まほろばblog

「人生のチアリーダー」

7月 7th, 2013 at 9:46
 佐野 有美(さの・あみ=車椅子のアーティスト)

           『致知』2012年4月号「致知随想」

11月5日佐野[1]

………………………………………………………………………………………………

「私、チアに入りたいんだけど、一緒に見学に行こうよ」

 友人からのこの誘いがすべての始まりでした。 
 高校に入学し、部活に入る気もなかった私は、
  友人に付き添いチアリーディング部の練習を見に行きました。

 目に飛び込んできたのは、先輩たちの真剣な眼差し、 
 全身で楽しんでいる姿、そして輝いている笑顔でした。

  それを見た時、

「すごい!! 私も入りたい!!」

  という衝動に駆られたのです。
  しかし、次の瞬間、

「でも私には無理……」

 という気持ちが心を塞いでしまいました。

 私には生まれつき手足がほとんどありません。 
 短い左足の先に三本の指がついているだけ。
  病名は「先天性四肢欠損症」。

  指が五本揃っていなかったり、
  手足がないなどの障害を抱えて生まれてくるというものです。

 幼少期から母親の特訓を受け、一人で食事をしたり、 
 携帯でメールを打ったり、字を書くことや
 ピアノを弾くこともできますが、
  手足のない私には到底踊ることはできません。

  半ば諦めかけていましたが、
 「聞いてみないと分かんないよ」という
 友人の声に背中を押され、顧問の先生に恐る恐る
 「私でも入れますか?」と聞いてみたのです。

 すると先生は開口一番、 

「あなたのいいところは何?」

  と言われました。

  思わぬ質問に戸惑いながらも、私が

「笑顔と元気です」

  と答えると、

「じゃあ大丈夫。明日からおいで」

  と快く受け入れてくださったのです。

 手足のない私がチアリーディング部に入ろうと決意したのは、 
 「笑顔を取り戻したい。笑顔でまた輝きたい」
  という一心からでした。

  生まれつき積極的で活発だった私は、
  いつもクラスのリーダー的存在。
  そんな私に転機が訪れたのは、小学校六年生の時でした。

  積極的で活発だった半面、気が強く自分勝手な性格でもあり、
  次第に友達が離れていってしまったのです。

 そんな時、お風呂場で鏡に映った自分の身体を 
 ふと目にしました。

「えっ、これが私……。気持ち悪い……」

  初めて現実を突きつけられた瞬間でした。

  孤独感で気持ちが沈んでいたことも重なり、

「よくこんな身体で仲良くしてくれたな。
  友達が離れてしまったのは身体のせいなのでは……」

 と、障碍について深く考えるようになり、 
 次第に笑顔が消えていきました。

 そのまま中学三年間が過ぎ、 
 いよいよ高校入学という時になって、

「持って生まれた明るさをこのまま失っていいのだろうか。
  これは神様から授かったものではないか」

  と思うようになり、そんな時に出会ったのが
 チアリーディングだったのです。

 初めのうちはみんなの踊りを見ているだけで楽しくて、 
 元気をもらっていました。

  しかし、どんどん技を身につけて成長していく
 仲間たちとは対照的に、何も変わっていない自分が
 いることに気づかされました。

「踊りを見てアドバイスを送って」と言われても、 
「踊れない自分が口を出すのは失礼ではないか」

 という思いが膨らみ始め、仲間への遠慮から 
 次第に思っていることを言えなくなってしまったのです。
  せっかく見つけた自分の居場所も明るい心も失いかけていました。

「チアを辞めたい。学校も辞めたい……」。

  そんな気持ちが芽生え、次第に学校も休みがちになりました。
  しかし、私が休んでいる間も、
 「明日は来れる?」と、チアの仲間やクラスメイトは
 メールをくれていました。

「自分が塞ぎ込んでいるだけ。素直になろう」

  そう分かっていながらも、一歩の勇気がなく、
  殻を破れずにいる自分がいました。

 その後、三年生となった私たちは、 
 ある時ミーティングを行いました。
  最終舞台を前に、お互いの正直な気持ちを
 話し合おうということになったのです。

 いざ始まると、足腰を痛めていることや学費の問題など……、 
 いままでまったく知らなかった衝撃的な悩みを
 一人ずつ打ち明けていきました。

「みんないっぱい悩んでいるんだ。辛いのは私だけじゃない……」

 そして、いよいよ私の番。震える声で私は話し始めました。 

 「自分は踊れないから…… 

  みんなにうまくアドバイスができなくて…… 

  悪いなって思っちゃって…… 

  みんなに悪いなって…… 

  だから、だから、これ以上みんなに迷惑かけたくなくて……」 

 続く言葉が見つからないまま、涙だけが流れていきました。 
 そうすると一人、二人と口を開いて、

 「私たち助けられてるんだよ」

 「有美も仲間なんだから、うちらに頼ってよ」

  と、声をかけてくれたのです。
  そして最後、先生の言葉が衝撃的でした。

 「もう有美には手足は生えてこない。

  でも、有美には口がある。

   だったら、自分の気持ちはハッキリ伝えなさい。

   有美には有美にしかできない役目がある!!」

 これが、私の答えであり、生きる術でした。 

 チアの仲間や顧問の先生に出会い、
 私は自分の使命に気づかされました。

 声を通して、私にしか伝えられないメッセージを 
 届けたいとの思いから、高校卒業の2年後、
  2011年6月にCDデビューを果たし、
  アーティストとして新たなスタートを切りました。
  十二月には日本レコード大賞企画賞をいただくことができたのです。

 チアリーダーという言葉には、
 「人を勇気づける」という意味があります。
  私は誰かが困っていたり、悩んでいたりする時に、
  手を差し伸べることはできません。

  しかし、声を届けることはできる。
  チアリーディング部を引退したいまも、
  私は人生のチアリーダーとして、
  多くの人に勇気や生きる希望を与えていきたいと思っています。

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