まほろばblog

「人生を劇的に変えるユダヤの教え」

12月 23rd, 2012 at 10:59

   星野 陽子 (翻訳家)

                『致知』2012年12月号
                       致知随想より

└─────────────────────────────────┘

若い頃の私はどちらかと言えば控えめな性格で、
大人しく、人生に対する姿勢もまるっきり丸腰だったと思います。

しかし、私は変わりました。
私を変えたもの――それは約十年におよぶユダヤ人夫との結婚生活です。

出会いはひょんなことからでした。
当時シティ・バンクに勤めていた私は、
お客様として来店した彼と知り合い、
友人たちを交えて親しくなって交際に発展、
結婚に至りました。

結果的に十年で破局しましたが、
その鮮烈で濃密な時間に身につけた「ユダヤ的思考」が、
現在、約六億円の不動産資産等を築いた
自分のベースになっていると思います。

ユダヤ人には、例えばロスチャイルドや
投資家のジョージ・ソロス、
あるいは映画監督のスティーブン・スピルバーグなど
世界的な成功者が数多くいます。

なぜユダヤ人の多くは事業等で成功し、
富を得ることができるのでしょうか。

まず、彼らはお金に対してネガティブなイメージがありません。
ユダヤ教ではお金は神からの祝福とされていますから、
素直にお金を尊び、手に入れようと努めます。

一方、日本でお金持ちの代表例といえば
時代劇の越後屋。腹黒く、悪事を働き、
最後は成敗されます。

多くは清貧の思想こそが美しく、
お金は「持ち過ぎると身を持ち崩す」
「親族との争いの種になる」など、
一種の心理的ブロックが掛かっています。

富裕層であっても日本人は
「年収は三千万円もあれば十分だ」と言いますが、
ユダヤ人に「これで十分」というリミットはありません。
稼いだお金で他者を助けるという大義があるからです。

彼らは収入を得始めた当初から年収の十%を慈善に回します。
施しは十倍になって戻ってくるという教えがあるため、
皆、喜んで寄付するのです。

また富を得た人は妬みやバッシングではなく、
尊敬の対象となります。

人びとは彼らを訪ね、どうすれば自分も後に続けるかを聞き、
成功者たちも自分の体験や知識を余すところなく教えます。
よって常日頃から「お金に関する会話」が
当たり前に繰り広げられています。

これは私が日本で家を建てた時の話です。
日本の友人たちは「素敵なお家ね」「木の香りが心地よい」
などと言うのに対し、ユダヤ人の友人たちは
「土地はいくら?」「ローンは?」「総額は?」
と聞いてきます。

日本人は失礼な質問だと感じるかもしれませんが、
彼らにとっては有意義な情報交換。
そのくらいオープンなのです。

一般的にユダヤ人の成功の根底には
「タルムード」と呼ばれる教えがあるといわれます。
しかし私はその内容よりも、それを
“自分はどう考えるか”と議論することが、
彼らの成功の下地ではないかと感じています。

彼らは幼少の頃から議論の訓練を
日常的に行ってきているので、
自分と反対の意見を言われて腹が立つということはありません。

むしろ、新しく革新的な考えを好み、
それによってより深く、
熱く議論を戦わせることを楽しみます。
もちろんそれが終われば仲良しに戻ります。

十年の結婚生活でとにかく元夫に言われたことは
「why?」であり、「think!(考えろ)」です。

「なぜ日本で贈り物をもらったら半額分を返すのか?」

「風習だから……」

「君はそれが正しいと思うのか。だいたいなぜ半額なのか?」

と、こちらがきゅうきゅうとするほど問い詰められます。

また、すべて戦略を持っています。
夫婦であっても何気ないおしゃべりではなく、
すべてに「考え」がある。

例えば彼が家事をやりたくないとすれば、
それを前提に会話を仕掛けてくるので、
考えなしで受け答えをしていると、
いつの間にか私がせざるを得ない状況になっている。
そんなことがよくありました。

そういった背景には、やはり迫害に遭い、
長い間祖国を失った歴史があるのだと思います。

ある日、テレビで「イスラエル人が二人死亡」
というニュースが流れました。

彼は「これは嘘だ。なぜなら……」
と自分なりの解釈を述べていましたが、
どんな時でも人の意見を鵜呑みにせず、
自分の頭で考え、納得しなければ信じない。

仮にそれで自分が命を失うことになっても
すべては自己責任。
逆に言えば、自分の運命を他人に委ねることはしないのです。

離婚後、私はフリーランスで翻訳の仕事をしながら、
投資によって資産をつくりました。

しかし、もともとは特許翻訳者の会社で
翻訳と雑務のアルバイト、
とてもフリーで仕事をする自信はありませんでした。

帰国子女でもなく、特許法に関する知識もなかったからです。
そんな時、私はユダヤの教えを思いました。

自分でリミットを設けない。自分の運命を他人に委ねない。
それで降りかかるリスクは自分で背負おう  。

フリーになると決心し、行動を始めたら
次第に周囲が変わっていきました。

パソコンやコピー機など
仕事に必要な器材一式を譲ってくれる方が現れたり、
家族や友人が子供の面倒をみると申し出てくれるなど、
応援の手を差し伸べてくれるようになったのです。

もしかすると、私たちは積極的にではないにせよ、
「普通に考えれば無理だよね」と
周囲の情報に流されて制限を設け、
受け身で生きているのかもしれません。

自分の運命は自分で切り開く。
その覚悟を決めて、一歩踏み出すだけで
人生は劇的に変わります。

ユダヤの教えは丸腰で平凡だった私の人生を
大きく変えてくれたのでした。

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