つれづれと空ぞ見らるる思ふ人
8月 17th, 2013 at 17:46これも数学者高瀬正仁氏の労作、評伝「岡潔」の大著『星の章』『花の章』に引き続き、
『虹の章「岡潔とその時代」』を『正法眼蔵』と『龍神温泉の巻』の二巻に分けて出版された。
その綿密なる詳細を極めたフィールドワークは驚くばかりで、圧巻である。
この集中力、求心力には頭が下がる。
若い頃の私のことが少し出ていたが、詳しい取材を受けていないのが惜しまれる。
その下巻、保田與重郎氏と胡蘭成氏と岡先生の談話の中で、
和泉式部の歌に及んだくだりがあった。
岡先生は、それまで万葉のみ認め、古今以下は認めないとしていたが、
この相聞歌には心打たれ、今までの見識を少し変えねばならないとまで漏らした一首であった。
それは、
つれづれと空ぞ見らるる思ふ人
あまくだりこむものならなくに
(玉葉1467)
【通釈】つくづくと空が眺められるよ。恋しく思う人が天から降りて来ることなどありはしないのに。
【語釈】◇つれづれと じっと思いをこらすさま。
【補記】「ものならなくに」と否定してみたところで、天に焦がれる思いが消えるわけではない。『和泉式部集』(正集)の最初に収められた百首歌。
天地をも切り裂く切なる哀しみが、神代調の大いなる調べとなって、千年の時を超えて、読む人の心に迫るのであろう。
こういう歌ぶりは、今の世では叶わないのだろう。
Posted by mahoroba,
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