まほろばblog

Archive for the ‘人生論’ Category

「負けてたまるかと静かに自分に言いなさい」

土曜日, 8月 31st, 2013
松平 康隆(全日本バレーボール協会名誉会長)

              『一流たちの金言』(致知出版社)より
           http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

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やっぱり私の一番根源的な思いは
「負けてたまるか」ですね。
これは母の教えでもあるんです。

私の母は娘盛りの16歳の時に
銭湯で細菌に感染し、一夜にして
目が見えなくなってしまいました。

その後、縁あって父と結婚し、私を産んだのが昭和5年。
ご存じでしょうけれど、その前年の昭和4年に
世界大恐慌がありました

いま100年に1度の大不況といわれていますが、
こんなもんじゃない。

あの時は餓死者が出るほどの困窮の極みだったのです、

父は小さいながらも事業を営んでいましたが、
 父にもしものことがあれば、
 目の見えない自分と小さな息子が路頭に迷ってしまう。

あの頃は社会保障なんてない時代でしたから、
 物乞いになるか、死ぬかどちらかしかないわけです。

そこで一念発起した母は、女性が仕事を持つことが
考えられない時代に骨瓶(こつがめ)を焼く会社を設立したんです。

鹿児島の女性でしたし、
 強い女性だったことは確かです。
また、なんとしても生きていかなければという
気概がそうさせたのでしょう。

その母が私に繰り返し教えたことが3つありまして、
まず1つが、

「負けてたまるかと静かに自分に言いなさい」

簡単に言えば克己心ですよね。
 人間はどんなに強そうに見える人にも弱い部分がある、
その弱さとはナヨナヨしているということよりも、
 怠惰であったり、妥協でしたり、
みんな己に対する甘さを持っているわけです。

だから常に自分白身を叱咤激励し、
 己に打ち克つことが人生では大切なことだと、
そういう実感が障害とともに生きた母にはあったのでしょう。

この「負けてたまるか」は、監督になって世界一を目指す
私にとって一番大切な言葉であり教えとなりました。

「ルバング島で30年間、孤独感がなかった理由」

木曜日, 8月 29th, 2013
     小野田 寛郎(元陸軍少尉・財団法人小野田自然塾理事長)

              『人間学入門』(致知出版社)より
           http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

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(ルバング島にいた)30年間で発熱は2回でした。
それは仲間が負傷して、介護疲れでちょっと出しただけです。

熱が出たところで、医者も薬もないですから、
まずは健康でいることが大事です。
そして健康でいるには
頭をよく働かせなければダメです。

自分の頭で自分の体をコントロールする。
健康でないと思考さえ狂って、消極的になったりします。

島を歩いていると、
何年も前の遺体に会うこともあるんです。

それを埋めながら、
「早く死んだほうが楽ですね」と仲間に言われ、
本当にそうだなと思ったこともあります。

獣のような生活をして、
あと何年したらケリがつくか保証もないですし、
肉体的にもそういつまでも戦い続けるわけにもいかない。

いずれはこの島で死ななきゃいけないと覚悟しているので、
ついつい目の前のことに振り回され、
「それなら早く死んだほうが……」と思ってしまう。
結局頭が働かなくなると、
目標とか目的意識が希薄になるんです。

だから、仲間と喧嘩をするのも、
頭が働かずに正しい状況判断ができない時でした。

右に行くか、左に行くか。
そっちへ行ったら敵の待ち伏せに遭うから嫌だと言う。
しまいには、

「隊長は俺たちを敵がいるところへ連れて行くのか、
 そんな敵の回し者みたいな奴は生かしておけない」

と言って銃を持ち出します。

「馬鹿、早まるな。やめろ」

と言えばいいんですけど、
こちらもついつり出されて銃を構えてしまう。
しまったと思って、

「じゃ命があったらまた会おう」

と言って回れ右して、僕は自分が行こうと思っていた
道を行くのですが、背中を見せるわけだから、
そこで撃たれたら死んでいました。

だから僕らの場合は議論をするにも命がけでした。

いずれにしても、頭がしっかり働かなくなると
正しい状況判断ができなくなる。

          * *

よく孤独感はなかったかと聞かれましたが、
 僕は孤独なんていうことはないと思っていました。
22歳で島に入りましたが、持っている知識が
そもそもいろいろな人から授かったものです。

すでに大きな恩恵があって生きているのだから、
決して一人で生きているわけではないのです。

 一人になったからといって昔を懐かしんでは、
かえって気がめいるだけですから、
一人の利点、それを考えればいいんです。

 一人のほうがこういう利点があるんだと、

それをフルに発揮するように考えていれば、
昔を懐かしんでいる暇もなかったです。

「泥棒と悪口と、どちらが悪いか」

水曜日, 8月 28th, 2013
       三浦 綾子(作家)

              『人間学入門』(致知出版社)より
           http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

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これは時折、講演で話すんですが、

「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。

私の教会の牧師は

「悪口のほうが罪が深い」と言われました。

大事にしていたものや、高価なものを取られても、
生活を根底から覆されるような被害でない限り、
いつかは忘れます。

少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために
自殺した話はあまり聞かない。

だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や
少年少女の話は、時折、聞きます。

「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても
 三杯も食べるのよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、
 その後一切、食べ物を拒否して死んだ、という話があります。

 それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に
 強烈なショックを受けた時に
  生まれる確率が高いと聞いたことがありますが、
 ある妻は小姑(こじゅうと)に夫の独身時代の素行を聞き、
  さらに現在愛人のいることを知らされた。

 それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、
  そういうことを言ったのです。

 この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は
 大きなショックを受け、
 生まれたのは精神薄弱児だったそうです。

 恐ろしい話です。
 私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやり、
 生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。
 泥棒のような単純な罪とは違うんです。

 それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、
 また、聞いています。
 そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。
 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性(さが)です。

 もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、
 怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。
 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口を
 きかなくなるのではないでしょうか。 

 自分がそれほど腹が立つことなら、
 他の人も同様に腹が立つはずです。

 そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話を
 いとも楽しげに語る。

 私たちは自分を罪人だとは思っていない。
 罪深いなどと考えたりしない。

「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。

 私たちはたいていそう思っています。

 それは私たちは常に、
 二つの尺度を持っているからです。

「人のすることは大変悪い」
「自分のすることはそう悪くない」。

 自分の過失を咎(とが)める尺度と、
 自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。

 一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険の
 セールスマンと浮気をした。彼女は、
「いやらしい。さかりのついた猫みたい」
 と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。

 何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。
  だが彼女は言った。

 「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。
    恋愛って美しいものねぇ」

 私たちはこの人を笑うことはできません。

 私たちは自分の罪が分からないということでは、
  この人とまったく同じだと思います。

「ヒルティに学んだ心術」

水曜日, 8月 28th, 2013
     渡部 昇一(上智大学名誉教授)

              『人間学入門』(致知出版社)より
           http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

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ヒルティ(スイスの哲学者)が
エピクテートスを訳しているんです。
エピクテートスは有名なストイックな哲学者です。

そのエピクテートスを訳した
ヒルティの前書きがいいんだ。

ヒルティというのは
非常に熱心なキリスト教信者なんですが、
彼はその文章の中で、キリスト教の教えは非常に高い教えだから、
本当にわかるためにはある程度、
人生の苦難をなめたりしなきゃならん。

だからこれからという若い人が
宗教的な悟りを開いちゃうのは
考えもんだといっている。

本当の人生の困難に会ったときに、
昔、どこかでこんな教えを読んだことがあったというんで、
かえってね、宗教に感激する心がなくなることもある。

それで、むしろ、青年には自分は
エピクテートスのような生き方を教えたいといって、
わざわざ、訳しているわけです。

エピクテートスの哲学というのは、
一種の“悟り”の哲学です。

どういうことかというと、自分の置かれた環境の中で、
自分の意志で自由にならない範囲を
しっかりと見極めるということです。

自分の意志の範囲にあるかどうか。

そこにすべてが、かかっているということです。

ただ、それがはっきりとわからないとだめです。

はっきりわかると、
自分の意志の範囲の中にあるものは、
自分が考えて最善の手を打つ。

打ちたくなければ打たなくてもいいが、
すべては自分の意志の範囲にないもの、
これはあきらめる。

こういうものに対しては、
絶対に心を動かさないということです。

外界のもの、地震とか天災とかは自分の意志の範囲にない。
友人や世の中の人が自分をどう思うかも、
自分の自由にはならない。

こういう自由にならないものに、
自由にならないといって、腹を立て、
心の平静を失うのは愚かだということです。

こういう物に対しては
絶対に自分の心を騒がせない。

例えば、ぼくが三十年前に上智大学を
一流大学と思ってもらいたい、
やってることはいいんだからといったって
他の人は認めないものはどうしようもない。

これは意志の範囲にはないんです。

ところが、教えられていることはついていくのが
苦しいくらい高級なものをびしびしやっている。

すると、これを十分に消化するために毎朝、
五時に起きて朝めしまで二時間勉強することから
始めようというのは、それをやるかどうかはまったく、
これは自分の意志の範囲です。

意志の範囲にあることはいいわけをしないで、自分でやる。
で、意志の範囲にないことは問題にもしない。
心を動かさない。

まぁ、こういうのが、
ヒルティから学んだことの一つでしょうね。

「人物をみる八観法」

土曜日, 8月 24th, 2013
  『安岡正篤 一日一言』(致知出版社)より
           http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

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一、通ずれば其(そ)の礼する所を観る
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    すらすらうまく行き出した時に、
  どういうものを尊重するかを観る。

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一、貴(たか)ければ其の進むる所を観る
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    地位が上がるにつれ、
    其の登用する人間を見て人物が分かる。

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一、富めば其の養う所を観る
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    金ができると何を養い出すか。

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一、聴けば其の行う所を観る  
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    善いことを聞いたら、
    それを実行するかどうかを観る。

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一、習えば其の言う所を観る
=============================================

    習熟すればその人間の言うところを観る。

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一、止(いた)れば其の好む所を観る
=============================================

    この「止」は板につくという意味。
    一人前に仕事ができるようになると、何を好むか。

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一、窮すれば其の受けざる所を観る
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    貧乏したときに何を受けないかを観る。

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一、賤なれば其の為さざる所を観る
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    人間落ちぶれると何をするかわからない。
    だから為さない所を観る。

「球界の天才はいかにして活力を生み出しているか」

金曜日, 8月 23rd, 2013
   山本 益博(料理評論家)

              『一流たちの金言』より
             http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

└─────────────────────────────────┘

私も年に一度はシアトル・マリナーズの
ホームグラウンドへ足を運んでいるが、
基本的に野球観戦ではなく、
イチローを見に行っているのである。

その際、一塁側の観客席からはベンチでの
イチローの様子が窺えないため、
相手方の3塁側に座ることもある。

そこから双眼鏡でマリナーズベンチを覗いてみると、
味方の攻撃中にもかかわらず、
なぜかイチローはほとんどベンチにいないのである。

テレビで観戦していても、誰かがホームランを打って
チームメートがハイタッチしている輪の中で
イチローを探しても、まずいない。

もちろん打順が回ってくる時はスタンバイしているが、
おそらくそれ以外はロッカールームで次の守備に備えて
ストレッチをしているのだろう。

とにかく彼は準備に準備を重ね、備えを怠らない人だ。
なぜ準備をするのかということについて、
彼は昔

「言い訳を最小限にするためだ」

言っていた。

例えば前の晩にグローブの手入れを忘れたとする。
翌日の試合でたまたまミスをすれば、
「昨日グローブの手入れを忘れたから」
と道具のせいにしたり、言い訳したくなるものだが、
彼はそれを許さない。

そこまで徹底して準備をするイチローは当然
「ミス」がほとんどないのだが、
2004年の7月17日のクリーブランド・インディアンズ戦で
貴重な(?)凡ミスをしたのである!

ライトヘの凡飛球をグローブに当てながらも
落球してしまったのだ。

この日のインタビューで、彼は

「ルーティンのフライボールを落とすということは、
野球を始めて以来、一度もなかったと思います。
 野球の基本を見直す機会にしたいと思います」

と答えている。

これほどの選手が「基本を見直す」と言う自体がすごいが、
さらにすごいのは、その「見直し」が行われたであろう。

翌日の18日から打ちに打ちまくり、
8月17日までの28試合で
132打数67安打の記録を残したのである。

イチローはヒットで出塁し、
ホームインしてベンチに戻ってくると、
すぐにバットケースから自分のバットを取り出し、
いまのヒットはバットのどこに当たったのかを見ている。

職人は毎日同じ仕事をしていても、
日々の仕事の見直しや点検を決して怠らないものだが、
ことバッティングに関して、ほぼ毎打席、
見直し・再点検を行っているイチローには恐れ入る。

「イチロー選手の目標設定術」

金曜日, 8月 23rd, 2013
          奥村 幸治

  (NPO法人ベースボールスピリッツ理事長、宝塚ボーイズ監督)
             『致知』2010年6月号「致知随想」
           http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

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オリックスで打撃投手を務めていた頃、不調に陥った選手に

「投げましょうか?」

と声を掛けると、ほとんどの場合、

「頼む」

と答えが返ってきた。
練習することによって、少しでも不安を取り除きたいと
思うのが人情というものだろう。

そんな中、私の申し出に一人だけ首を振った選手がいた。
当時20歳だったイチロー選手である。

試合後にその理由を尋ねてみたところ、彼は

「僕はこんな心境で試合に臨みたいんです」

と言う。

「どんなに好きな野球でも、毎日続けていると、
 もう疲れた、きょうは嫌だなと思う時ってないですか? 

 そうなっては、自分の能力って
 絶対に発揮できないですよ。
 バットが持ちたくて持ちたくてしょうがない。
 そういう心境で、僕は試合に臨みたいんです」

そして彼はこう後を続けた。

「初めてお父さんとキャッチボールした時、
 どんな気持ちになりましたか? 
 またやりたいなと思ったでしょ。

 その気持ちなんですよ。

 そういう気持ちが自分でしっかりつくれれば、
 絶対に技術って向上していくと思いますよ」

イチロー選手のプロ入り3年目の年、
彼の専属打撃投手となった私は、
寮生活で1年間寝食をともにし、多くのことを教わった。

彼と初めて出会ったのは、
私が20歳、彼が19歳の時だった。

初めてそのバッティングを見た時、
年下にこんなに凄い選手がいるのかと舌を巻いたが、
最も驚いたのは、彼が一軍に上がってきてからのことだった。

キャンプ期間中、二軍でプレーしていたイチロー選手は、
夕方に練習を終えると、早々に眠りに就いた。

そして皆が寝静まる深夜にこっそり部屋を出ると、
室内練習場で数時間の特打ちをするのを日課としていた。

ところがシーズンが始まり、一軍入りを果たした彼は、
全くと言ってよいほど練習をしなくなってしまったのである。

不思議に思って尋ねてみたところ

「体が疲れ過ぎるとバットが振れなくなるから」

とのことだった。

一軍でまだ何の実績もない選手が、
自分のいまやるべきことは
何かをちゃんと理解して行動している。

私の知り合いにもプロ入りした者が数名いたが、
彼の取る行動や言葉のすべては、他とは一線を画すものだった。

例えばこんな調子である。

「奥村さん。“目標”って高くし過ぎると
 絶対にダメなんですよね。

 必死に頑張っても、その目標に
 届かなければどうなりますか?
 諦めたり、挫折感を味わうでしょう。

 それは、目標の設定ミスなんです。

 頑張れば何とか手が届くところに
 目標を設定すればずっと諦めないでいられる。
 そういう設定の仕方が一番大事だと僕は思います」

二軍時代のイチロー選手は、
マシン相手に数時間の打撃練習をしていたが、
普通の選手に同じことをやれと言っても、
それだけの時間、集中してスイングすることはできない。

それがなぜ彼には可能なのかといえば、
私はこの「目標設定の仕方」にあるのではないかという気がする。

イチロー選手には自分にとっての明確な目標があり、
その日にクリアしなければならない課題がある。

その手応えをしっかりと自分で掴むまで、
時間には関係なくやり続けるという練習のスタイルなのだ。

私が彼の基盤として考えるもう一つの要素は、
継続する力、つまりルーティンを
いかに大切にしているかということである。

ある時、イチロー選手にこんな質問をしたことがあった。

「いままでに、これだけはやったな、
  と言える練習はある?」

彼の答えはこうだった。

「僕は高校生活の3年間、1日にたった10分ですが、
  寝る前に必ず素振りをしました。

 その10分の素振りを1年365日、3年間続けました。
 これが誰よりもやった練習です」

私は現在、少年野球チームの監督を務めているが、
それと比して考えてみると、
彼の資質がいかに特異なものであるかがよく分かる。

例えば野球の上手な子にアドバイスをすると
何をやってもすぐできるようになる。
下手な子はなかなか思うようにいかない。

ところが、できるようになったうまい子が、
いつの間にかその練習をやめてしまうのに対し、
下手な子は粘り強くそれを続け、いつかはできるようになる。

そして継続することの大切さを知っている彼らは、
できるようになった後もなお練習を続けるため、
結局は前者よりも力をつけることが多いのである。

その点、イチロー選手は卓越したセンスを持ちながらも、
野球の下手な子と同じようなメンタリティを持ち、
ひたすら継続を重ねる。

私はこれこそが、
彼の最大の力になっている源ではないかと思う。

2000年に結成した私の少年野球チームは、
当時9名の部員だったが、現在100名を越える数になり、
その中から多くの甲子園球児が生まれていった。

現在、プロで活躍している田中将大投手もその一人である。

彼らには自分がイチロー選手から学んだことを折に触れては話し、
野球に取り組む姿勢としてそれを生かしてほしいと伝えてきた。

自分で目標を持ち、それに向けての継続を怠らなければ、
必ず次の段階へと自分を押し上げていくことができる。

そしてそれは、人生を生き抜く力にも繋がっていることを、
野球を通して伝えていければと考えている。

イチローの苦悩と道

木曜日, 8月 22nd, 2013

イチロー選手、ついに4000本達成しましたね!!

おめでとうございました。

各界の声を聞きます。

 

イチロー4000安打・談話

◇革命起こした  張本勲氏 とんでもない数字。米国に行って打撃の革命を起こしたと言ってもいい。異国でヒットを重ねるには精神力、技術、自己管理の三つが一致しないといけない。ピート・ローズの4256本の更新を絶対に達成してほしい。

◇天才でしょうね  野村克也氏 すごい。天才でしょうね。誰が見ても足が速い、肩が強い、打撃がいい。三拍子も、四拍子もそろった選手。イチローのような選手は何十年に一人だろう。

◇長くプレー、すごい  野茂英雄氏 長くプレーしていること自体、すごいこと。いまさら僕が言うこともないぐらいの選手。

◇日米で殿堂入りを  広島・新井宏昌打撃コーチ(イチローのオリックス時代の打撃コーチ) 当時、寮でも真夜中に打っていた。バットを振るのが好きなんでしょう。米国で認められるか気掛かりはあったが、どんどん記録を塗り替え驚きの連続。こういう選手はもう出ないと思う。ピート・ローズの記録を抜き、日米両方で殿堂入りしてほしい。

◇言葉では表現できない  田口壮氏(オリックス時代のチームメート) ただただ、おめでとうと言うしかない。言葉では表現できないぐらい、すごい数字だと思う。毎日、同じことを同じリズムでやるのは大変なこと。彼の頭の中には、(次の目標として)大リーグ3000安打があるのではないか。

◇あいつしかできない  オリックス・福良淳一ヘッドコーチ あいつにしかできない記録。入団当初からミートがうまく、よく練習すると聞いていたが、実際に見ても当てる技術はすごかった。ここまできたら、ローズの記録(4256安打)を抜いてほしい。

◇心技体全てすごい  オリックス・星野伸之投手コーチ 素晴らしい選手としか言いようがない。高卒でプロ3年目から毎年、首位打者のタイトルを取ったが、けががあったら継続できない。心技体全てがすごい。

◇想像できない  オリックス・平井正史 はっきり言って想像もつかない。4000安打は投手なら400勝くらいの価値があるのでは。けがも少なく、現役生活が長いのが一番だと思う。イチローさんのプレーは打撃も守備も全て印象に残っている。

◇苦労あったと思う  巨人・谷佳知 (オリックスで)一緒にやった仲間。刺激を受ける。彼なりの苦労があったと思う。その中での4000という数字はすごいこと。

◇僕もうれしい  ヤクルト・バレンティン (マリナーズ時代にともにプレーした)僕としても、うれしい。日本の投手は打たせまいとボール球で誘うことをするから、安打を打つのは簡単ではない。日米通算で4000安打は素晴らしい。

◇安定感ある選手  ヤンキース・ジーター イチがいかに安定感のある選手であるかは、見落とされがちだと思う。多くの才能がなければ、あのように長く活躍できない。グラウンドの全ての場所に打ち分けられることが、彼の最大の長所だと思う。

◇イチローに敬意  ヤンキース・リベラ イチローにはすごく敬意を抱いている。4000安打は大きな数字。彼は一発を打つこともできるし、バントもできる。スピードがあり、どんな状況でも試合を変えられる選手だ。

◇もはや伝説  ブルワーズ・青木 4000安打なんて、あり得ない。もはや伝説の存在。記録にも記憶にも残る。憧れの人だけど、オーラが全然違うし、全く別の次元にいる。何があってもぶれない強い心を持っている。僕もイチローさんに少しでも近づきたいし、大きな刺激にしたい。

◇対戦できるのは光栄  レッドソックス・田沢 想像もつかないけど、素晴らしいことだと思う。ああいうすごい人と対戦できるのは光栄なこと。これからも努力して、(対戦で)自分の力を試したい。

◇こみ上げるものがあった  父親の鈴木宣之さん 打った瞬間、ぐっと込み上げるものがあった。あの小さな子がここでやってきた練習、少年時代を急に思い出した。積み重ねがあるから今がある。さらに精進して、まい進してほしい。

◇日本人の誇り  マリナーズ・岩隈 すごい数字。この先、イチローさんを超えるような人はいないでしょう。存在的にも別格。それだけやってきたということ。日本人の誇り。

◇参考にしている  ジャイアンツ傘下の3Aフレズノ・田中 すごいとしか言いようがない。しっかりとした技術があるのも、毎年出場を続けるということもすごい。(打席で)どういう風にしているのか興味があって、ビデオを見て参考にさせてもらっている。

◇想像もつかない  アスレチックス傘下の3Aサクラメント・中島 自分はコメントする立場にないと思うけど、本当にすごい。想像もつかない。(2009年のWBCでは)試合前の準備の仕方が印象に残っている。

◇努力のたまもの  長嶋茂雄元巨人監督 日米ともずばぬけた成績で、偉業と言うほかありません。自分自身の生涯安打(2471本)と比較しても、気が遠くなるような数字です。けがが少なく、いつもゲームに出ているからこそ達成できた記録であり、コンディションに細心の注意を払っているイチロー選手の努力のたまものでしょう。常にグラウンドにいることは、最高のファンサービスであり、まさにプロ中のプロと言えましょう。今後も一日でも長く、第一線で活躍してほしいです。

◇イチローさんしか到達できない  松井秀喜氏 おめでとうございます。日本のプロ野球でも、メジャーリーグでも、毎日プレーし続け、圧倒的な速さでヒットを積み重ねてきたイチローさんにしか到達できない数字だと思います。今後もファンの方々を喜ばせてください。

◇敬意表したい  ピート・ローズ氏 4000安打は、とても難しいことだ。あと何年プレーするか分からないが、今後も数百本は打つだろう。(ローズ氏自身が持つ4256安打の歴代最多記録には)恐らく届く。彼に敬意を表したい。

◇感慨深い  オリックス・井箟重慶元球団代表 体の細い高校生だった彼が大リーグで活躍し、私の大好きなヤンキースで大記録をつくったことはとても感慨深い。4000安打は天文学的な数字だと思う。他人の意見に左右されない、強い意志を持っていたことが成功の秘訣(ひけつ)だと思う。

◇貢献は大きい  加藤良三プロ野球コミッショナー 個人的には日本での7年連続首位打者、大リーグでの10年連続200安打以上という記録は不滅だと思っている。今回の偉業のみならず、卓越した守備、送球、走塁を通じてファンを魅了し続けてきたことを考えれば、イチロー選手の野球に対する貢献は実に大きい。

◇おめでとうございます  レンジャーズ・ダルビッシュ 打者ではないので4000本(の価値)はよく分からないが、もちろんいいバッター。誰もが思っている通り、僕もそう思っている。おめでとうございます。すごいことだと思う。(僕などが)何も言うことはない。(大リーグに)日本人のバッターはなかなかいないので、(対戦は)もちろん楽しみ。

◇素晴らしいの一言  王貞治ソフトバンク球団会長 メジャーで13年間、レギュラーを続けることは並大抵の努力でできるものではありません。常日頃から野球をする準備ができているからこそであり、その姿勢は全ての選手の見本となるもの。素晴らしいの一言に尽きます。さらなる高みを目指してチャレンジし続けることでしょうし、一本でも多くのヒットを積み重ねてほしい。

◇半泣きになった  ヤンキース・イチロー 僕より周りの人のテンションが高いことに驚いていた。実際に打って、チームメートやファンが喜んでくれるとは全く想像していなかったので、半泣きになってしまった。特別な瞬間を、またつくってもらった。きょうの結果がないと、あすにつながらない。そういった毎日を送っていることが重要。(5000安打は)年齢に対する偏った見方が(周囲に)なければ、可能性はゼロではないと思う。

◇敬服すべき記録  ケン・グリフィー氏 イチローにはいつも注目している。どこの国の選手であるかは関係ない。どれほどの時間と努力を重ねてきたか、これで分かるはず。敬服すべき記録だ。

◇ひたむきな姿勢貫いた  工藤公康氏(高校の先輩で元西武投手) 先輩として誇りに思う。野球に対するひたむきな姿勢は素晴らしく、それをメジャーでも貫き通したからこそ、たどり着いた記録。5000本とは言わないが、まずは世界記録(の4256本)を目指して頑張ってほしい。

◇素晴らしいこと  ブルージェイズ・川崎 本当に、すごいことだと思う。素晴らしいこと。(目の前での達成は)巡り合わせ。それはすごくうれしい。

◇感動的だった  ヤンキース・黒田 自分も感動したし、日本の野球を改めてリスペクトしてもらえた瞬間だと思う。表面的に4000本はすごいと言うが、野球に対して費やしてきた時間を考えると、僕はそっちの方が感動的だった。

◇特別なこと  ヤンキース・ジラルディ監督 素晴らしい功績。長い間、健康を保ってプレーを続けてきた証し。本人と家族、日本の人々にとって特別なこと。

◇信じられない偉業  ブルージェイズ・ディッキー 投手としては記念の安打を打たれたくないものだが、信じられない偉業だ。(2008年にマリナーズで)一緒にプレーできたことをうれしく思う。(時事ドットコム)(2013/08/22-13:45)

 

先日、以前働いていた佐々木君が、是非観てください、

と、イチロー選手のyoutubeを紹介してくれた。

学ぶ所多々あり、ともにシェアしたい。

 

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「幸運に恵まれるには?」

木曜日, 8月 22nd, 2013
     稲盛 和夫(京セラ名誉会長)
                『人間学入門』より
      http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

binii001[1]

仏教には「思念は業をつくる」
という言葉があります。

業はカルマともいいますが、思ったり念じたりすると、
仏教でいう因果応報の因をつくります。
業は原因ができると、必ず現れてきます。
因果応報の応報です。

世のため人のために尽くそうなどという、
大上段に振りかぶったようなことをいう人があると、
インテリであればあるほど
それをせせら笑う人が多いようです。

しかし、世のため人のために尽くそうと
いうことぐらい立派なことはありません。

私たちそれぞれが生まれてきた人生の目的は、
世のため人のために尽くすことです。

一燈照隅といいますが、
どんな人でも素晴らしい役割を持って
生まれてきたわけです。

その役割を通じて、世のため人のために
尽くすことが大事なことなのです。

世のため人のために尽くそうとすることによって、
自分の運命を変えていくことができると思います。

同時に自分だけよければいい、
という利己の心を離れて、
他人の幸せを願うという利他の心になる。

そうすれば自分の人生が豊かになり、
幸運に恵まれる、ということを
仏教では説いているのです。

天台宗の山田恵諦(えたい)座主に生前
何度かお目にかかってお話をさせていただく
機会がありました。

ある時、「忘己利他」という言葉を
教えていただいたことがあります。

私はこれを「もう懲りた」と読むようにしています。

そして自分だけよければいいという考えには、
もう懲りたというように思ってきました。

そう思うことが人生を豊かにしていく基だと、
安岡正篤先生からも教わったからです。

「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」

水曜日, 8月 21st, 2013
      永守 重信(日本電産社長)
              『一流たちの金言』より
      http://www.chichi.co.jp/news/3818.html

└─────────────────────────────────┘

【記者:ゼロからここまで会社を成長発展させることが
    出来たのは、なぜだとお考えですか】

信じる通りになるのが人生であるということですね。
僕はこの言葉を自分で色紙に書いて、
目のつくところに置いています。

自分でこうなりたいと思っていることもなれないのに、
思わないことが実現するわけは絶対にないですから。
だから信じる通りになるのが人生ということですな。

しかし世の中の人はみんな信じない。
頭のいい人ほど先が見えるから信じませんね。
できるわけがないと思ってしまう。
だからむしろ鈍才のほうが教育しやすいですね。

創業間もないころの日本電産は、
私の家の一室で図面を引き、桂川の堤のそばにあった
三〇坪ほどの染め物工場の一階を借りて、
旋盤とボール盤、プレス機を一台ずつ入れて
仕事を始めたんです。

どこへ行っても仕事はもらえず、
やっと受注できた仕事といえば
過酷な注文がつくために
ほかのメーカーのどこもやらないような仕事ばかり。
技術者みんなに言うと絶対無理だと言う。

そういうときはみんなを立たせて、
いまから出来る出来る一〇〇回言おうというわけです。

「出来ます。出米ます。出来ます……」。

「どうや」と。

「いや出来ません」。

今度は一〇〇〇回言う。

そうすると不思議なことに
だんだん出来る気分になってくるんです。

そういう気分になったところで一気に始める。
すると、客先の要求する性能に及ばないまでも
かなりレベルの高い製品が仕上がる。

こうやって日本電産の技術力が蓄積されていったんです。

このときに「とても無理だ」「不可能だ」とあきらめていたら、
日本電産はとっくに倒産していたと思います。

社員によく言うんです。

「物事を実現するか否かは、
 まずそれをやろうとした人が“出来る”と信じることから始まる。

 自ら“出来る”と信じたときに
 その仕事の半分は完了している」

とね。