「すずき」さんは、時々うちに寄ってくれるのですが、
「いとう」さんは、初めてで、みな大慌てで、出迎えました。
何せ「まぼろし」さんですから、みな興味津々でした。
市場でも持て余したのか、私にお鉢が回って来て、
「まほろばさん、買ってーーーー!」と絶叫され、
止むなく哀れみの情を抱いて、仕入れた次第。
「まぼろし」とはいえ、どう食べるのか、みな意外と知らない。
それで、いろいろ調べるととんでもない魚だったのだ。
千島・樺太からニセコの尻別川を南限として、東北に生息していた種は絶滅。
しかし、道内ものだけは、鮭鱒と同じ、降海性をもって海に出るというから不思議。
そしてホッチャレみたいに、一回の産卵で死せず、何度も産卵を繰り返すというから驚き。
それも、雌雄とも相手を変えるというから、何とも・・・・・・のはなし。
それに巨大化して最長2.1mを記録したというから雑食でへびやねずみさえ喰らうという。
個体数は年々減少し、「キャッチアンドリリース」で釣っては放流するのが励行されている。
皮は固く、衣服や履物にも利用されていたという。
道理で、サバキの竹さんが「皮が硬いので、全部引きますよ」と今朝一番に言っていたっけ。
かように、生息数の減少はの第一原因が、河川の直線化と言われている。
蛇行した川の氾濫が大地を肥沃にし、生物種の数を豊かにした。
しかし、コンクリートによる護岸工事は、確かに災害による恐怖を遠のかせた。
しかし、目に見えぬ豊饒な生態系は狂い先細りしていった。
我々は、大切な何かと交換条件に、どうでも良い物を手に入れて喜んだのではあるまいか。
その末路が、今日の日本であり、世界であるのだろう。
郷里恵庭では、茂漁川の護岸を撤去し、昔ながらの緩やかな流れに戻し、草木を繁茂させた。
その結果、驚く程の失われた生命が、どこからともなく蘇って来たという。
毎秒何種類かの品種が、この地上から消えている。
イトウも、いつまでも北海道の河川に戻ってきて欲しいと願うばかりだ。