「最悪のことを最善のこととして生かす」
10月 4th, 2011 at 9:00 17歳で養父によって両腕を切断されるも、菩薩行に一身を捧げた尼僧・大石順教氏。
小児麻痺で両手が動かない障害を抱えながらも、大石尼との出会いを得て自らの道をひらいた大塚全教さんのお話をご紹介します。
大塚 全教 (無心庵 この花会)
『致知』2001年7月号
特集「涙を流す」より
※肩書きは掲載当時です。
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大石順教先生は毎朝必ず、口に筆をくわえて
二時間ほど絵をお描きになり、それは一年を通じて
一日もお休みになられませんでした。
先生が絵や書を描かれるための準備をする仕事をいただきました。
毎回、順教先生のおそばで墨をすり、
絵の具を溶き、紙を並べるのですが、
精神を統一されて、無心の境地で絵をお描きになるお姿は
まるで観音様でした。
順教先生は、よくこうおっしゃいました。
「真実の苦労は、人に話すことのできるものではない。
人にも話せず、死ぬこともできず、
前にも後ろにも進めない、じっとしているより他はない。
それが真実の苦労だ。
けれども、そんな苦労の中にあっても、
けっして物事を悪く思ってはならない。
その中からどうやって良いほうへ道を開いていくかで
その人の人生は決まるのだ」
そして毎日のように
「自分の一番悪いところを良くしていくように」
とおっしゃられました。
私であれば、体の不自由なことを最良のこととして
生かしていくということです。
最悪を最善にして生きられた方が
順教先生なんですね。
大石順教先生は、ご自分の腕を切り落とした
養父中川万次郎のお位牌をお祀りしておいででした。
恨んでも恨んでも余りある人のお位牌をお祀りし、
年忌ごとのご法要を済まされ、五十回忌の法要まで
全部済まされたんです。
人を恨む気持ちを、逆に良いほうへ転換された
先生のお心を拝まなければなりません。
最悪の状態の中の仏心、これが真実の仏心です。
この仏心によって先生のお命は平安を得て
生かされたのだと思えてなりません。
また、先生が日本画家のご主人と結婚され、
三児をもうけられたころは生活が苦しくて、
家賃を何か月も滞納し、一枚の着替えも持たず、
明日炊くお米もないという貧乏を味わったそうです。
ご主人が文展に入賞するまでの十数年間は、
寝る時間も惜しんで更紗帯の図柄を
口で描いて家計を支えたそうですが、
ご主人が世に出てようやく
その苦労も報われるかに思えたときに、
今度はご主人が他の女性に心を移されて、
結局離婚ということになりました。
そのときのご心痛は察して余りあるものがありますが、
そのつらい時期のことを先生はこうおっしゃられました。
「もし私に両手があれば、相手の女の人を恨み、
ののしり、口論の末に悲しい結末になったでしょう。
私に両手が無かったために耐えられたのです。
そして美しい別れができたのです」
両手が無いということを、
むしろ強さと考えていらしたんですね。
最悪のときに人をうらやむことなく、
それをむしろよい方面でとらえ、
自分の強さにしてしまう。
これが先生の生きる源だったのでしょう。
そして、先生はこれを実行してこられたんですね。