――無能無才にしてこの一筋につながる
5月 15th, 2013 at 9:26致知出版社社長・藤尾秀昭の「小さな人生論」 ┃□□□ ┃□□□ 2013/5/15 致知出版社(毎月15日配信) ┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┌──┬────────────────────────────── │130 │『致知』35年に思うこと――無能無才にしてこの一筋につながる └──┴────────────────────────────── 『致知』は今年の9月1日発行の10月号で創刊満35周年になります。 私はこの雑誌の創刊の準備から編集に携わってきましたので、 『致知』一筋に35年の人生を歩いてきたことになります。 俳聖、松尾芭蕉は 「無能無才にしてこの一筋につながる」という言葉を残していますが、 この言葉はそのまま実感として、 体に溶け込んできます。 先日、タビオの越智会長にお会いしましたが、 愛媛県の中学を卒業し、大阪の靴下問屋に丁稚奉公に入り、 以来約60年、靴下一筋に歩まれ、 会社を今日業界の雄に育て上げられた越智会長の信条は、 「一生・一事・一貫」 だとおうかがいしました。 会社がうまくいき始めますと、 本業以外にいろいろな事に手を出したがる人が多いのが世の常ですが、 創業以来45年靴下一筋、 他には目もくれないで歩んでこられた、その姿勢に頭が下がります。 『致知』は心を磨く、人物を創るということをテーマに 一事一貫してきた雑誌です。 即ち、人間学の追究です。 その道を35年追い求める中で、実にたくさんのすぐれた先達の生き方、 遺した言葉に触れ得たことは、まさに冥利に尽きるというものです。 この道一筋に歩ませていただいた者の至福を感じています。 一生を道元禅の研究に生きた田里亦無(たざと やくむ)氏から聞いた話ですが、 シモーヌ・ヴェイユというフランスの思想家が 「与えるというものではないが、、 人に是非渡しておかねばならぬ 大事な預りものが私の内にある」 といっているそうです。 すばらしい言葉だと思います。 私自身も先達から手渡された大事な預り物を『致知』を通して、 心を込めて、後世に手渡していきたいと念願しています。 ちなみに、『致知』の7月号の特集テーマは 「歩歩是道場」(ほほこれどうじょう)です。 禅の言葉ですね。 特別な場所を道場とするのではなく、 日常のあらゆる場を自分を鍛える道場としていけ、という教えです。 そういう心構えで生きていけば、 あらゆる場が自分を高めていく修養の場になるということです。 これに似た言葉に 直心是道場(じきしんこれどうじょう)があります。 「維摩経」(ゆいまきょう)にある有名な言葉です。 光厳童子(子どもではなく、求道にめざめた人)が 路上で維摩居士(伝道の奥儀をきわめた在家の人)に会います。 童子が「どちらからこられましたか」と聞くと、 「道場から来た」と答えます。 童子は修行のためにどこかいい場所はないかと探していたので、 「それはどこにありますか」とききます。 その時、維摩が答えたのが先の言葉です。 「直心是道場」 直心とは、素直な柔らかい心ということです。 心さえ、素直に調(ととの)っていれば、 あらゆるところが道場になる、ということです。 伸びる人はあらゆる場を生かして伸びてゆくというのは 『致知』の取材を通して感じたことですが、 そういう人たちはこの言葉を体現した人であったということでしょう。 禅語にはさらに 「歩々清風起こる」という言葉もあります。 一歩一歩、歩いたあとに清風が起こる。 至り難い世界ですが、そういう一歩を歩んでいきたいものです。
Posted by mahoroba,
in 人生論