「京セラ創業期秘話 ~前篇~」
8月 29th, 2012 at 12:50稲盛 和夫 (京セラ・日本航空名誉会長)
『人生と経営』より
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創業して3年目(昭和36年)の5月、
会社は順調に発展していたが、私は自分の考えを
根底から覆されるような事件に遭遇した。
研究者として、自分の開発したファインセラミック技術を
世に問いたいということが、会社設立にあたっての
直接の動機であったが、そのような私の姿勢を
根本的に見直さなければならなくなったのである。
前年春に採用した高卒男子11人が、
血判まで捺した要求書を持って、
私に団交を申し入れてきた。
要求書には、定期昇給やボーナスの保証などの
要求が記さている。
彼らは、その要求書を私に突きつけて、
「会社が将来、どうなるのかわからず、不安でたまらない。
毎年の昇給とボーナスの保証をしてほしい。
もし、保証できなければ、
いつまでもこの会社に勤めるわけにはいかない」
と言う。
私には、とても彼らの要求をのむことはできなかった。
初年度から黒字を出すことができたとは言え、
会社はいまだ手探りの状態で、明日のことなど皆目わからない。
1年先の保証すら請け合えるものではなかった。
しかし、彼らは自分たちの要求が聞き入れられなければ、
全員が辞めると言う。
会社で話し合っても埒(らち)があかないので、
私はその頃住んでいた京都、嵯峨野の市営住宅に
場所を移して話し合いをつづけた。
「先々の給料やボーナスを保証しろというが、
今日どうやって飯を食おうかと日々悪戦苦闘しているのに、
そんなことができるわけがないじゃないか。
君たちを採用するとき、
『できたばかりの会社で、今は小さいが、
一緒に頑張って大きくしていこう』と言ったはずだ。
だから、なんとしても会社を立派にして、
将来みんなで喜びを分かち合えるような会社にしたいと考え、
このように毎日頑張って仕事をやっているのじゃないか」
私は、このように彼らに話し、懸命に説得を続けたが、
当時は社会主義的な思想が蔓延し、
労使の対立という枠組みの中でしか、
ものごとを見ない風潮があった。
そのため、経営者はいつも、そんなまやかしを言って、
労働者をだます。やはり、給与や賞与を
保証してもらわなければ安心して働けない」
と、夜が更けても頑として納得しない。
結局、3日3晩ぶっつづけで話し合うことになった。
3日目に私は覚悟を決めて言った。
「約束はできないが、私は必ず君たちのためになるように
全力を尽くすつもりだ。
この私の言葉を信じてやってみないか。
今会社を辞めるという勇気があるなら、
私を信じる勇気を持ってほしい。
私はこの会社を会派にするために命をかけて働く。
もし私が君たちを騙していたら、私は君たちに殺されてもいい」
ここまで言うと、私が命懸けで仕事をし、
本気で語りかけているのがようやくわかったのか、
彼らは要求を取り下げてくれた。
しかし、彼らと別れて一人になったとたん、
私は頭を抱え込んでいた。
(……明日へ続く)