「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」
10月 30th, 2012 at 8:42中村 久子
『致知』2012年11月号
特集「総リード」より
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その少女の足に突然の激痛が走ったのは3歳の冬である。
病院での診断は突発性脱疽。肉が焼け骨が腐る難病で、
切断しないと命が危ないという。
診断通りだった。
それから間もなく、少女の左手が5本の指をつけたまま、
手首からボロっともげ落ちた。
悲嘆の底で両親は手術を決意する。
少女は両腕を肘の関節から、両足を膝の関節から切り落とされた。
少女は達磨娘と言われるようになった。
少女7歳の時に父が死亡。
そして9歳になった頃、
それまで少女を舐めるように可愛がっていた母が一変する。
猛烈な訓練を始めるのだ。
手足のない少女に着物を与え、
「ほどいてみよ」
「鋏の使い方を考えよ」
「針に糸を通してみよ」。
できないとご飯を食べさせてもらえない。
少女は必死だった。
小刀を口にくわえて鉛筆を削る。
口で字を書く。
歯と唇を動かし肘から先がない腕に挟んだ針に糸を通す。
その糸を舌でクルッと回し玉結びにする。
文字通りの血が滲む努力。
それができるようになったのは12歳の終わり頃だった。
ある時、近所の幼友達に人形の着物を縫ってやった。
その着物は唾でベトベトだった。
それでも幼友達は大喜びだったが、
その母親は「汚い」と川に放り捨てた。
それを聞いた少女は、
「いつかは濡れていない着物を縫ってみせる」と奮い立った。
少女が濡れていない単衣一枚を仕立て上げたのは、15歳の時だった。
この一念が、その後の少女の人生を拓く基になったのである。
その人の名は中村久子。
後年、彼女はこう述べている。
「両手両足を切り落とされたこの体こそが、
人間としてどう生きるかを教えてくれた
最高最大の先生であった」
そしてこう断言する。
「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」