそ、大貫妙子さんだった。
私にとって、全くの無名の新人で、この分野は甚だ不案内だったのだ。
しかも、その前奏曲は坂本龍一さんだった。
その辺りの前衛の書法については熟知し尽くしていることは記すまでもない。
大貫さんが言うには、この編曲を後日聴いて「いいじゃない、誰が書いたの?」
と、彼の中で自作の記憶が全く消えていたという。
私は演歌や民謡に代表されるようなユリとか、コブシの節回しが
いわゆる日本的情緒の主体と感じていたが、
そうでない一面があることに改めて気付かせて戴いた。
それはもう一つの潮流、催馬楽や雅楽の歌に代表される古代歌謡の世界である。
その意味で、大貫さんとの出会いは、私にとって大きな扉を開いてくれたのだ。
私としては、彼女の活動のほとんどを知らない。
だが、その一片を伺えた12年前のアルバム「アンサンブル」から戸口を開き、
次々と、フランスやスペインの懐かしくも古き良きヨーロッパのかぐわしき香りまで、
届けてくれる、実に心の籠った贅沢な逸品なのだ。
10年間、聞き続けて、飽きるどころか、益々惹き付けて止まない音曲は、
古典音楽好きの私にとっては、奇跡なのである。
そんな深淵を讃えている名曲揃いのアルバムである。
(そう断定するほど、その他は無知であることを、お許し頂きたい)
そして、その系譜が、一昨年発表した芸森で録音した「UTAU」である。
おそらく後代、語り継がれるであろう彼女の音楽シーンは、
古代を現代に甦らせた巫女ではなかろうか、と。