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ダイナミックだった。何かの縮図のようだった。私は軽いショックと幸福感の中に2時間はたっぷりいた様に思う。カタログには「まほろば」とあり、浄水器メーカーでそんな名前聞いたことないなあと思いながらрオてみた。そう、その浄水器を通った水を試飲してみたかった。 札幌(都会)に位置していることは好都合だった。水道水がある程度汚染されていることが予想されたから。水道水とエリクサーを通った水との比が私のような凡人にもわかりやすいのではと思えた。2〜3日で届くはずの2種類の水を待ちきれず、パパと娘を使ってO−リング開始、比較対照として@リブリーAベルセレージュBクリンスイを選定(私は全部試飲済みだったがパパは@,A、娘はAを試飲していなかった。)、パパのO−リングは安定してエリクサー強いのに対して、娘のは変動的だった。家の一階でするとエリクサーが圧倒的に強いが、なぜか二階のベッドルームですると@になったりエリクサーになったりした。当初はなぜだか分からなかったが、今考えると2Fベッドルームには、ウォーターベッドが置いてあり、しかも電線の引き込み口がある。1Fは、地中4カ所に炭素埋設が施してあり2Fよりは磁場が安定しているのかもしれない。真偽のほどは定かではないが、私のO−リング技術が未熟なのか、場所によって誤差がでるのか
??? もしかして、2Fではウォターベッドに座って行ったのだが、そのベッドが娘に及ぼす作用にバランスする水は@・・と言うことかもしれない。 サンプル水でテスト
そうこうしている内に、まほろばよりテスト水2種(エリクサー水及び元になる水道水)が届き、早速口に含んだ。水道水→ヤッター!まずい! エリクサー水→クリーニングされている味だが、おもいっきり惹かれる味ではなかった。私はうろたえた。もう一度味覚に聞いた。甘みを感じなかった。どうしたらいいんだい・・と思った。やはり娘のO−リングが語っているとおりなのか。そう思いながら2種類の水を見つめ続けた。おやっ!エリクサー水の方が青く薄く光っている。確かに色が違う。昼間の明るい光の中では気づかなかったが、夜の電球色の蛍光灯の陰から見ると明らかに分かった。半ば揺らいでいた私の心に、また軽いショックが走った。20万の大金を私の頼りない直感に使っていいものかしら。ウン、良い。実行しないでいては私の思いは振り切れない。娘とのO−リングや実際の味覚と言うプレッシャーを背負いながらも、エリクサーへの信頼は安定を無くしていなかった。それはまほろばが、エリクサーを生み出すまでの遙かなる道のりを、わずかながら知っていたから。これより半月後の11月半ば注文に踏み切った。無理を言ってのシンク下エリクサー第一号である。まほろばさん、ありがとう。おかげでキッチンの台が広く使えています。 エリクサーの到着!
12月初旬、我が家に届いたエリクサーとアンダーシンク用の配管、双方とも機能美そのものだった。我が家のパパは自他共に認めるメカお宅である。彼が全体、特に配管部を見て「かなりこだわってるね。飛行機に使われているような部品だよ」気に入った様だった。良かった。逆流洗浄75℃、15分、完了。飲んでみた。堅い。炭粉の味がする。やはり今一美味しくない。味が無機的なのだ。時とともに味が向上していくことを知らなかった私であった。1週間2週間3週間徐々に味は上がっていった。1ヶ月やっと逆流洗浄をする気になった。実はまだやりたくなかった。味が変化を続けていたので。洗浄後半日くらいはまた無機的な味がしたが、すぐに復活。それでも、このころの水はまだ満足のいく味ではなかった。 エリクサー水を濃縮?
2ヶ月が過ぎた。味が安定してきたように思った。突然ある案が浮かんだ。2月中旬、昼の1時頃、2g容器にスロースピードで水を溜め始めた。時計を見ながら、1秒1滴のリズムで。2g溜めるのに3時間ほどかかった。味は・・・すこぶる良好。通常流量のエリクサーでもこのころになると多少のとろみと甘みは感じていた。が。1秒1滴では、信じられないくらいにその濃度を増していた。そしてその濃度は日を追うごとに深くなっていった(分子の細かい水は容器の成分を溶かし出すらしいので、人工透析に使われている10gポリ容器を使用。本当はガラス容器か素焼きの水瓶を使いたいのだが・・)。3日目、昼溜めにストレスを感じたので、夜寝ている間に行うことにした。夜11時から朝7時まで8時間かけても6〜7g程しか溜まらない。でも、十分だった。家族3人では、炊事に、飲み水に、沸騰ポットに使っても2〜3g余った。必然的に残りはお風呂へと、惜しみもなく使われた。水として飲むときは、食事の時に一際美味しさを感じた。食物にこんなになじむ水は初めてだった。食材が水を引き立てているようだった。食事のための水でなく、水のための食事の様だった。飲むたびに美味しさを感じ口に出た。おいしい〜!と言っている自分。家族もそれを茶化すことはなかった。彼らもまた同様だったから。 |