まほろばblog

「『銀の匙』を使った伝説の授業」

10月 5th, 2011 at 12:04

       
       
            橋本 武 (灘中学・高校元教師)
        
            『致知』2011年11月号
             連載「生涯現役」より
       http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick8

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(記者:『銀の匙』一冊を教材にするというユニークな
      授業を始めようと思われたのはなぜですか?)
  
  
あの本はしばらく課題図書にしていたんですが、
自分が生徒だった頃を振り返ってみると、
先生に対する親しみはあっても
どんな教材でどんな授業だったか、
思い出そうとしても浮かんでこない。

自分が苦労して教えていることも、
卒業すれば皆消えてしまうんだなぁと思うと、
その空しさに耐えられなくなった。

何か、生涯頭に残るような教材で授業をしたい。

そう思った時に思い出したのが
『塙団右衛門直之』ですよ。
(※編集部注:橋本氏が小学生の時の担任教師は、
  授業中にこれらの講談本を読み聞かせていた)

一つの物語を取り扱えばいいんだと。

まさか講談本を教科書にはできないから、
何がいいかと思った時に浮かんだのが『銀の匙』でした。

これは夏目漱石の推奨を受け、長さも教材として扱いやすい。
それと、ひ弱な子供が立派な青年に育っていく過程が
描かれているから、生徒が作中人物と自分とを
重ね合わせて見ていくことができる。

ただし、一つの作品だけにこだわっていると知識が偏ります。
生徒の知識を広げるためにはどうすればいいか。

まず考えたのは、横道に逸れるということ、
これはもうはっきりと意識してやっていました。

例えば主人公が駄菓子を食べれば、買い集めて試食する。
凧揚げやカルタ取りも実際にやると。

それから授業は普通、教師が自分で教材を
調べていった結果を生徒に注入していくものです。

例えば
「ここの章には何も題がついていないが、
  つけるとすればこんなものがいいだろう」
というふうに教師が自分の考えを伝える。

でもそうではなく、自分が考えたことを
生徒にも考えさせたらいいと。

そうすれば、自分が作者になったようなつもりで
読むことができるでしょう。

言葉の意味でも、先生の言ったとおりに
書かなければならないことはない。

自分がその言葉をどう説明すればよいか、
思うように書きなさい。
書けなかったら、辞書を引いたり、人に聞いたりすればいい。

要するに「遊び」の感覚ですよ
人が遊んでるのを見ているだけじゃおもしろくない。
自分も一緒に仲間になって遊びに加わらせる。
だからこの前の講座でも遊ぶ感覚で学ぶ
ということをやったんです。

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