「私の人生を拓いたもの」
10月 16th, 2011 at 12:31『致知』2004年4月号より
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昭和三十八年八月、事務所に電話が入りました。
「大変です、爆発事故です!」。
私と兄は取る物も取りあえずに
現場の池袋のデパートに向かいました。
その日、デパートは定休日でした。
全館の消毒を依頼され作業をしていましたが、
昼休みに一服しようとマッチに火をつけた瞬間、
可燃性の殺虫剤に火が燃え移ったといいます。
隣では別の業者がシンナーを使って塗装しており、
そこに火の手が及び爆発。
デパートの七、八階が全焼し、
死亡者が出るほどの大事故となってしまいました。
翌日の新聞には「戦後最大の大火災」の文字が躍りました。
その前年、創業者である父が急逝。
社員十五名程度の小さな消毒会社でしたが、
二十二歳になったばかりの兄と私、
十代の弟が力を合わせて運営してきました。
それがまさかこんな事態になってしまうとは……。
死んでお詫びしようか、それとも刑務所で罪を償おうか。
いずれにしても、とにかく謝罪に行かなければなりません。
翌日、兄と二人でデパートのオーナーの元を訪ねました。
すると、
「起きてしまったことは仕方がない。
せっかくお父さんが残された会社なんだから、
二度と事故を起こさないように気をつけて頑張りなさい。
君たちはまだ若い。
世のため人のためになる仕事をしてほしい」
と、責めるどころか、私たちを励ましてくださったのです。
兄も私も溢れる大粒の涙を止めることができませんでした。
その後、消防署や警察で事情聴取を受けました。
そこで聞かれるのは、決まって
「危険物取扱主任者」の資格の有無。
恥ずかしながら、その時までそんな資格があることなど、
まったく知りませんでした。
他にも業務に必要な資格があるのではないかと調べてみたところ、
実に多くの知識・資格が必要だったのです。
結局、あの事故は無知が引き起こしたものなのだ。
消毒の仕事は一歩間違えば人の命をも奪ってしまう。
二度と事故を起こさないためにも、
一所懸命勉強しなければならない、と切実に思いました。
その日から仕事の合間を縫って資格試験の勉強を開始。
翌年には社員全員が「危険物取扱主任者」の免許を取得しました。
高校卒業後すぐにこの仕事を始めたこともあり、
大学に行っていない分、自分は資格で他の人に追いつこうと、
その後も一年に一つ資格試験に挑戦し、合格していきました。
数年後、ある朝、妻と一緒に近所を散歩していた時、
朝五時から「朝の集い」の看板に出合い、
「どなたでもご自由に参加できます」
との内容に興味を惹かれ、
早速、好奇心から夫婦揃って集いに参加。
それが倫理法人会へ入るきっかけとなりました。
その席で、「朝を制する者が人生を制す」という
丸山先生の言葉を聞いた時、
以前軽飛行機操縦のライセンス取得で
ともに学んだ上智大学教授の故・酒井洋先生を思い出しました。
電気工学の工学博士でありながら、ヴァイオリンを弾き、
中国語の通訳免許を持ち、書道の大家。
ご著書『ナポレオン睡眠法』では、
人間は三時間寝れば十分と主張し、
ご自身も三時間の睡眠の後、明け方から
勉強されているとおっしゃっていたのです。
以来、私も早朝三時半に起床し勉強を続けてきましたが、
思いのほか集中できることを実感しています。
特に経営者にとって時間は何より貴重ですが、
日中は会社内での仕事に追われ、
夜は得意先とのお付き合いもあり、
結局、経営者が自分のための時間を持てるのは朝、
それも「朝飯前」しかないのです。
私は早朝勉強に切り替えてから一年に二つの資格取得に挑戦し、
現在は七十八の資格を有するまでになりました。
社内にも「環境スペシャリスト制度」を導入し、
現在在籍する六百五十名の社員たちは、
平均して五つ以上の資格を取得しています。
社員がそれぞれの知識を持ち合って相談すると、
あちこちで融合化反応を起こし、
次々と新商品に結びついていきます。
例えば、殺鼠剤に慣れたネズミは抵抗性を持ってしまい、
ちょっとやそっとの毒では死ななくなってしまいます。
さあ、どうしようかと話し合っていると、
栄養士の資格を持っている社員は、
「人間もおいしいものばかり食べていると
体の調子が悪くなるから、
逆にネズミが喜んで食べて臓器を悪くさせる
栄養剤がいいのではないか」
と提案。すると他の社員は
「脳震盪を起こさせ、その間に電気ショックを与える」
「一瞬のうちに凍死させる」など、
どんどん新商品のアイデアが出て、
現在わが社では五百三十一もの特許を持つに至りました。
資格を取る、勉強するということは、
経営道、人生道に繋がると思います。
学びによって気づきを得て、
はじめてお客様が感動する商品を作れ、
サービスができるのです。
私は資格により実に多くの人との出会いがあり、
気づきがありました。
私の人生は
「資格によって師に出会い、
資格によって道理を尋ね、
資格によって人生を拓いてきた」
と思っています。
七十八の資格のどれ一つとして無駄なものはなく、
すべてが私の人生を豊かにしてくれました。
本来ならあの事故で潰れてもおかしくなかったわが社が、
いまこうして六百五十名の社員とともに
増収増益を続けているのも、
先に述べたデパートのオーナーの励ましと、
「学ぼう、勉強しよう」という社風の賜物と思っています。