「我、いまだ木鶏たりえず」
10月 15th, 2011 at 8:31 白鵬 翔 (第69代横綱)
『致知』2011年11月号
特集「人生は心一つの置きどころ」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick1
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【大鵬】 白鵬の連勝記録がストップした時、
「我、いまだ木鶏たりえず」
という言葉が新聞に掲載されていましたが、
双葉山関はこの「木鶏」の話を
陽明学者の安岡正篤さんからお聞きして、
そういう無心の境地を目指されていました。
実は、双葉山関が相撲協会の時津風理事長となられていた時代、
直接ご本人から「木鶏」の話をお聞きしたことがあります。
【白鵬】 ご本人から。
【大鵬】 そう。「木鶏」というのは、『荘子』に出てくる話で、
ある王が闘鶏づくりの名人に自分の闘鶏を託した。
十日後、王は名人に「まだか」と問う。
すると、「カラ威張りしてダメです」と答える。
さらに十日後に尋ねると
「相手を見ると興奮します」。
再び十日後も
「敵を見下すところがあります」。
そして四十日後に
「もういいでしょう。いかなる敵が来ても動じません。
木彫りの鶏のようで徳力が充実しています」
と答えた。そういう逸話だと教えていただきました。
【白鵬】 私は双葉山関の本を妻から読んで聞かせてもらいながら
勉強していますが、七十連勝できなかった時、
「ワレイマダモッケイタリエズ」
と安岡さんに電報を打ったとありました。
この「我、いまだ木鶏たりえず」という言葉が、
すごく印象に残っています。
【大鵬】 木鶏のお話を理事長からお聞きした時、
この方はこういう境地を目指しながら
淡々と土俵を務めたのだと思って、
あまりの気高さ、理想の高さに
身震いがする思いがしました。