まほろばblog

Archive for the ‘人生論’ Category

「のれんに咲顔(えがお)さかせたい」

日曜日, 4月 7th, 2013
    森 裕子(森からし蓮根17代目女将)

            『致知』2013年5月号
                  致知随想より

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いまから五十年ほど前のこと。
降り出した雨の中、慌てて道を渡ろうとしたことが
すべての始まりでした。

当時十八歳だった私は、後に主人となる男性の車に
撥ねられてしまったのです。

幸い打撲程度で済みましたが、
彼は何度も見舞いに来てくれました。

驚いたことには、そのご両親まで
「これも何かの縁だ」と私のことを気に入ってくださり、
ぜひうちの嫁にと勧められるのです。

私はまだお嫁に行く気はありませんでしたが、
家の事情で上の学校に上がれなかった私に
「そぎゃん勉強がしたけりゃ、うちへ来てから学校へ行ったらよか」
というご両親の計らいがあり、
私はその言葉を百%信用して嫁ぐことに決めました。

嫁ぎ先の「森からし蓮根」の歴史は
寛永九(一六三二)年に遡ります。

先祖の平五郎は賄い方として熊本城に出入りし、
病弱だった藩主・細川忠利公のための健康食として、
からし蓮根を考案しました。

忠利公は大層喜ばれ、褒美として脇差し一振り、
小判十枚、苗字帯刀を許したといいます。

以来からし蓮根はお殿様の専用食として門外不出、
一子相伝で代々受け継がれてきたのです。
そして維新後の明治十年から現在の城下町に
店を構えるようになりました。

しかしいざ家に入ると、結婚前はあれほど優しかった主人が
「そぎゃんこつも分からんとか、バカが!」と
容赦なく私を怒鳴りつけてきます。

仕事も万事見て覚えろというやり方で、起床は午前三時。
毎日何百本もの蓮根を茹でたり揚げたりし、
昼からは店頭にも立たなければなりません。

義父母が猶予期間を与えず私に結婚を即決させたのも、
世の中を下手に見させまいとする判断だったのでしょう。

何より辛かったのは四十四年も続いた義母との、
嫁姑の確執です。

人にサービスをすることです

土曜日, 4月 6th, 2013
最も難しく、かつ最も大事なことが
     人にサービスをすることです。

           水戸岡 鋭治(工業デザイナー)

               『致知』2013年5月号
                  特集「知好楽」より

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私は、働くとは即ち人にサービスをすることだと思うんですね。
人のことを考えられるのは能力が高いということであり、
幸福になれる基本ではないかと。

だから私の事務所では十名ほどスタッフがいるんですが、
来客の予定があると「こういう人でこのくらいの年齢だ」
とだけ話してお弁当を買いに行かせます。

お客様のことを考え、いかによい弁当を買うことができるか。
それができない者によいデザインはできません。

お客様には一時間おきにお茶を出し、
三時にはおやつを、夜には夜食を用意する。
だから会議があると大変で、社員はデパートへ買い出しに、
お茶出しにと、一日中走り回っています(笑)。

会議とはどういうものであるかが
若い人にはなかなか分からないようですが、
いいお茶が出たり、いいお菓子が出るといい会議ができる。

だから新人は皆それを一年なり二年なり一日中やるんです。

おいしいお茶がはいるとお客様も長居をされますから、
豊かなコミュニケーションができて、
よい信頼関係が生まれるんですね。

だから若い子によく言うんですが、
絵を描いたりコンピュータを動かしたり、
そんなことはいつでもできるよと。

新人の時にお茶出しをやったり、
弁当を買いに行ったりしたことが、後でどれほど役に立つか。

棚から食器を出して、
どれをどう使うか考えているだけでも
センスを磨ける。

つまりデザインセンスはテーブルの上だけで
ほとんど磨けるんですね。
最も難しく、かつ最も大事なことが
人にサービスをすることですから。

「学級崩壊のクラスをこうして再生させてきた」

木曜日, 4月 4th, 2013
  菊池 省三(北九州市立小倉中央小学校教諭)

        『致知』2013年5月号
               特集「知好楽」より

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本年度(平成二十四年)四月、
赴任したばかりの小学校で
私は六年生を担任することになった。

初めて来た学校でいきなり最終学年を持つことは
あまりないが、隣のクラスの先生も
着任したばかりだという。

聞けば一年間で六人担任が代わったこともある
大変な学年で、卒業年次にもかかわらず
誰も持ち手がないということだった。

クラスの状態は確かにひどく、
私がよそ見を注意すると、
多くの子がチッと舌打ちをしたり、
「分かってま~す」などと横柄な受け答えをする。

ひどい場合には机をバーンッと殴り、
反抗的な態度を露わにすることもあった。

一年間で担任が何人も代わってしまうのには、
子供だけでなく、親のほうにも問題がある。

僕は悪くないのに、という
子供の一方的な話を聞いた親が
「担任の指導が悪い」と抗議をしてくる。

親である自分や我が子にも
非があるかもしれないという意識はまるでなく、
文句を言えばどうにかなる、
実際に担任を代えさせることもできるという
悪循環に陥っていた。

そうやって他者を攻撃するのは、
自分に自信や安心感がないことの裏返しでもあるのだが、
本人たちは我こそが正しいと信じて疑わない。

こうした例は一年前の私の学級ばかりでなく、
全国的にもほぼ似たようなものではないかと思う。

「人の世に変わらぬものは変化のみ」

水曜日, 4月 3rd, 2013
  西水 美恵子(世界銀行元副総裁) 

              『致知』2013年4月号
               連載「第一線で活躍する女性」より

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(国民総幸福量という言葉で知られるブータンは)
日本では長閑で幸せな国だと考えられているようですが、
実際はそんな生半可なものではありません。

ブータンは人口七十万にも満たないのに、
およそ十二の異民族を抱える多民族国家ですから、
国家経営を誤るようなことがあれば
隣国の中国やインドに潰されてしまうリスクが常にあります。

雷龍王四世はこの難題に本気で取り組んでおられました。
世界を見渡せば、どの国家にでもバラバラになる
リスクがある中で、雷龍王四世ほど
危機管理的な国家戦略を念頭に置くリーダーは、
私にとっては稀有な存在でした。

実際、出会いそのものからして異例でしたから。

初めてブータンを訪問したのは、
副総裁になってからのことでしたが、外交儀礼上、
総裁でもなければ陛下に謁見を賜りたいなどと、
言えません。

ですから国王にお会いするつもりなど毛頭なく、
これはどの国でも初訪問で必ずしていたことですけれど、
空港から寒村へ直行して、農家に滞在する
という旅程だったのです。

ところがブータンのパロ国際空港に出迎えてくれた
大蔵省次官が、おもむろに
「明日、陛下が謁見を賜るとのご命令だ」と……!

新任の副総裁が日本人で、そのうえ女性だから、
お珍しいのだろうというくらいに思っていたのです。

でも謁見後に大蔵大臣が教えてくれたのですが、
陛下は私の旅程を事前にご覧になって、

「この副総裁は、本気で我が民のために尽くすつもりだな」

とおっしゃったそうです。

初めて陛下にお会いした時、開口一番、
こう仰せられました。

「人の世に変わらぬものは変化のみ」。


絶対王制から民主制への政治改革を
先導しておられたのですが、国民は猛反対。
「無常」だからこそ改革は先取りするのが賢いと、
国民を説き回っておられたのです。

具体的な取り組みについてお話しくださったのですが、
私はその一所懸命さ、本気で国民のことを考えて
事をなさるお姿に胸打たれました。

そこにはご自身の地位への固執など微塵もありませんでした。

当時、世銀の組織文化を変える改革を始めたばかりで、
風当たりが強く、随分悩んでいたのですが、
陛下のそのお言葉がストンと心に落ちました。

どのような環境に置かれようとも、一所懸命に、
成長し続ける組織文化の種を一粒でも蒔けばいいのだと。

そうしたら急に心が軽くなって、無礼にも、
御前でクスクス笑い出してしまったのです。
陛下は、面白そうにご覧になっておられましたけれど(笑)。
それからのお付き合いです。

国王陛下は私にとってただ一人の「メンター」です。

「親を選んでくる子供たち」

火曜日, 4月 2nd, 2013
    池川 明(池川クリニック院長)
           『致知』2013年4月号
                 連載「生命のメッセージ」より

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胎内記憶を語る子供たちの中には、例えば
「僕はさぁ、雲の上で見ててママのところにビューンて来たんだよ」と、
生命が宿る前の中間生や過去生の記憶まで出てくるケースもあるんです。

最初に気づいたのは、ある女の子が、女優さんになりたいから、
空の上から綺麗なお母さんを選んできたって
話しているのを聞いた時です。

調べて分かったのは、胎内に宿る前の記憶を持っている子が
二十%、五人に一人いたんです。

おなかの中の記憶以上に不思議な話ですから、
オカルトっぽいし、虐待や中絶をする親はどうなんだといった
疑問や反論も受けます。
わざわざそんな親を選んでくる子がいるのはおかしいと。

こういうことを言うと結構批判を受けるんですが、
これまで聞いた話から推測すると、どうもそういう子は、
敢えて虐待や中絶をされるために
その親を選んできているようなんです。

恨んでいる子は一人もいなくて、みんな
「お母さんありがとう」って言うんです。

赤ちゃんはお母さんを精いっぱい応援していますし、
命を懸けてお母さんを守ろうとしています。

そして長い目で見ると、中絶や虐待があったことによって、
お母さんや家族が愛情を取り戻したりすることがあるようなんです。

あるお母さんは義理のお父さんを恨んでいたそうなんですが、
赤ちゃんを流産した後、そのお義父さんが
「神様は絶対に悪いことをしないから」と
声をかけてくれたそうなんです。

実はそのお義父さんは、かつて病気で九死に一生を得た方でした。
お母さんはお義父さんの優しさを初めて実感して、
家庭が穏やかになったそうです。

それからあるお母さんは、自分が子供の頃に
虐待を受けて嫌な思いをしたのに、
今度は自分が我が子に虐待をしていた。

ある時我が子の写真を見たら、
目の奥に仏様の慈悲の心が見えてハッとしたそうなんです。

すぐ子供にそれまでのことを謝ったら、
その子は僅か五歳なんですが

「僕はお母さんが分かってくれるって信じていた。
 だってお母さんがそうするのは
 お祖母ちゃんからそうされたからだし、
 お祖母ちゃんもそうされてたんだから誰も悪くない。
 お母さんが気づいてやめてくれてよかった」

って言ったそうなんです。

【村上:考えさせられる話ですね。
    その母親のように、自分が子供に選ばれたことを自覚すれば、
    親子関係は随分変わるでしょう】

それは子供にも言えることで、
この母親を選んだと思うと親子関係はよくなります。
人生が辛かった人も豊かになるんです。

「ありがとう」の反対語

月曜日, 4月 1st, 2013
  大山 真弘(おおやま・しんこう=蓮華院誕生寺内観研修所所長)
           『致知』2013年4月号
                      致知随想より

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 してもらったこと。

 お返しをしたこと。

 迷惑をかけたこと。


この三つの問いかけを通じて人生を振り返り、
自分を深く見つめていくのが「内観」です。

日本で発祥したこの心理療法に私が出合ったのは、
いまから二十五年前のことでした。

かつて私は商社やメーカーに勤め、
社長賞をいただくほど熱心に仕事に励んでいました。
海外勤務の機会にも恵まれ、
充実したビジネス人生を送っていました。

母が重い病で入院したのは、
私がブラジルに出発する直前でした。
余計な心配をかけまいと、
父も母も私に本当の病名を伏せていました。

「しっかり仕事をするんだよ」

病院のベッドで送り出してくれた母の微笑みと手の温もりは、
いまも忘れられません。

危篤の報を受けたのはそれから一年後でした。
赴任先からようやく駆けつけた時、
母は既に息を引き取っていました。

大切な親の死に目にも会えないこの仕事にどんな意味があるのか。
父はなぜ本当のことを告げてくれなかったのか。
自分はこのままでいいのだろうか……。

激しい葛藤から私を解放してくれたのが内観でした。

幼い頃まで遡り、母にしてもらったことや、
迷惑をかけた記憶を思い起こすと涙が止めどなく溢れ、
ほとんどなんのお返しもできていなかったことに愕然としました。

同時に、父が息子の活躍を願ってあえて母の病名を隠した親心、
私を育てるためにかけた数々の苦労に思い至り、
わだかまりは氷解しました。

私は学生の頃から「人の役に立つ人間になりたい」と
いう思いを抱いていました。

内観の素晴らしさを実感した私は、会社を辞めて出家し、
内観指導の道を歩むことを決意したのです。

現在、指導を行っている熊本の蓮華院誕生寺には、
健常者ばかりでなく、摂食障害や鬱病、
アルコール依存症等々、様々な問題を抱えた方々も
お越しになります。

一週間も内観を続けると、それまで他者を非難し、
被害者意識に陥っていた方が、問題の原因が
実は自分にあることに思い至ります。

正しいと思い込んでいた自分が、
これまでいかに人に迷惑をかけてきたか、
にもかかわらず、いかに支えられて生きてきたかを悟り、
感謝の念を抱くことで、楽に、
明るく生きられるようになるのです。

夫婦や子供の問題に悩み、相手を変えたいと思っている方は、
まず自分が内観することで問題が大きく改善することに驚かれます。

こうした指導体験をもとに、私はこの程
『お母さんにしてもらったことは何ですか?』を
上梓しましたが、内観ではまず、
母親についての記憶を辿りながら、
冒頭の三つの問いかけをしていきます。

母親は自分を産んでくれた大切な人であり、
あらゆる手間をかけて自分を育ててくれた
最も身近で尊い存在だからです。

母親のいない人でも、それに代わる方はいるはずです。

一人静かに記憶を辿るうちに、不思議なもので、
心の奥にしまい込まれていた遠い日の思い出が
一つ、二つと甦ってきます。

母親との関係が良好ではない人も、
それまで思い至らなかった母親の心情を悟り、
憎しみが感謝の念に変わっていきます。

ある男性は、重度の認知症になった母親の介護に
葛藤を抱えていました。
意思の疎通もできなくなった親を
介護することにどんな意味があるのかと。

最初は内観にあまり乗り気ではありませんでしたが、
あるイメージが浮かんだことをきっかけに、
一気に内観が深まりました。

そのイメージとは、俵形の真っ黒なおにぎりでした。

「谷亮子選手との出会い」

月曜日, 4月 1st, 2013
 稲田 明(帝京豊郷台柔道館館長)
        『致知』2013年4月号
              特集「渾身満力」より

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私は福岡県警にいた二十七歳の時、
東福岡柔道教室を始めたんですが、
十年が経って全国少年大会にも出られるようになった
昭和五十八年に、彼女(谷亮子選手)は
お母さんに手を引かれて道場へ来ました。

当時七歳でしたが、まだ五つくらいかなと思うくらい
体が小さくて、柔道は全然やったことがないと。

三つ上のお兄ちゃんがいましたから
その見学に連れてこられたのだと思いますが、
柔道着を着せてみると、その着こなしが実にうまいんですね。

試しに受け身を教えてみたら非常にもの分かりがよく、
この子、何かあるかもな、と思いながら最初は見ていました。

私は子供が成長していく上で、
指導よりもアドバイスが大事だと思うんですが、
最初に言ったのは

「おまえは体が人一倍小さいのだから、
 三倍の努力をしなさい」


ということでした。

二つ目は

「柔道に限らず、一度やろうと決めたら
 最後までとことんやり通しなさい」


と。すると本人も聴く耳を持っているというか、
そういう器があったんでしょうね。のみ込みが早いんですよ。

学校へ行く前の朝練でも皆より一時間も前に道場に来て、
掃除をしたり、ゴムチューブを引いたりして
練習が始まるのを待っている。まだ小学校の二年生ですよ。

練習中も絶対に手を抜かないし、
小学生の部が終わった後も一人居残り練習をし、
高校生と同じように、夜十時半までトレーニングをして帰る。
それくらいの努力を小さな頃からしていました。

それでも、小学校の時はまだ体が小さくてもやれたんですが、
中学生になると体が小さ過ぎて団体戦には使えません。

そうすると、いままで一時間早く出てきていたのが
だんだん遅くなり、どうしたのかなと思って本人に尋ねました。
すると「ピアノと習字を習っている」と言ったもんだから、

「おまえ何を考えてるんや!
 ピアノや習字には五輪はないんやぞ。
 どれか一つにしろ。

 でないと三つとも全部ダメになってしまう」

と言いました。
その日はもうポロポロ涙を流して帰りましたが、
明くる日にはケロッとした顔で一番に来て
「柔道を頑張ります」と言ってくれました。

ニックの奇跡

土曜日, 3月 30th, 2013
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乙武さんの映画「だいじょうぶ 3組」が封切りになりましたが、
外国にも、同じように生きているニックさんがいらしたんですね。
ただ見るだけで、勇気を戴きました。
ありがとうございます。
 
http://daijyobu-3.com/

 

 

 

「あすは運動」

木曜日, 3月 28th, 2013
   松原 泰道(龍源寺前住職)

                『致知』2008年9月号
                   「読者の集い」より

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これはかなり前のお話であります。
ある新聞を読んでいましたら、
女子高で教える三十歳くらいの国語の先生の投書が載っていました。
それを読んで私は非常に感動したんです。

当時の女子高の生徒でも、
やっぱり挨拶を全然しなかったといいます。

だからその先生がやり切れなくなって、

「そんなふうに黙っていたら、
  家庭間も友人関係もうまくいかない。
  就職してもうまくいかないから、
  きょうからは少なくとも三つの挨拶を実行してほしい」

と言われたそうなんです。
先生が唱導されたのが

「ありがとう、すみません、はい」

の三つの言葉でした。

この三つさえ言えれば、交友関係もうまくいくし、
人に憎まれることも、人をいじめることも少なかろう。
君たちが上の学校に上がらず、このまま就職したとする。

その職場の中で皆が黙っていたら、
君たちが進んで大きな声で

「ありがとう、すみません、はい」

と言えばいい。これを繰り返せば、必ず事故が減る。

そして先生は三つの言葉の頭文字を取って
「あすは運動」と名づけたそうです。

私は、これはいいことを聞いたと思いましてね。

その後、いろんな会社やどこかでお話をするたびに、
この「あすは運動」をお勧めしたのです。
そうしたら確かに事故が減るんだそうですね。

皆さんも試しにやってごらんなさい。
ご家庭でも職場の中でもいいですから。

「ありがとう、すみません、はい」

この挨拶を繰り返していけば、自然に心が安らかになっていく。
これは禅語の上からも考えられます。

「ありがとう」という言葉は「感謝」と同義語になっていますが、
本来の意味は「有ること難し」です。
滅多にないということ。稀有の事実であります。

いまお互いがここに生きているということは、
考えてみれば稀有の事実です。

私なんか、後期高齢者も越えてしまって、
もう末期高齢者ですよね。
孫が挨拶代わりに「おじいちゃん、いつ死ぬんですか」
なんてことを聞いてきます(笑)。

この頃、朝起きて着物を着せてもらう時にしみじみ思うのですが、
あぁ、きょうもまた生きていた、と。

百歳を越えましてね。
何もかも人様のお世話になりながら、
生きさせていただいているんだということが、
本当に分かってまいりました。

有り得ないことが、いまここに有るんだという事実。
だから感謝の前に、まず、稀有の事実を知ることです。

それから「すみません」。

この言葉は若い女性が嫌うんです。
何にもしないのに「すみません」なんて謝るのは
侮辱だなんておっしゃるけれども、そんなふうに考えずにね。

すみませんとは、「謝る」という意味より前に、
「すんでいない」ということなんです。
決済をしていない、未済だということです。

皆様もお気づきでありましょうが、
私たちは自分一人で生きていられるんじゃなく、
大勢の人の力を借りて生きさせていただいている。

その恩返しがまだすんでいません、という深い反省の言葉なんです。
それを自分に言い聞かせる意味で「すみません」。
これなら気持ちよく言えるだろうと思います。

第三の「はい」は、単に人に呼ばれた時の返事だと思うから、
なかなか声が出てこないんです。

「はい」と返事をすることは、自分が自分になるということ、
自分自身を取り戻すことができるということです。

誰かに呼ばれた時にモゴモゴするよりも、
「はいっ!」と、こう返事をしてごらんなさい。

気持ちがスカーッとして、自分に出会うことができる。
だからそういう何でもないような挨拶や言葉の中にも、
これこれの意味が含まれているということを
考えていただければと思います。

      (『致知』2008年9月号「読者の集い」より)

「般若心経が教える智恵」

木曜日, 3月 28th, 2013

 

   重松 昭春(意識開発フォーラム「メタワーク・ナウ」主宰)

                『致知』2013年4月号
                      致知随想より

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かつて、十年もの間、夜尿症に悩み、
中学二年生になっても治る気配のない子供の親から
相談を受けたことがあった。

特に器質的な疾患があるわけではなく、
鍼灸、漢方薬を始め、様々な治療法を試み、
宗教にも縋ってみたが、一向に効果が見られない。

そのうちどうにかなるだろうと考えているうち、
十年が経過してしまったというのである。

私は昭和三十年頃から脳力開発の研究に取り組んできたが、
器質的な疾患がなく、夜尿症が続いているケースには
おおよそ次の特徴がある。

おねしょが発生する問題の根拠は消えていて、
「問題を持続させる根拠」だけが続いているのである。
ではその根拠とはなんだろうか。

こうした時、私が問題解決の糸口とするのが、般若心経である。
若い頃に教えを請うた巽直道先生は元エンジニアで、
仏教の専門家ではなかったが、その教えは
実に具体的かつ実践的なものだった。

巽先生の仏教講座を受け、自分自身の持つ思い込みから
解放された人たちが、病気や家庭不和をたちどころに
解消してしまう姿を何度も目の当たりにしてきた。

先述のおねしょを持続させている根拠とは、
親子のおねしょに対する強いとらわれと不安である。

般若心経でいえば「け礙(心身の自由を失うこと)」と
「恐怖」に支配されている状態だ。

その気持ちの表れとして、親は子供が寝る時の夜具に
おねしょマットを敷いている。

また、夜半にはわざわざ子供を起こして
必ずトイレに行かせるという。

これは自律神経の働きから言っても不自然であり、
子供に心理的負担を強いることにもなってしまう。

つまりおねしょに対する母親のこだわりが強いと、
子供の意識にも深い影響を与え、
母親の不安どおりにおねしょは繰り返される。

私は彼女にそのことを理解してもらった上で、
お母さんの意識の転換がまず必要なのだと訴えた。
そして子供に対して次の宣言をしてもらうことにした。

「きょうからおねしょマットを取ります。
  夜に起こして一緒にトイレに行くのもやめます。

 おねしょがちゃんと治る方法を先生に教えてもらったから、
 あなたはお母さんを信頼してくれさえすればそれでいいのよ」

ただ、母親としてはおねしょマットを取り、
子供を起こすのをやめたとしても不安は消え去らないだろう。
そこで私は彼女に

「本当に問題を解決したいのであれば、
 どんなことでも素直に実行しますか」

と確かめた上で、般若心経の「般若波羅蜜多」の実践を勧めた。
といっても難しいお経の話をするのではなく、
次の言葉を唱え続けてくださいというだけである。

「治る、治る、治った。ありがとうございます」。

これが実は「渡った、渡った、彼岸に渡った……」という
「般若波羅蜜多」の翻案で、未だ成し得ない現象が
自分の意識の中で実現して喜びに満ち、
感謝していることを示す。
その行為を何回も繰り返してもらうのである。

本当にそんなことだけで、長年におよぶ子供のおねしょが
治るだろうかと疑問を持たれるかもしれない。
しかし実際に私のアドバイスを実行した母親により、
子供のおねしょは四日目には完全に治ってしまったのである。
私はこの後、夜尿症に悩む十組以上の親子から相談を受けたが、
いずれも数日間で問題は解決した。

他にも般若心経の教えを応用していじめ自殺を思いとどまらせた子、
勉強嫌いだった子が高三から突如猛勉強を始めて
難関大学に合格したケースなど、例を挙げていけば枚挙に遑がない。