まほろばblog

「私の人生を救った言葉たち」

8月 7th, 2013 at 17:27
       長野 安恒(声楽家)
               『致知』2013年9月号
                 特集「心の持ち方」より

└─────────────────────────────────┘

これはいまになって分かることですが、
小学校六年で入院していた病院では、
治療ではなく、ただの実験台にされていました。

毎日毎日朝昼晩、ヨウ素剤を飲まされて、
基礎代謝と甲状腺へのヨウ素の集まり具合を測るだけでした。

私は消灯時間になるとトイレで必ず本を読んでいたのですが、
寝たら次の日、目が開かないんじゃないかと思って
夜寝るのが怖かったんです。
だから十二歳で、まだおねしょをしていました。

そうして一年が経った頃、
姉が東京・原宿の伊藤病院を紹介してくれて、
伊藤國彦先生に診てもらえれば治ると。

私は逃げるようにして入院先を後にし、
伊藤病院へ転がり込んだ。

そしてこの先生に診てもらったら治ると思った途端、
夜尿症がピタッと止まったんです。

【記者:気持ちの面が大きく作用しているのでしょうね】

そうです。人を生かしているものは肉体です。
医師は肉体の不具合を治してくれますが、
心のありようが物凄く大きく影響する。

絶望は死に至る病と言われますが、
実際にそのとおりなんです。

全くなんの希望もなかったところに一条の光が差した。
やがて手術は成功し、病気から解放されました。

そしてふっと振り返ると、地獄だと思っていた中に、
自分は多くの人に助けられて生きていたんだと気づいたんです。

入院中は小学五年生の食べ盛りで、
しかもお腹が空く病気ですから、
病院の食べ物だけじゃ到底足りないわけです。
お腹が空いてお腹が空いてしょうがない。

そんな中、昼三時頃になると、
いつもおやつをくれるおばさんがいたんです。

ただ本当に申し訳のないことに、
その方の名前も覚えていません。
病院の人だと思っていました。

けれど後になって、掃除に来ていたおばさんだと分かりました。

私は毎日その人を探し回っておやつをねだっていた。
いつも何かを用意していてくれましたよ。
ない時には「これでなんか買っておいで」と
お小遣いをくれたりしました。

いま思えば、そんな神様の使いのような人に
出会えていたんですね。

それから、先人たちが残してくれた言葉にも救われました。

石川啄木の歌に

「はづれまで一度ゆきたしと
  思ひゐし
 かの病院の長廊下かな。」

とありますが、病院の廊下って本当に長いんです。
なぜかと言えば、廊下の突き当たりから先へは、
病人は出ていくことができないから。
だからこの歌が身に染みて分かるんですよ。

他にも

「東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる」。

私のいた病院は海辺の崖の上に建っていて、
砂浜へ下りていける道があった。
私は朝ご飯を食べると、逃げるようにそこへ行くわけです。
一日ボーッと海鳥などを見ながら、
そんな歌やこんな歌を胸に浮かべていました。

※長野氏の人生を救ったという、
 若山牧水の歌やロングフェローの詩とは?
 詳しくは『致知』9月号(P48~51)をご覧ください。

コメント入力欄

You must be logged in to post a comment.