『清、負けたらあかん』
8月 9th, 2013 at 8:32
貧乏と小児マヒを乗り越えた孝行社長の物語
川辺 清・著
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焼肉の「情熱ホルモン」をはじめ、
様々な事業を手がける「五苑マルシングループ」は、
今年4月で創業から50年を迎えます。
創業者の川辺清氏は昭和13年生まれ。
靴職人で博打好きだった父はほとんど家に帰ることなく、
母は生活費を得るために、
夫の行方を捜しながら4人の子供を育てたといいます。
清が2歳の頃のことです。
帰ってきた母がボロ布団の中でぐったりと横たわる清を見つけました。
布団をめくってみると、
紫色に腫れ上がった清の左足首からは膿が垂れ、虫が湧いています。
急いで病院に駆け込んだものの、
清の左足は完治することなく、
小児マヒの身となってしまいました。
その後、父の意向で清だけが
親戚の家に預けられることになります。
継ぎ接ぎだらけの服、小児マヒで骸骨のようになった左足、
それを引きずるようにして歩く姿がおかしいと、
近所の子供たちから毎日のようにいじめられました。
孤独でつらい日々でしたが、
清の心の中にはいつもやさしい母の存在がありました。
子供の頃から抱いていた
この「お母ちゃんを早く楽にしてあげたい」という思いは、
清が大人になってからも続きます。
中学を出た清は、
奈良の靴職人のもとへ奉公に出ました。
仕事は朝6時半から夜中の12時まで、
休みは月に2回のみでしたが、
早く一人前になりたい一心から懸命に働きました。
ところが2年経った頃、結核を患ってしまい、
不本意にも実家へと追い返されてしまったのです。
「俺は本当に駄目なやつだ」
絶望した清は自らの命を絶とうと迫り来る機関車に身を投げました。
ところが次の瞬間、清は傍らの草むらの上に倒れていたのです。
恐れに飛び退いたか、風圧に飛ばされたか、ともかく生きていました。
ふと線路を見ると、
ポケットから転がり出た5円玉が身代わりに機関車に潰され、
平べったくなっていました。
「俺は5円玉や。5円玉の輝きを見せてやる」
新たな決意に病魔も退き、無事年季を全うした清は25歳で会社を創業。
以来、異業種にも果敢に挑戦しながら、
経営者として事業に情熱を注ぐ一方、
子として母に孝養を尽くしました。
実話を元に記された川辺氏の半生が描かれた本書は、
遡ること平成5年に刊行された作品です。
この20年、川辺氏は正月になると本書を読み返し、
自身の原点を振り返ってきたといわれます。
親が子を思い、
子が親を思う姿が美しく綴られた感動の名作から、
親子関係や孝行のあり方について、
見つめ直してみるのはいかがでしょうか。
Posted by mahoroba,
in 人生論, 未分類