まほろばblog

Archive for the ‘文化’ Category

森さんの「花といっしょ」

木曜日, 3月 26th, 2015

お花で御馴染みの森直子さんの『森直子の花といっしょ』の

道新連載が始まりました。

お楽しみに、お読みください。

 

森さん記事

 

こんにちは森です。
いつもありがとうございます。
本日夕刊 の北海道新聞より
月に一度、みなさんに花で和みの時間をご提案する連載がはじまりました。
機会がございましたら、手にとって、みてやってください。

森直子

凛然たる姿態

月曜日, 3月 16th, 2015
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空手家・宇佐美里香さんの凛然とした姿に、世界が魅了されました。

厳しさは美しさ。

女子力が、光りますね。

「麻墨復興」奈良古梅園にて

水曜日, 3月 11th, 2015

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8,9日にかけて、日本最古の墨匠、奈良「古梅園」さんに寄せて戴きました。

春完成に向けての「麻墨」の打ち合わせと、

京都トータルヘルスさんと工房の取材を兼ねて訪ねました。

初めての麻の油煙墨、記念すべき現場に立ち合わせて戴き、

感銘ひとしお深いものがありました。

詳しくは、完成後に報告させて戴きます。

また、墨と香水を包む布を求めて、京都の老舗を訪ねました。

 

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ついに出た!時代が変わった!!!

水曜日, 3月 4th, 2015

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ついに出たか!と言う感がある。

ゲームで「枯山水」。

ボードで「わび、さび」。

とうとうやりましたね。

先日の中一殺人事件。

あの心理の根底には、幼い頃から刷り込まれたゲーム感覚。

相手を「殺す」「やっつける」という感覚が、何とも思わなくなる恐ろしさ。

簡単に再生出来るから、いくら殺してもいい、という深層意識が根深い、

それを許した大人が最も悪いと思うのだが。

勝敗を決するのではなくwinwinの関係で、楽しめる物があっても良さそうだが、と思っていた。

それが、出たのだ。「渋ゲーム」

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当初、当たるはずも無いという予測を、見事に覆して当った。

手作りで生産に追いつかないという。

ある企画コンテストで大賞を得て、爆発した。

ゲームは、みな庭師になって作庭するのだ。石や苔を並べる。

ポイントは、座禅による「徳」だというのだ。

驚くというより、泣けてくる。

ゲームデザイナーの山田空太さんが、京都の重森三玲の庭を鑑賞して

「永遠のモダニズム」を創りたいと発想したという。

あの夢想国師が、絵のモデル。

何ともジジ臭い加齢臭が、評判を呼んでるそうな。

新しい型の人生ゲーム、勝敗ゲームを越えた完成の喜びを、

各自が分け合うのだ。

ほほえましい限りではないか。

箱庭療法を思い出すが、まさに心を養うとも言える。

庭には、神が降り立つ。

勝敗では得られない創造のよろこびを4人で増幅し合う。

はっはっはっは!!!

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ちなみに、6月に山田成子さんの弟さんが、姉を尋ねて九州柳川からまほろばに。

彼は、何と29歳の若き庭師なのだ。

茶を習い、花を習って、精進しているという。

現代にも、見上げた青年が育っているのだ。

 

「銀河観音」登場!

土曜日, 1月 31st, 2015

観音さん抱擁

 

https://www.mahoroba-jp.net/newblog/?p=13083

横浜より、「銀河観音」さまを描かれます高杉嵯知さんがお越しになられました。

座られるや、前にある「平安朝木彫り菩薩像」を抱きかかえて、しばし瞑目。

本物を目敏く見出す心眼に、まず驚かされました。

そして別れ際、山田成子ちゃんの苦しかった半生を聞き、

しっかり抱き締められた、その姿態は仏様のそれと同じでした。

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慈愛の方なんですね。

その満面の笑みから、緒方さんは「活ける観音様」とおっしゃいました。

同心相通じるがゆえに、銀河観音様が示現されて、仏画を描かされたのでしょう。

とても尊いことだと信じます。

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地下洞「無限心」で、滝澤正子さんが歌謡奉納されたその曲は、

嵯知尼に降りて来た聖楽だったのです。

深く、柔らかく、静かに唄い貫かれるそれに、

「これぞ心の唄!」という感動を戴きました。

ありがとうございました。

次回いらっしゃる時は、『銀河観音展』を開催する予定です。

お楽しみに、お待ちください。

 

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「銀河の彼方より」

         作詞作曲:高杉嵯知

1 銀河の彼方より みつめるまなざし

   いつも いつも どんな時も

  宇宙のゆりかごの 花びらのような 

   あなたを そっと見守る

2 銀河の彼方より 御詞ささやく

   いつも いつも どんな時も

  まっかな命の 花びら寄せて

   あなた 独りじゃないよね

3 銀河の彼方より 御仏ほほえむ

   いつも いつも どんな時も

  今・ここ・自在を わかちあい歩む

 

   あなたに 逢えて嬉しい

   あなたに 逢えて嬉しい

 

 

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 もう一つの「倭詩」

土曜日, 1月 31st, 2015
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(2015年初場所千秋楽、白鳳土俵入り。新記録33回目の優勝)

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小学生の頃、田舎に、若き日の大鵬関が中学校の相撲場に地方巡業でやって来た。

今も市の郷土史記念写真に、おばあちゃんと小さい私が、横に立って映っている。

それと、札幌の母の実家が大の相撲好きで、北海道出身の北ノ洋の後援会をしていた。

札幌場所には、おじさんに連れられて行ったり、いつも関取が実家を訪問したり、

恵庭の我が家にも若秩父関が来たりしていたのを思い出す。

戦後の娯楽が少なかった国民にとって、相撲の一勝一敗に一喜一憂していたものだった。

 

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小学校入る前、鏡里、千代の山、大内山・・・・の活躍を、

ラジオに耳をそばだてて聞いていた。

そんなセピア色の相撲なんて、知る人も少なくなった。

それからTVが開局されて、栃若時代がしばらく続いた。

栃錦と白熱した贔屓の若乃花の対戦、

小学生ながら、神棚に祈っては、手に汗水握って応援した。

ところが、初代若乃花が引退した時から、急に相撲熱が褪めて、興味が失せたのだ。

長島が引退したとき、それ以来好きな野球にも、全く関心がなくなってしまった。

もうかれこれ50年も前になるだろうか。

それくらい、大相撲とは、随分縁が遠のいていた。

 

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相撲王国、北海道。

大鵬、北の湖、千代の富士・・・・・

連峰のように聳え立っていたが、今は見る影も無い。

さらに、日本全土がモンゴル勢に席捲せられた。

相撲に、何の興味も無い今回、後藤翁からお声がかかった。

別段、相撲が取り立てて観たいとは思わなかった。

むしろ、「日韓友好海苔」販売の現場視察が目的だった。

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ところが、両国蔵前に着くや街に漂う、その何とも言えない江戸情緒に、

昔の自分が、引っ張り出されたような気がした。

何か50年前の興奮が、胸のうちから滾るように覚えたのだ。

不思議だ。

何ともワクワクする自分に、むしろ自分自身驚いてしまった。

国技館の内戸を開くと、その観客の熱気と小さく見える相撲土俵が、

館内一体になって、溶け込んでいる様子に、ある懐かしさが甦ったのだ。

これが、日本!

 

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(三役の四股で〆る)

 

熱心な相撲観戦者には、何を今更と思うだろうが、

こうも時を離れて、再び自分に再会するということは、人生めったに無い。

TVの小さな画面に収まっているのが相撲ではなかった。

大衆と一体になっている力士の一つの観劇がそこにあって、

うねりのような声援と興奮の波が、打っては返し襲ってくる。

まるで、一幕の歌舞伎を観ているかのようだった。

力士が一人で稽古し取り組みを為しているのではなく、

観客に押し出され、励まされ、慰められている

人情味が何とも言えなく心地よかった。

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この舞台裏には、言葉では語り尽くせない人生劇場があろうが、

しかし、延々と連綿として続いて来た日本の国技が、

かようにして今尚続いてきたことに、敬意を表する。

若い連中も、伝統的なしきたりや様式を学び、

何とか一人前になるべく精進しているさまは、見ていて嬉しい。

呼び出しや行司、小さい時から鍛えられて一生を土俵と共に生きる。

力士ばかりではない。

また、横綱や幕内は一握りに過ぎない。

昔から、どれほどの子が入門して去ったことだろう。

この土俵には、笑いの数より悲しみの別れの涙の方が圧倒的に多いだろう。

この頂点のスターを支えるための底辺には、どれだけの人々がうごめき、

或いは食べている人々が多いことだろう。

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世界の縮図でもある、この相撲界にも危機が何度か訪れたが、

それは野見宿禰(のみのすくね)神のご加護か、何とか営々として伝統行事を持ち応えてくれた。

戦後、経済成長で豊かになった家庭では、餓え渇するハングリーな子供が居なくなった。

どうしても、是が非でも、という切羽詰った生き方が国民全体から失われたのだろう。

国技として、力強い日本人の若者が、次々と輩出してくれることを願いたい。

鬢付け油の匂う相撲が、末永く続くことを祈らずには居られなかった。

 

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(初場所所千秋楽、三横綱、大関の取り組み)

 

「オリンピックおじさん」山田応援団長、『君が代』斉唱

金曜日, 1月 30th, 2015

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14日観戦後、後藤さんは、隣の茶屋「花の舞」に案内して下さった。

大きい店内には、土俵のステージを中心に、ちゃんこ鍋をほうばる相撲客で満席状態。

馴染みの女将さんに、「団長と一緒でもいい?」と聞かれると、

相手が誰なのかも知らず、翁は事も無げに「いいよ」。

そこで案内された所に、山高帽をかぶった派手な出で立ちのおじさん。

(どこかで、見たことがあるなー!?)と思いながら、同席。

そうすると、あちこちから、

「オリンピックおじさん、サインして!」「写真、ご一緒に!」

あぁ、そういえば、TVに出ていた、あのパフォーマンスおじさんか!

その人こそ、山田直稔氏である。

 http://www.naniwa1001.co.jp/olympic/

山田応援団長切手帖

 

いろいろ、話し込んでいるうちに、1968年のメキシコオリンピックから4年毎、

開会式から閉会式まで欠かさず、観戦し応援し続けて来られたという。

費用は、ゆうに一千万円以上かかるという。

さらに、大相撲観戦も1升席16万の初日から千秋楽まで240万も払って、各場所を応援。

グループ企業の会長として、本来の天命を全うされようとしている。

各スポーツの応援団長を自認し、とにかく

日本を元気に、世界を笑顔で満たしたい!

という願いがあられるのだ。

『笑顔の交流 日本国笑顔』の旗を掲げて、世界を日本を股に、駆け回っている。

だれが何と言おうと、この心意気と実践力には、頭が下がってしまった。

 

何と後藤翁と同い歳89歳、今年90歳の現役青年なのだ!

この二人が、意気が合ったというのは、言うまでも無い。

意気投合そのものなのだ。

何か、雰囲気が似ている。兄弟のようだ。

後藤翁の作詞作曲の一連の自作に興味を抱き、早速カラオケ直行と相成った。

まだ、2,3時間も経っていないのに。

実は、カラオケ、ジョイサウンドに後藤翁の作品が5曲も収められているのだ。

これにもビックリなのだが、さらに今回、日本作詞作曲家協会に認められて、

晴れて、正式な作曲家、作詞家とデヴューを果たした90歳の新人なのだ。

それに、すっかり山田応援団長も感銘して、二人でデユエットと相成った。

山田応援団長の最大の持ち歌、それが『君が代』であった。

まずは、それを聞いて頂きたい。

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さすが、百戦錬磨のオリンピックおじさんの「君が代」は、骨身に染みます。

祖国を想う心は、誰にも負けず、「天皇陛下万歳!」もすごい。

次に、後藤翁の「母を慕い、讃える歌」を二人で。

山田応援団長、初めての曲なのに、ノリノリで身振り手振りも慣れたもの。

 

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「人間で一番大切なことは、祖先を敬うこと。

それは、母を大切にすること!!!」

もう、後藤さんとは、一心同体で、すでに「母の会」の同志も同然。

すぐさま、山田応援団長に、母の会の名誉会長をお願いしたのは、時を待たなかった。

こんなことが、あるだろうか。

その日、なんで大相撲なんか観に行くのだろうか、と迷ったのだが、

この一瞬を見届けるために、来たのかも知れない。

この出会いは、とても大切なことのように思えた。

今の世で、理屈でなく、最も必要なことが、

この出会いの中にあると確信するのだ。

お二人は、まだまだ20年も30年も生きる勢い。

このお二人の生き様に、見習いたいと思うや切なるものがあります。

人生まだまだです、まだまだです。

これからです。

とても勇気付けられた、又とない一日でした。

ますますの、お二人のご活躍をお祈りいたします!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日韓友好海苔」in 蔵前国技館

金曜日, 1月 30th, 2015

 

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24日、25日の土日、韓国の後藤吉助翁に招かれて、両国の国技館に向かった。

年三回、この蔵前で大相撲初場所・春場所・秋場所が開かれる。

そこで、「日韓友好海苔」が売店で販売されている。

一度是非とのお誘い、比較的時間がある1月を選んだ。

 

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翁の海苔への思い入れが、出入りの厳しい相撲協会の審査の中で、

「よくぞ、ここまでいたるものか!」と感心することしきりであった。

「母の会」を発足させ、それがどのように展開するのかもあり、

出来る限り、ご協力させて頂きたいと念じるもの。

ところが、この何気ない訪問に、驚くべき邂逅があったのだ。

その不思議を、後述したい。

 

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館内では、翁のみな顔見知りで、誰でも彼でも声をかけての人気者。

とにかく、どんな人にも笑顔で自己紹介、友好を深める。

その開けっぴろげの心には、ほとほと感心するばかりだ。

 

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売店には、あの海苔が装いを変えて鎮座している。

この15日間、満員御礼の贔屓客、きっと観戦する口々には磯の香りがたまらないだろう。

この1枚の海苔が、1箱のお土産が日韓友好のきっかけになることを祈りたい。

最後に、久々の「水入り」の大一番、「照ノ富士vs逸ノ城」の一戦をごらん下さい。

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「千家骨董市」無事閉店

水曜日, 1月 14th, 2015

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5日間にわたる「千家骨董市」昨日、無事終了しました。

注目の「平安朝・木彫り菩薩像」には、多くの方々から感銘のお声が挙がりました。

また、機会があれば、再展示、さらに他の古典類を取り上げたいと存じます。

骨董には馴染み無い方々も、これを機に、ぜひとも古人の心を感得して戴きたいと存じます。

次の機会の開催、またお知らせしますね。

 

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(久しぶりに、佐藤ケイタさんが来店。

父親譲りのマントを羽織り、また似合っていました。)

 

 

『銀河観音』仏画・高杉嵯知尼

水曜日, 12月 17th, 2014

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先月の16日、東京の「衣食革命」の講演会でお逢いした画僧・高杉嵯知さま。

半生途中、尼僧の修行と学問を始められ、

その後「銀河観音」示現に逢い、忽然として観音様の絵が

描けるようになられたとか。

何も思わず紙面に向かい、それがそのまま作品になる、一枚の反故もなく。

まさに天恵、天与、天啓の仏画である。

ことに女性ファンが多く、みな癒されてゆくと言う。

その後、国内外で個展を開かれ、「東久邇文化褒章」を受章されるまで、

まるで観音さまに導かれるように今日まで来られたとか。

 

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銀河観音 高杉さん

 

その高杉さまの御本を、まほろばで取り扱わせて戴いています。

来春一月には、まほろばへ。

その後、何月かに、個展を開く予定でおります。

お楽しみに、お待ちください。

 

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(まほろば扱い:¥2.000)