「一歩一歩踏みしめていけば、必ず幸せに辿り着く」
6月 5th, 2013 at 9:37
清水 咲栄(90歳の郵便配達人)
『致知』2013年7月号
特集「歩歩是道場」より
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これまでの九十年を振り返ると、
幼い時から今日に至るまで、
とにかく働き続けてきた人生だったように思います。
私は新潟県との県境にある長野県富倉という小さな村で、
貧しい農家の長女として生まれました。
大正十三年一月十七日のことです。
働きに出ている両親に代わって、
六人の弟妹たちの子守、炊事、洗濯をするのが私の役目。
赤ん坊をおんぶして小学校に通わなければならず、
赤ん坊が授業中に泣き出してしまうこともありました。
皆が教室で勉強している中、一人外で赤ん坊をあやす。
友達からも馬鹿にされ、よく涙を流していたことを思い出します。
しかし、家に帰れば何事もなかったかのように振る舞い、
親の手伝いに勤しんでいました。
そのような少女時代を経て、
私が嫁いだのは昭和二十一年、二十二歳の時です。
その後の人生において、私を一番に支えてくれたのは
他でもない夫でした。
いままでずっと「父ちゃん」と呼んできたので、
ここでも父ちゃんと言わせてください。
父ちゃんは幼くして両親に死に別れ、
親の借金を抱えて、小学校を卒業すると同時に働きに出ました。
そのため、家はボロボロで、家具も殆どない。
そこに父ちゃんと私、二人で住み、
近くの飯山炭鉱で共働きをしました。
コークスで真っ黒になった顔を見合って笑い合う。
貧乏でしたが、そうやって毎日楽しく暮らしていました。
その後、四人の子供も授かり、
ますます仕事に精を出すようになった父ちゃんは、
炭鉱主からある鉱区のリーダーを任されるようになったのです。
炭鉱主に地代だけ払い、その鉱区で採掘された
石炭を売って得たお金で、従業員に給料を支払う、
半ば請負のような仕事を始めました。
最初は借金ばかりが膨らみ、苦労したのですが、
ある時、大量の石炭を掘り当てたのです。
儲けたお金で父ちゃんはボーナスを出したり、
温泉旅行に連れて行ったりと、
惜しみなく従業員に分け与えました。
これまでの苦労は一気に吹き飛び、
父ちゃんも私も「これで楽ができる」と
有頂天になっていました。
ところが、です。
ある朝、仕事に行くと、炭鉱の前に
「立ち入り禁止」という立て札がある。
父ちゃんが慌てて炭鉱主に掛け合うと、
「あの鉱区は私のものだ」の一点張り。
石炭が当たった途端に態度を百八十度変えたのです。
一介の炭鉱夫にすぎない父ちゃんが
炭鉱主に太刀打ちできるはずもありません。
結局、利益はすべてかすめ取られ、
残ったのは七百五十万円の借金だけ。
昭和三十六年、私が三十七歳の時でした。
それからは本当に地獄のような日々でした。
Posted by mahoroba,
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