安岡正篤師の語録のすべてを凝縮した2つの教え
1月 30th, 2013 at 14:48 『安岡正篤 心に残る言葉』
藤尾秀昭・著より
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私自身が安岡先生の本を二十四冊もつくってきて
感動した言葉の中から、いくつか紹介して
終わりにしたいと思います。
安岡先生は
「人間は短い言葉が大事だ。
人間は短い言葉によって感奮興起していく」
と言っています。これも名言ですから、ちょっと読んでみます。
「われわれの生きた悟り、心に閃めく本当の智慧、
或いは力強い実践力、行動力というようなものは、
決してだらだらとした概念や論理で説明された
長ったらしい文章などによって得られるものではない。
体験と精神のこめられておる
極めて要約された片言隻句によって悟るのであり、
又それを把握することによって行動するのであります」
そういう意味で、私が大好きな言葉をこれから紹介します。
最初の一つはこういう言葉です。
「日常の出来事に一喜一憂せず、
現在の仕事を自分の生涯の仕事として打ち込むこと、
そして、それを信念にまで高めなければ自己の確立はあり得ない」
皆さん、これは名言ですよ。
覚悟を決めない限り、何も得ない人生になります。
覚悟を決めたら、あらゆる問題が
全部自分のほうに向かってくるんですね。
そういう覚悟を持って、
人間は仕事に打ち込んでいかなければいけない。
次の言葉は『安岡正篤一日一言』の三月九日に載っています。
この『安岡正篤一日一言』という本は、
安岡正篤先生の数多くの著作の中から
特に心に響く言葉を三百六十六選んだものですが、
その語録のすべてを凝縮した教えを示せといわれたら、
これから読む二つの言葉に要約できると思っています。
まず一つ目はこうです。
「何ものにも真剣になれず、したがって、
何事にも己を忘れることができない。
満足することができない、楽しむことができない。
したがって、常に不平を抱き、
不満を持って何か陰口を叩いたり、
やけのようなことを言って、
その日その日をいかにも雑然、漫然と暮らすということは、
人間として一種の自殺行為です。
社会にとっても非常に有害です。毒であります」
こういう人間になってはいけないと言うことですね。
じゃあどういう生き方がいいのか。
九月二十二日と二十三日にその答えが載っています。
これは二日で一つの言葉になっています。
「いかにすればいつまでも進歩向上していくことができるか。
第一に絶えず精神を仕事に打ち込んでいくということです。
純一無雑の工夫をする。
純一無雑などと申しますと古典的でありますが、
近代的にいうと、全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、
ということです」
「人間に一番悪いのは雑駁【ざっぱく】とか
軽薄とかいうことでありまして、
これは生命の哲学、創造の真理から申しましても
明らかなことでありますが、
これほど生命力・創造力を害するものはありません。
また生命力・創造力が衰えると、
物は分裂して雑駁になるものであります。
これがひどくなると混乱に陥ります。
人間で申しますと自己分裂になるのです。
そこで絶えず自分というものを
何かに打ち込んでいくことが大切であります」
これは人生の要諦だと思います。
何かに真剣に打ち込んでいくから、
人間は絶えず進歩、成長するんです。
毒みたいな生き方を絶対にしてはいけないという、
これは安岡先生の生き方の根本ではないかと思うんですね。