まほろばblog

Archive for the ‘「倭詩/やまとうた」’ Category

「江差追分とグレイトジャニー」自然医学11月号

日曜日, 10月 21st, 2012

「森下自然医学 11月号」が入荷しました。

会長の「巻頭随想」は『徐福伝説』その四

そこには、船艙から乗組員558名という克明な数まで記載。

日本に向ける出立前夜の事々が細密に描写されている。

どうして解ったのだろうか・・・・、甚だ興味深い。

会長の推論も含めて、今後のスリリングな展開が一層待たれる。

文中初頭、「氣を測定する0-リングテスト」~氣を老化メカニズムの解明に活用する~

の一論文が4pにわたって掲載されている。

その後半、大村先生は「長寿と若返りの鍵を握るテロメア」の関係を発表されていますが、

会長は、その論に異を唱えて、「酵素とビタミン」こそが、その鍵を握ると展開されています。

その詳細は、甚だ興味深く、是非お読みになられて欲しいと思います。

今月から、マクロビオテックの重鎮・田中愛子先生の「食養を極める~一筋の道70年~」の連載が始まります。

2度にわたって、まほろばにお越し頂いた先生は、『倭詩』の愛読者でもあり、激励を戴き恐縮しました。

ところが、その田中先生、とんでもない凄い先生で、連載を読み始めてビックリ仰天しました。

森下会長の血液研究の初期のスタッフとして奔走し、また桜沢先生の直弟子として、

ヨーロッパでの大活躍は目の覚める思い、患者さんも驚くべき著名な方々で、映画を観るようでした。

皆様も是非、お読みください、若き日の先生のイキイキした生き方が活写されています。

今月号の『倭詩』は「江差追分とグレイトジャニー」と題しての一文。

ことしから習い始めた「江差追分」と、それに纏わるあれこれを綴ってみました。

最近、ことに思うのですが、何かに引かれているというか、今回でも江差の大会に、

何故行かねばならないのだろうか、と思いながら、行かざるを得ない状況が出来上がってくるのです。

そして、行ってみると、思ってもみなかった出会いや気付きが、必ず待ち受けています。

まさに、用意されているのです。

この間の京都でも、様々なことがおこりました。

そんな出来事を織り交ぜながら、身近な所から掘り起こし、

大きなスパンで、物事の本質に迫ります。

何事も、その因と果はある法則の中に、取り込まれているように思われます。

先日の講演会でも唄を披瀝しましたが、文意をお楽しみに。

「むすび」誌に『倭詩』書評

日曜日, 10月 14th, 2012

正食協会さんの「むすび」誌に、

『倭詩』の書評と紹介を頂きました。

昨日のJWTの講演会でも「出版記念」と名打って下さって

多くの方々にお求め戴き、感謝申し上げます。

後藤さん、ご来店!

日曜日, 9月 30th, 2012

先日、韓国の後藤吉助さんが、突然来店されました。

大相撲の蔵前国技館で「日韓友好海苔」を売られているためである。

『倭詩』が発刊されたので、急遽、羽田から千歳の便に飛び乗って来道されたという。

お会いしたのは、ものの10分ほどの短い間であった。

そのために、わざわざ足を伸ばせるものであろうか、後藤さんの赤心に又もや、涙した。

今、竹島問題で、彼の地で暮らすのは大変で、今までつきあってきた業者や隣近所が、

急に冷たくなって、よそよそしくなってしまったという。

日韓の軋轢は、現場では相当苛烈を極めているらしい。

何とも、心苦しい。

それでもこれにめげず私に触発されたのか、

後藤さん、ご自分の半生を本にしたいと意欲的である。

早速、同じ出版のIDPさんを紹介し、和泉社長とお会いしたという。

何でも、現場を見て欲しいということで、韓国取材に相成ったとか。

きっと素晴らしい内容の半生記が上梓されることでしょう。

ますますのご活躍を祈るばかりです。

(小雨けぶる中、名残惜しい、お別れでした。)

日本経済新聞に『倭詩』が!

木曜日, 9月 27th, 2012

日本経済新聞の全国版一面に『倭詩』広告が掲載されました。(9.24)

静かに売れて行っているようです。

巨人優勝の陰に「五日市金言」が

火曜日, 9月 25th, 2012

 

宮下社長さま                                    

 素晴らしい著書『倭詩』を送ってくださり、ありがとうございます。

本書のところどころにすごい金言が隠されており、ワクワクしながら読ませていただきました。

我が家の家宝とさせていただきます。

ところで、おととい こんな記事をみて驚きました。

よろしければ、ご覧下さい。

                             

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120922-00000046-sph-base

                                五日市 剛

◆原監督を支えた五日市剛さん(工学博士)の「ツキを呼ぶ『魔法の言葉』」 今年4月に知人に紹介され手にした。五日市さんがイスラエルに旅をした際、1人のお年寄り女性に出会い、たとえ事故を起こしたときでも「ありがとう」と言いなさい、と学んだ。「イヤなことが起こるとイヤなことを考えるでしょ。そうするとね、またイヤなことが起こるの」と気持ちの負の連鎖を説いた。そこで「ありがとう」と言うことで「不幸の鎖が断ち切れる」と言われたという。

佐治晴夫先生と

月曜日, 9月 24th, 2012

あの「ゆらぎ理論」を、世に知らしめたと言えば、佐治晴夫先生。 

そのご講演が、山の手の浄国寺さんでお彼岸に開かれました。

私は、前約があり、残念ながら参加できなかったのですが、

前日、運よくお会いすることが出来ました。

数学者であり、音楽家であり、享栄学園理事長でもある先生の

その宇宙理論に魅了される方々は多かろうと思います。

スタッフでもあるホウズキの光作家、波多さんが「倭詩」を直接渡され、

赤面するところでしたが、先生が頁を開かれ、すぐさま書体に反応されました。 

先生の差し出された名刺が、宋朝体で、

このフォントが中々無くて、特別な所で、別注されるそうです。

そんなこだわりがあるせいか、書本全体に使われていることに感心されておられました。

ピアノやオルガンなど自在に弾かれる音楽家でもある先生とは、

短い時間ながら、音楽について語り合えることが愉しく、

ことに、書中の「六段」とグレゴリア聖歌の関連性には、ご興味を示されました。

最後に揮毫を求められ、食事処にあったごぼう筆で、

「理数象宇内、音曲養人心」

「理数は宇宙(内)を象り、音曲は人心(性命)を養う」と

先生に相応しい内容を書かせて頂きました。

またの再会で、更なるお話しに花が咲きますことを希望しながら。

道新書評欄に『倭詩』が・・・・・

月曜日, 9月 24th, 2012

北海道新聞の23日(日)版の書籍欄の「ほっかいどうの本」で、

「倭詩」が短いながら、紹介されました。

道新にも『倭詩』が

金曜日, 9月 21st, 2012

この19日(水)にも、北海道新聞の一面左下に『倭詩』の広告が。

北海道発となっておりますが、歴史のない北の涯から、

歴史ある日本の国を語っても良いのではないかと思うのです。

客観的に眺望し、そして主観的に一体となり、

新たなる眼差しで、日本の越し方行く末を綴って行きます。

その果に、和の国が再び甦らんことを・・・・。

水産新聞に『倭詩』の紹介が

水曜日, 9月 19th, 2012

「水産新聞」に、新刊書『倭詩』の紹介文が掲載されました。

今釧路沖では、ミンククジラの試験操業が始まっており、かねてから

小泉武夫先生が孤軍奮闘、伝統漁法としての捕鯨復活を訴えております。

その辺りの消息も、詳しく書かれている本書。

漁業関係者にも必読の一書としてお奨めいたします。

「明朝体と宋朝体」自然医学10月号

火曜日, 9月 18th, 2012

「森下自然医学」10月号が、発刊されました。

会長の巻頭随想は、『徐福伝説 其の三』、「いざさらば、連雲港よ」。

徐福が、渡航軍団を率いて、故郷連雲港を離れる際の様子がありありと活写されている。

いわば、この2200年前の事項により、呉越人が日本に大挙押し寄せた。

だが、それは略奪領有することなしに、日本に同化し、一体化して今日の基を作った。

この2,3日、尖閣諸島が、喧しい。

さて、どうなるものか固唾を呑んで見守る。

現政権の、即断即決の英知無きが悔やまれる。

今月号は、『倭詩』発刊に伴い、5pも割いて取り上げられた。

森下自然医学とのご縁があってこそ上梓出来たのであって、

ありがたく、深くここに感謝したい。

森下会長からの推薦文が掲載されている。

彫琢を加えた文藻が、長く読み耐えられるように。

今月号の「倭詩」は、『明朝体と宋朝体』と題して。

今回本文に使った書体が「宋朝体」という、一般に使用されている明朝体とは異なる。

私が少年期から、慣れ親しんで来たせいもあり、これを出版社に依頼した。

ところが、近代出版史上、かつて無かったという事実を知り、

驚いたのは、当の私自身であった。

そこから、この物語が始まる。

この本は、内容もさることながら、書体自体、革命的なことであると出版代表者が語られた。

ついぞ、誰もが気が付かなかった書体に焦点を当ててみた。

これは、単なる個人の思い付きではなく、長い歴史的な見地でもある。

それは遡ること、明の600年、宋代1000年に亙ることにもなる。

これから火種がついて、この試みが広く拡がらんことを望みたい。