『教育勅語の真実』
10月 19th, 2012 at 8:35 世界から称賛される日本人の美質を育んだ
『教育勅語の真実』
伊藤 哲夫 著
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◆ 日本人を日本人たらしめた「教育勅語」
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今年7月30日で明治天皇が崩御されてから100年が経ちました。
その即位から始まり、
明治期は日本にとって、
まさに激動の時代だったといえます。
維新後、
開国とともに日本に流れ込んできた
西洋文明や自由民権思想によって
皇室や日本的な精神文化を軽視する向きが強くなりました。
知識人の間では鹿鳴館(ろくめいかん)で踊ることが
西洋的・近代的であるとされ、
中には日本語廃止論を唱える者まで現れたのです。
この価値観の混乱を憂えたのが明治天皇であり、
本書ではそのご下命を受けた
井上毅(こわし)がいかにして「教育勅語」を起草したのか、
彼の人生を通してそこに込めた思いが描かれています。
国を一つにまとめるには、
まず「日本の国のかたち」は何かを突き止めなければなりません。
『古事記』や『日本書紀』など
国学を中心とした古典研究に
猛烈に取り組んだ井上は、一つの気づきを得ました。
それは、「しらす」という
天皇の徳に基づく治世こそ日本の国体であり、
これを守ることが国民教育の土台であると考えたのです。
そこから草案を作成、
「天皇の師」といわれた元田永孚(もとだ・ながさね)に教えを請い、
約1か月に及んで何度も修正に次ぐ修正を重ねた結果、
明治23年10月23日、明治天皇の御名で「教育勅語」は発布されました。
それから長く国民教育の指針であったにもかかわらず、
昭和20年の敗戦を契機に日本社会から葬り去られた「教育勅語」。
現代日本の様ざまな事件や問題を鑑みると、
明治初期と同等かそれ以上の価値観の混乱は否めません。
そこに楔(くさび)を打つべく、
いま再び精神的支柱として「教育勅語」の復活を望む声もあります。
「教育勅語」起草の真実を知ることが、
日本の精神復興の第一歩に繋がるかもしれません。