まほろばblog

Archive for the ‘文化’ Category

ジャガーと江差追分

木曜日, 5月 24th, 2012

今朝の道新に、「江差追分大会50周年」記念として、

北前船の寄港地巡りの旅が開始されたとの記事が掲載された。

まずは、最初の出航地・淡路市で、江差追分の大家・青坂満さんらが、

北海道民謡を披瀝された、とあった。

その青坂さんを世に出した功労者の一人が、札幌在住の多田義和さんだ。

東京農大の漕艇部の顧問として活躍される一方、

あの盲目の天才ピアニスト辻井伸行君の支援をする等、

本物のパトロンという生き方をされている方だ。

元々、都民の多田さんの愛車が35年前から乗られている「ジャガーXJSーV12」という

コンバーチブル・タイプ、ロンドン・グリーンの垂涎の歴史的名車なのだ。

一世を過ぎても、その流麗な設計、風格ある存在感に、全くの門外漢の私もうなった。

そういえば、子供の頃、「シボレー、ダッチ、ジャガー・・・・」と外車名を諳んじていたが、

若い頃から、車はただ乗れればそれでいい、という程度の車音痴なのだ。

しかし、そんな私でも、良い物はいいなーと感慨深げであった。

そこに、大の車好きの、共働学舎の宮嶋さんや、同じ新型ジャガーを所有する

コーボルトの磯さんのご主人が寄って来て、喧々諤々と車談義を交わした。

青坂満という北海道の宝を見出した多田さんの眼力が長年大事に乗り続けた愛車。

今の大量生産で次々と量産される車に限らず、すべての物事が消耗品でしかない・・・・・・、

果たしてこうも大切に、己の手の内で育てるものがあるであろうか。

高くても良きものを、末永く使い続ける。

それこそが、本当の意味でecoで倹約質素なのかもしれない。

(多田義和さんと「ジャガーXJSーV12」)

愛を生きる『レラ母ちゃん』魂の声

月曜日, 5月 14th, 2012

13日、Lプラザで「愛を生きる『レラ母ちゃん』魂の声」が開かれた。
山道アシリ・レラさんのユーからの語りをしみじみと聴く貴重なる機会だった。
平取町二風谷で山道『職業訓練校』、「アイヌ文化と歴史の会」、「沙流川を守る会」などを主宰し、
アイヌの復権と文化伝承に献身されておられる。
既に、全国的にも名を馳せ、レラさんファンがこんなにも多くいるのかと、満席の会場に感動。

当日、この会のため全力を尽くして頑張った大井ワコチャンに大拍手!!
彼女は、世界を股に、異民族の共有の精神を宿している得難い存在で、会場では光り輝いていた。
まるで、水を得た魚のように、みんなを引っ張っていく牽引力には驚いた。
また、会場を無償で提供してくださったエレガントな緒方紀子さんには、感謝するばかり。

レラさんは、ビックマザーと言われるように、どっしりとした、しかも懐かしいかあさんに、
私も子供の頃のふるさとの毎日が思い出される。
漁川という川べりで生を受けたのだが、そこは「鮭のとれる所」というアイヌ語で、
むかし、アイヌコタンのあったところだ。
そんな、言わなくても、共有の大地に生活する者が感ずる自然や家族の絆が、
レラさんと接していると感じられ、思い出されるのだ。

「ユーカラ」の語りに、作為なき民族の失われてゆく言葉の原形や発想に、
今となっては悲しみを覚える。
この命のリレーは、語りのリレーでなくてはいけない。
これを伝承することが、アイヌの魂を継承することでもある。

私は、民族は言葉であると思っている。
言葉を失った時、その国は滅びる。
日本も、本来の大和言葉を失いつつある。
日本の危機である。
アイヌとて同じかもしれない。
アイヌ語の復活と文化の伝承を望みたい。
だが、会場の至る所には、アイヌ文化を象徴する様々な工芸品等が、
若人らの手によって、作られ売られている現場を見て、胸をなでおろしたのだ。

次なるレラさんの再演と次なるレラ二世の語りを聴いてみたいものだ。

「陶彩画展」と「いのちのまつり」

木曜日, 5月 10th, 2012

先回お知らせした草場一壽さんの「陶彩画展」が、

 市内のコンチネンタルギャラリーで開かれています。

佐賀県生まれの草場さんは、本場有田で20年にもわたり、

陶器に彩画を施す新技法を確立して新境地を開き、

内外にわたり、好評を博しています。

中でも、七色に変化する龍は見事で、生けるが如きその迫力に、

圧倒され惹きつけられます。

是非、開催期間13日までなので、急ぎ駆けつけてご覧になってください。

また、氏の書いた童話「いのちのまつり~ヌチヌグスージ~」

第3回ようちえん絵本大賞を受賞されました。

そのシリーズ3冊が、愉快で感動的。

命の繋がりが大画面であっと驚きながら理解できる面白さ。

目を丸くする子供たちに直接、真実が伝わるでしょう。

その語りや周りの人々のトークライブが、

おもちゃ箱をひっくり返したように面白い!ということです。

これは12日(土)エルプラザで開かれます。

これも、お子様連れで、ぜひ行ってもらいたい、と願っています。

染師・吉岡さんのお話と作品展

火曜日, 5月 8th, 2012

京都の伝統的染師・吉岡幸雄さんの展示会と講演会が開かれます。

国内外で大活躍の吉岡さんの生の声と作品を、是非ご覧ください。

「岡潔先生から学んだこと」

火曜日, 5月 8th, 2012

        
       
 占部 賢志 (中村学園大学教授)
        
   『致知』2012年6月号
             連載「語り継ぎたい美しい日本人の物語」より

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岡潔(おか・きよし)先生は、なつかしさの感情が
日本民族にとっていかに大切なものか、
心魂を込めて説いてやまなかった方でもあります。

ある時はこんなふうに言われました。

「ともになつかしむことのできる
 共通のいにしえを持つという強い心のつながりによって、
 たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いませんか」

(『春宵十話』)

この「なつかしさ」については、印象深い思い出があります。

時は昭和四十七年、筆者が大学一年生の時です。
博多で開かれていた市民大学講座に岡潔先生がお見えになり、
特別講演をされたのです。

登壇された先生の白髪痩躯(はくはつそうく)の姿を
目の当たりにして息を呑みました。
隆々とした白い眉も印象に焼き付いています。

椅子にお座りになって講演を始められると、
何やらポケットから出される。
一本の煙草でした。

これを両手でいじりながら話が進む。
机の上には中身がこぼれ落ち、
先生は時々それを手のひらで掬われるのです。

演題は「日本人と『情』」というもので、
日本的情緒の恢復(かいふく)を語った珠玉の講演でした。
まず、自分とは何かが分からなければ
何事も始まらないと先生はおっしゃる。

そして、こう断言されたのです。

「日本人は情を自分だと思っている民族です。
 だから、どんなに知的に納得しても、
 情が納得しなければ本当には納得しないのです。

 いいこともいけないことも、情に照らせば分かる。
 これが日本人の道徳です」

こんなことを聞いたのは勿論初めてです。
偉大な数学者が知ではなく
「情」が大切だと言うのですから、びっくりしました。

それだけに、この時の印象は今も鮮やかに胸に刻まれています。

「日本の古典をお読みなさい」

独特の淡々とした口調で、いよいよ話は佳境に入る。
人には表層意識と深層意識の2つがあり、
日本人は本来、深層意識が基調となっていたはずだが、
今は表層意識が中心になってしまったとの指摘でした。

先生によれば、「なつかしい」という感情は
深層意識から生まれたものだそうです。

たしかに西洋人も「なつかしい」とは言うが、
過ぎた昔がなつかしいという意味で使うに過ぎません。
しかし、日本人は違うのだと言って、
次のような例を挙げられたのです。

「たとえば芭蕉に、秋深し隣は何をする人ぞ、
 という句があります。
 あれは隣の人を知らないから、なおさらなつかしい、
 そういうふうに使っているのです。

 ところが今、この日本人本来のなつかしさの感情が
 衰えてしまったのではありませんか」

旅先で襖一枚隔てた見ず知らずの他人、
そこに寂寥感を覚えるのかと思えばさにあらず、
むしろなつかしさを感じるのだとおっしゃるから、またまた驚きでした。

じつはこの時、筆者は少し考え込まざるを得ませんでした。
先生が強調される、「なつかしさ」の感情を
捨て去るような少年期を送って来ていたからです。

小中学校時代、父の仕事の関係でほぼ一年に一校ずつ、
西日本各地を転校しましたから、
なつかしさの元とも言える故郷は筆者にはありませんでした。

そこで、質疑応答の時間に思い切って手を挙げ、
どうしたらなつかしい感情が磨けるのか、質問に及んだのです。
先生は言下にこう応じられました。

「君にもなつかしさを育てる道はあります。
 日本の古典があるでしょう。その古典が君のふるさとです。
 古典をお読みなさい。
 そうすればきっと、なつかしさとはどういうものか分かります」

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以前のブログで、岡先生のことを書いたことがあります。

NHKのアーカイブスで映像が見られます。

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2009/04/nhk_1.html

「ふぐ卵巣糠漬け」の食べ方

木曜日, 5月 3rd, 2012

ふぐの子(卵巣)糠漬  あら与

作り時6月、出来上リ2~3年隻の8月頃~

【北前船の寄港地にのみ伝わる、猛毒の卵巣を珍味に変える伝統製法】

ぽってりと大きなごまふぐの卵巣を塩漬けして1年おき、さらに樽に漬けて、

ふた梅雨過ぎるのを待つ。

その間木樽の中で発酵しつづけ2年後に類い希なる珍味となる。

普通ふぐの卵巣は解体したらすぐに焼却処分にされる。

製品化することが出来るのは、全国でも石川県しかない。

製造しているのは石川県白山市美川、金沢の金石、

大野といった北前船の寄港地に限られている。

ふぐの毒はテトロドトキシンという猛毒で、とらふぐの成魚の肝臓ならざっと30人、

糠漬に使うごまふぐの卵巣でも、生で食べると5~6人は殺してしまうほどの毒がある。

そのふぐの卵巣を2年以上も塩、糠、糀に漬けて毒をぬいてしまう。

今は毒性検査も義務付けられているが、(予防医学協会で検査を受け10マウス以下で合格)

食べ頃は長年の経験から仕上がりの色と香りでわかる。

中毒例は皆無である。 

(食品衛生法の規定は、ふぐ卵巣加工品の毒性指数は

10マウス/100g以下は人体無害となっています)

当店の製品はこれ以下の5マウス/100g未溝です。 

6月に能登沖でとれたふぐにしか卵巣は入っていない。

そのふぐの卵巣を取り出し、30%の壇で撒き塩濱けして1年間貯蔵する。

その後、水で洗って、糠と少々の糀で木樽に本漬けし、ふた梅雨を待つ。

この間、花に水をやるように、鰯の塩漬け汁を絶えず漬け樽にさして、

空気中の悪玉の微生物を遠ざける。

2年半から3年で毒が消えることは経験で知っているが、

そのメカニズムはいまだに解明されていない。

塩の浸透圧で一部毒が流れ出て、

さらに樽に漬けることにより微生物の発酵作用でゆっくりと、

毒を分解するのだと言われている。

 

6月に能登沖で捕れたごまふぐの真子「卵巣」。

← (身と卵巣を分離)

美味しそうだが毒の塊。

体の3分の1もあるふぐの子が加工できるのは石川県だけ。

他県から持ち込めないので製造数は少ない。

 

ふぐの子粕漬は、糠漬けが仕上がった時点で一度ヌカを洗い落としてから

カスに3ヶ月ほど漬け込みます。味がまろやかになります。

 

 

「ふぐ子ぬか・粕漬」の召し上がり方 ㈱あら与

●       そのまま5㎜前後に輪切り又はお箸やスプーンで粒をほぐしてから、

           温かいごはんにのせて召し上がるのが一番の食べ方です。

●       おにぎりの具やご飯に混晋ておにぎりにして、海苔を巻いても美味しいです。

●       又ぬか漬は梅干しの梅肉と和えておにぎりやお茶漬け、

            わさびや三つ葉を添えてお茶漬けもなかなかのものです。

「ぬか漬・粕漬」は保存食として生まれた物なのでどうしても辛く感じられます。

「ぬか漬」はお酢(廿酢)・レモン汁・大根おろしなどの酸味の物とマッチします。

ちびちびお酒の肴にもいいと思います。

応用編として、アクセント的な味付けにピザのトヅビングやパスタの中にもお試し下さい。

2年以上心を込めてやさしく手をかけて出来上がった「ふぐ子ぬか漬」、

さらにその「ぬか漬」を約2~3ヶ月酒粕に漬け込んだ「ふぐ子粕漬」です。

どうぞこの江戸時代から伝承される加賀の味、

発酵食品のすぱらしさをどうぞご堪能下さいませ。

「ふぐ笹干・(平筋)糠・粕漬」の召し上がり方

 
ふぐ笹干は一匹のふぐを三枚に卸し、それを又斜めに削いで塩をし、
 

笹型(平たく小判型)に干した物で、ふぐ片筋よりも薄く柔らかく仕上げております。

そのふぐを糠漬は約一年、粕漬は約半年間漬け込んだ保存食であり、発酵食品です。

糠漬・粕漬どちらも焼かずに、糠又は粕を包丁か布巾で取り除き、

(どうしても洗われる時は、水気を紙ナプキン等で拭き取つて下さい)、

薄くスライス又は、手で裂いてお召し上がり下さい。

糠漬はお茶漬けにとっても美味しいです。

糠漬が辛ぐ感じ.られる時は、お酢(廿酢)・レモン汁をかけてお召し上がり下さい。

糠漬、粕漬どちらもお酒のおつまみに合います。

粕漬はお茶請けにされる方もいらっしやいます。

あら与の糠漬はすべていわしを塩をした時にできる

自家製の魚醤で毎日管理しながら熟成致しました。

このいわしから採れる旨みは血圧の上昇を抑制する効果がある事は、

玉川大学の八並先生の五年間の研究で実証されておりますので、

安心してお召し上がり下さい。

醗酵の極み!猛毒のふぐ卵巣が・・・・・

水曜日, 5月 2nd, 2012

『醗酵仮面』こと小泉武夫農大名誉教授の講演は、

これまで相当数拝聴してきたが、事あるごとに話題を提供する

端緒というか結論というか、兎にも角にも、最大級に絶賛するのが、

「ふぐの卵巣糠漬け」で、これは醗酵史上、最大の出来事であり、奇跡なのだと。

その大本殿、石川県の『あら与』さんの荒木敏明社長と電話で話が弾み、

その商品、ふぐの卵巣を送って頂いた。

怖いもの見たさとはこの事か。

手に取っては見たものの、きっと塩辛いだけのもので、

期待外れに終わるであろうと、恐る恐る口に運んだ。

ところが、どっこい!『これは!うまいぞ!!行けるぞ!!!』と唸る。

卒倒しそうなくらい、う・ま・か・っ・た!!!!!!!!!

これには、言葉は要らぬ。

これは、仕入れるより他、手はないとばかりに仕入れた次第。

以下、小泉博士の解説から、やんわりと導入。

しばし、文言で悶絶あれ。

毒抜きとアク抜き    小泉武夫著 『発酵」から

  フグ卵巣の毒抜き

まず日本にある世にも不思議な発酵、フグ卵巣の「毒抜き」から述べよう。

石川県金沢市周辺の美川・大野・金石地区や、能登地方でつくられている

伝統的発酵食品に「フグ卵巣の糠漬け」がある。

有毒な原料を用いる点できわめて特異であり、その有毒物質を微生物によつて無毒化し、

食品にするという点で奇跡的である。

この地区は明治初期よりフグの糠漬け製造が盛んで、

マフグ、ゴマフグ、サバフグといつた猛毒フグがその原料となってきた。

毒のない肉味を糠漬けするのならわかるが、

ここでは猛毒を持つ卵巣を糠漬けにしてしまうのだからまさに驚嘆に値する。

フグの卵程は、猛毒テトロドトキシンがあるのは周知の通りで、

大型のトラフグの卵巣一個でおよそ20人を致死させるというから猛烈なものである。

ところがこれを醗酵によって解毒し、食べてしまうという発想は世界に他例はなく、

生活の知恵から生まれたものとはいえ強烈である。

まさに漬物王国日本ならではの発想と知恵から生まれた発酵食品である。

その製造法はまず、卵巣を30%以上の塩で塩漬けし、そのまま半年から一年間保存する。

塩漬け後、2~3ヵ月で塩を替えて漬け直すこともある。

一年ほどすぎてから卵巣を取り出し糠に漬け込むが、この際、

少量の麹とイワシなどの塩蔵汁を加える。

こうして重石をして二年間以上発酵、熟成させ、このまま糠漬けとして、

あるいはさらに酒粕に一カ月ほど粕漬けとして出荷する。

一般の魚の糠漬けに比べて使用塩量が多く、発酵期間も数年かけるが、

これは昔から「毒を消しすため」と伝え継がれてきたためであるという。

漬け込む前にあった猛毒は、製品からは全く消えてしまい、

これを食べての食中毒例は皆無であるばかりでなく、

今日では金沢市の名物土産となって売られている。

この毒抜きのメカニズムは、まず塩漬けの期間で毒の多くが卵巣外に流出し、

次に糠漬げの期間で、残留した毒が乳酸菌や酵母を中心とした発酵微生物の作用を受けて分解され、

解毒されるものであることがわかった。

大根やきゅうり、ナスなどを含めて、発酵中の糠みそにはその1グラム

(大体親指のツメほどの量)中に数億個の微生物が活発に生活しているのである。

彼らにかかつたら、あたって恐いフグでも弾を抜かれた鉄砲のようなものになってしまう。

『ふぐの子 ぬか漬』    ¥840(税込)   

『ふぐの子 かす漬』  ¥1,050(税込)

『笹干しふぐ糠漬け』    ¥630(税込)

『ふぐかけ Fー1醤油』    ¥840(税込)

『ふぐの子 醸(かも)し漬け』    ¥788(税込)

テルミン奏者「やの雪」さん来店

火曜日, 5月 1st, 2012

世界初の電子楽器「テルミン」の日本での第一人者「やの雪」さんを、大前君が連れていらした。

10年ほど前、ソフテに勤めていた小百合ちゃんの引き合わせで、

逢えるチャンスがあったのだが、何故かその時は、ご縁がなかった。

10年目にして漸く、叶った訳だが、尽きせぬ話にお別れしたのは、0時を過ぎていた。

写真で、テルミンを奏でる彼女は、いかにも清楚な神秘的雰囲気を醸していて、

なかなか近寄りがたいものがあった。

ところが、会ってみると意外に剽軽で、ユーモアがあり楽しい方だった。

テルミンとの出会いや、ご自身の出自、音楽の経歴などなど・・・・興味が尽きず、

半日では語り尽くせぬものがあった。

音楽を通して、宇宙の根源に至りたいという強烈な願望があるという。

何か、ひどく共感出来るものがあって、古い出会いのような気がした。

ご自身を「テルばあさん」、相手の「テルじいさん」というのが、

何と創始者のレフ・セルゲーヴィチ・テルミンが80年前に自ら作った、

真空管を使ったRCAテルミンのアンテーク、超お宝である。

最新式のテルミンでは、到底叶わない次元境地のそれという。

電子音といっても、これは異次空間に超絶する。

これほど、IT時代になっても、アナログの心の音は奏でられない。

私も、50年前のスピーカー、真空管のアンプでレコードを聴いているが、

その消息は、充分理解できるのだ。

雪さんは、めったにこの重鎮を外に持ち出す気にならなかったという。

しかし、その夜、地下洞「無限心庵」を観て、話を聞いて、ここで演奏したいと言われた。

「テルじい」がここに来たいと言っているらしい。

そんなイベントが、開かれるかもしれない何時か。

皆様を、夢の空間にお誘いしたいと思います。

http://www.yano-yuki.com/

http://www.jvcmusic.co.jp/theremin/index.html

http://www.jvcmusic.co.jp/theremin/whats/index.html

陶彩画展

月曜日, 4月 16th, 2012

千葉在住の本木さんから、札幌で開催される「陶彩画展」のご案内を戴いた。

一目観て涙が流れた本木さんは、その作家草場さんの佐賀の工房まで行かれたほど。

送られたパンフには、その感動が彷彿とされる驚くべき色彩の不思議さが拡がっていた。

仏画から龍に至るまで、人をして惹きつけて止まないのだろう。

全国で巡回しているので、お近くにお住いの方は是非ご覧になって下さい。

札幌は5月8日から13日まで、コンチネンタルギャラリーで開催。

「レモンマートル」のパークヒルさん

日曜日, 4月 8th, 2012

 

「タロッコ」という新種の柑橘柑が入荷した。二度目である。

先に愛媛の福岡自然農園の物が初出荷された。

丁度、福岡先生がお亡くなりになる半年前にお伺いした時に、

お孫さんの大樹君が急斜面と格闘しながら、このタロッコを移植していた。

その頃、温暖化のせいか、夏の暑さが厳しく、全国的にも柑橘類の被害が凄かった。

九州では、焼けが広がり、正品率が急激に下がり、農家を直撃したのだ。

その良い例が米で、一等米が激減して、タイ米などの長粒米に移行せねば、という話しが盛り上った。

そんなことで、イタリア特産のタロッコ、別名ブラッドオレンジが日本でも栽培されるようになった。

生ジュースで、このブラッドオレンジは店の定番になっているが、実に濃厚で旨い。

シチリア地方の灼熱の太陽の精が、ギッチリ詰まって、この抗酸化力は溢れるばかりだ。

10年もすれば、ネーブルのように日本化することは間違いない。

野菜は、元から日本の原種ではなく、ほとんどが外国産が国産化した。

大根も、じゃが芋、トマト、キャベツ、白菜・・・・・・・すべてと言ってよい。

長い年月をかけて、日本の風土に合った特性の日本らしい野菜に変化進化していった。

それは日本人、そのものでもあった。

日本は単一民族と言われていたが、逆にこれほど多民族国家はいないのではなかろうか、

というほど、何千年もかけて多くの異民族が流入しながら単一化していった。

レモンマートルを日本で販売している札幌在住のクレイグ・パークヒルさんは、

そんな意味でも、既に日本人らしい日本人で、

その謙虚さや心の床しさは、我々日本人が失った古き良きものが、

彼の中に息づいていて、感銘を受ける。

彼から何世か後になると、きっと全てが馴染んで、

洗練された日本人が生れるのであろう。

(通訳は、大井わこちゃんです。名訳でしょ。)