「神農像」!!!
木曜日, 12月 3rd, 2015先日届いた突然の贈り物。
それを見て、事務所の一同、ビックリ仰天 !!
富山県「さくさく村」の吉田剛さんから、30周年記念で贈られて来たのだ。
こんな手の込んだ立派な大像、何とも恐縮するばかりで、勿体無い。
そこで、私への文書を掲載するのは、甚だはばかれるのですが、
神農さまと吉田さんのことを語る端緒になるので、あえてご紹介させてもらいます。
地元の若手彫刻家に依頼されての作像、一年がかりだったのではと思います。
さっそく、朝のミーティングでお披露目。
みんな目を白黒させた。
「神農さまって知っている??」
ほとんどが知らない。
昔、「伏犠、神農、黄帝……帝尭、帝舜、帝禹…」中国の神様を暗記させられたものだった。
「よく漢方薬屋さんに行くと、飾っている、あの角のある仙人みたいの観たことない?」
そうすると、何人かはうなずく。
左手に、鍬を持っている。
神農と称されるだけに、「農業の神様」なのだ。そして、何と、
昼間に、農産物を売る為に市を開いたという。だから、
「商売の神様」でもあるのだ!!
中国では、商店街でも祀られている。
何だか、吉田さんが言うように、まほろばみたい。
農業と商売。
それに、右手で草を持って、かじっているね。
あれは、薬草か毒草か、人体実験しているんだ。
だから、伝説によると、一日に70回も倒れた、というほど命がけだった訳だ。
つまり、「薬の神様」となった聖人でもある。
それが「神農本草経」という世界最古の超古典の薬の聖典になったから、すごい!
これも、健康ということでは、まほろば的だね。
さらに、関わりは、古琴。
青年時に学んだ中国のこの琴が、神農が作ったという言い伝えがある。
伏犠が五弦琴を作り、尭帝が二弦足して七弦にしたという話もあるし。
いずれにしろ、「音楽の神様」でもある訳だ。
そして、極めつけは、「富士古文書」の解説で、故渡辺長義さんが言うには、
日本人の祖先は、神農に始まるという伝書だ。
つまり「日本人の始祖」。
一遍に神農さまづいて、神農尽くし。
ここまでの関わり方に、さすが気付いたことはなかった。
今になって、「成る程、ガッテン!」と、急に近しくなって、ボタンを押した。
それを、何とはなしに感じて、吉田さんが送って下さったのだろうか。
そうであれば、彼はすごい直感と洞察力。
彼は、富山県南砺市で、著名な農業指導者のお父さんの跡を継がれている。
「さくさく村」の代表である。http://oisii.jp/
恵まれた大地とご両親と、そして仲間たちに囲まれ、
お米をはじめ、あらゆる安全安心な農産物の生産と普及を手がけている。
この南砺市と石川県金沢市にまたがって医王山がある。
そこから、加賀前田藩が珍重した秘蔵石、珪酸が多い薬石が採取される。
それが「医王石」。
エリクサーのセラミック作りにも一役買ってもらっている。
日本のフォッサマグナ帯に位置した良質な土質の元で、吉田さんは営農している。
つまり、地の利を得た農業で、農家にとって何とも羨ましい話である。
あの魚沼のコシヒカリもその地続きだから、日本一だった。
彼の「医王舞」の米は、あのタカコナカムラさんの本にも紹介されている。
それにしても、驚いたのは、
エリクサーでも度々紹介しているアメリカのP・キャラハン博士の許に、
常磁性のことを学びに渡米した行動力である。
その時の写真が、これだ。
常磁性の計測器テックメーターも手に入れ、
博士から直接、その自然観と原理と技術を熱心に学んだ。
その若き情熱には、本当に驚いてしまった。
そんな彼は、日本の農業を引導する立派な指導者になるに違いない。
きっと、天のアンテナで、神農さまと繋がっているだろうから。