まほろばblog

Archive for the ‘歴史’ Category

小林秀雄の歴史観

木曜日, 3月 15th, 2012

占部賢志(福岡県立太宰府高等学校教諭)

      

(『致知』2004年12月号 特集「徳をつくる」より)

日本の文化伝統を次代を担う
子どもたちにどう伝えていくか。
これが学校教育の中核であるべきだと思っているんです。

私がこういう考えを抱くようになったのも、
小林秀雄さんの教えなのです。

私は学生時代以来、一所懸命読んだのは
小林秀雄さんの本でね、
ある時宮崎の延岡に講演にいらっしゃるというので、
会いに行ったことがあるんです。

その時、私はどうしても質問したいことがあったんです。

「歴史を知ることは自分を知ることだ」

と小林さんはよくおっしゃっていたが、
その意味が当時の私にはよく分からなかったんですね。

夜の11時近くなっていたでしょうか。
小林さんが地元の名士と一緒に
ホテルへ戻ってこられたところへ

 
「質問があります」

と割って入っていったんです。

小林さんは

「君を産んでくれたのは誰か。
 君のおっかさんだろう。
  
 おっかさんのいいところも悪いところも
 みんな君の中に流れている。
  
 そうすると、おっかさんを大事にすることは、
 君自身を大事にすることだ。
  
 君が君自身を大事にすることは、
 おっかさんを大事にすることになる。
  
 歴史だって同じじゃないか。 
  
 日本の2千年の歴史は君のこの身体に流れている。
 君が君自身を大事にすることは、
 歴史を大事にすることだ。
  
 だから歴史を知ることは、自己を知ることに繋がるんだ」

ということを噛み砕いてお話しくださった。

考えてみればその通りで、日本の古典には
「鏡もの」というのがありますね。

『大鏡』や『吾妻鏡』。
あれは全部、歴史書です。

日本人は古来、歴史を鏡だと思っていたんですね。
歴史を学べば本当の自分の姿が見えてくるんです。

そういう意味で、生き方の鏡として
歴史を子どもたちに提供していけば、
期せずして徳をつくる教育になるのではないかと思います。

伽耶琴、玄琴への憧れ

水曜日, 3月 14th, 2012

先日、古琴研究家の山寺ご夫妻とお会いした時、
「コムンゴ(玄琴)を習いたい」という話しが俄かに出た。
ご主人の三知先生と私なのだが、共通して韓国の古典楽器「コムンゴ(玄琴)」に想いを寄せていた。
私も、この男性的な力強さと女性的な余韻を兼ね備え、打楽器的な奏法を持ったこの弦楽器は、
「まあ、来世生まれ変わったならやってみようかな」と、思っているほどだ。
たまたま若い女子の奏でる伽耶琴と玄琴、そしてパンソリの古典曲が出ているで、ご紹介する。
韓流ドラマに、はまってしまう由も理解出来るような気がしませんか。

 「未来は歴史の上にある」

日曜日, 2月 5th, 2012

   唐澤 るり子 (唐澤博物館代表)

    『致知』2011年10月号「致知随想」
     ※肩書きは『致知』掲載当時のものです

…………………………………………………………………

 東京練馬の閑静な住宅街の一角に、
 江戸から昭和にかけての教育資料を展示する
 唐澤博物館があります。
 
 当館は私の父、教育史研究家・唐澤富太郎が
 長い歳月をかけて収集した数万点におよぶ研究資料の中から、
 特に選りすぐった七千点余りを展示しています。

 日本で最初に使われた国語教科書や第一号の卒業証書、
 時代を映す通知簿、児童作品、玩具など、
 当時実際に使われていた実物の資料がぎっしりと並んでいます。

 驚くべきことに、これらの夥しい資料は、
 富太郎が五十歳を過ぎてから個人で全国各地を巡り
 収集したものです。
 
 そして平成五(一九九三)年、富太郎八十二歳の時、
 自宅収蔵庫を改築して唐澤博物館を開館。
 
 晩年、「これらのものは執念で集めた」と語ったように、
 富太郎は教育史研究という一点に人生を懸けた人物でした。

 
     * *

 唐澤富太郎は明治四十四(一九一一)年、
 新潟の出雲崎に生まれます。
 生来、探求心が旺盛で、学業・操行ともに優秀だった富太郎は、
 小学生時代すでに「将来は必ず博士になる」と志を抱いていました。
 
 その後十四歳で上京し、師範学校で研究に没頭。
 更に学位論文で中世仏教教育を研究したことで
 仏教観が身体に沁みこみ、その後の研究姿勢に大きな影響を与えます。

 唐の禅僧・百丈懐海の言葉

 「一日不作一日不食」(一日作さざれば一日食らわず)
 
 
 を自ら揮毫し、仕事部屋に掲げ、研究に没頭していました。
 給料はすべて研究に費やし、貧しかったためスーツは一着だけ、
 破れるまで新しいものは買わないほどの徹底ぶりでした。

 また、研究生活には盆も正月もなく、
 いつも「引っかかったら鬼だぞ」と言って
 仕事場に籠もるのです。
 
 取り掛かったら一心不乱、研究に専念する。
 まさに、自他ともに認める「研究の鬼」でした。

 戦後、日本教育史に携わるようになった富太郎は、
 昭和三十年から三十一年にかけて
 『教師の歴史』『学生の歴史』『教科書の歴史』の
 近代教育史三部作を出版し、脚光を浴びます。
 
 その後、世界の教科書に目を向け、
 五十四か国の教科書を収集し、
 三十六年『世界の道徳教育』を発刊します。


 
 

 この本が世界から注目され、翌年ユネスコの招聘に応じて
 ドイツで講演を行っています。

 その折に欧米十六か国の教育現状を視察したのですが、
 最後に辿り着いたボストン美術館で衝撃を受けます。
 
 そこで日本庭園を背景に展示されていたのは
 江戸期の浮世絵や調度品で、西洋にはない
 日本独自の美の素晴らしさを再認識しました。
 
 同時に、日本の文化財が海外に流出し
 注目を集めているにもかかわらず、
 当の日本人が日本のよさをあまり理解していない
 愚かさに憤りを覚えるのです。

 ボストンから帰国した富太郎が
 戦後の教育史研究を改めて見て気づいたのは
 「児童が不在である」ということでした。
 当時は教育制度や法令といった
 上から目線の研究ばかりが為されていたのです。

 それに対して富太郎は、現実にその時代を生き、
 教育を受けた児童そのものに視点をあてた研究にこそ
 意味があると考えました。
 
 そして子供たちが実際に使ったノート、筆箱、
 ランドセル、教材、教具など、
 児童を取り巻くありとあらゆるモノを通して、
 その実態に迫ろうとしたのです。

 ここから全国各地を巡り教育資料を収集するという
 新たな研究生活が始まります。

 当時の日本は、終戦によって価値観が一変し、
 新しいものばかりが追求された時代です。
 
 一度は捨てられ埃にまみれたような教育資料を
 宝の如く大事に両手で抱え、自宅に持ち帰る日々が続きました。

 前例のない型破りな研究に、同業者からは
 冷淡な目で見られることもあったようです。
 それでも富太郎は資料保存の意義を熱心に語り、
 全国の教え子や教育関係者を巻き込んで収集にあたったのです。

 富太郎は
 
 
 「モノにはそれをつくった人、使った人、
  大事にとっていた先人の知恵や心がこもっている。
  それを感じ取ることが大切である」
  
  
 と常日頃から口にしていました。
 百万言を費やしても、実物の持つ情報量には
 敵わないというのです。
 
 そのため、新しいものばかり取り入れ、
 古いものは捨てるという当時の軽薄な風潮が
 許せなかったのでしょう。
 
 そして常人には理解し難いような収集活動に奔走することで、
 高度経済成長で商業主義に蝕まれる危険性に
 警鐘を鳴らそうとしたのでした。

 唐澤コレクションの中には、
 戦前どこの小学校にもあった奉安殿
 (教育勅語や御真影を納めるため学校の敷地内に造られた施設)や
 教育内容の一変を象徴する墨塗りの教科書もあります。

 GHQの占領政策によって戦前の教育が否定されて以来、
 当の日本人が自らの教育の実態を省みることが
 少なかったのではないでしょうか。
 
 歴史の真実を物語るこれらの資料を遺した功績は
 大変意義深いものだと感じます。

 生前、富太郎はよく
 
 
 「未来は歴史の上にある。
  過去を知らずして未来はつくれない」
  
  
 と申しておりました。
 
 父・富太郎が自らの命のすべてを懸けて
 後世に遺してくれたものを、
 一人でも多くの方々に伝えることが私の役目であり、
 使命であると感じています。

名碗を観る

木曜日, 2月 2nd, 2012

当代きっての目利きと言われている林屋晴三氏の近著「名碗を観る」を読んでみた。

陶芸家にとっての最終的難関は茶碗にあると言う。

確かに、一碗を一城と取り替えるという逸話があるように、

大名をして命をかけるほど魅惑せしめる何かが潜んでいるのだろう。

「一壺中に天外を観る」とは真実の話しなのだ。

半世紀以上、古今東西の茶碗を見続けて来た林屋氏にとって、

その心眼は、あらゆるものに通じる活眼となっていた。

長い文中、最後の対談で、チラリと本音を明かされた。

それは、私が常に抱いていた事でもあった。

前後は割愛させてもらったが、要は情緒と感覚の違いではないかと思う。

現代の何事でもいえることだが、ことに芸術においても、

目先の感覚や感性ばかり取り沙汰されて、依って来るところの心が見えなくなった、

とでも言えるのだろうか。

そんな意味でも、胸の閊えが取れた一瞬でもあった。

表現が先にあるのではなく、自ずと後に現れるものなのだ。

現代に求める茶碗とはどういうものですか?

長次郎でもなく、オブジェの前衛でもなく、今を生きる感覚を

持つものが存在するはずだということですか?

林屋…そうではなくてね。

若い人が最近やたらに茶碗を造っていますが、なにか表面的です。

前衛的な造形性を求めた浅い自己主張なんです。

碗をオブジェとして造っているのなら構わないけれど、茶碗として造っている

なら、一碗の茶を飲ませることへの愛情がほしいと思うんです。

茶碗というものは、人に一碗の茶を飲んでいただく

という思いの中から出ないとだめなので、心の豊かさから生まれたものでないと。

表現者としての白己主張を打ち出そうとする茶碗では、

濃茶を練ってみても、どうしてもおいしい茶が点たない。

茶碗においしい茶を点てさせるものがないのでは困るのです。

茶巾で拭いても、ざらざらして中側をまわらない。

自分の表現だけがあって、茶碗として成立するものを捨てていると思わざるを得ない。

みんな今に生きているんですが、理想の茶碗とは何ぞや

という点では何人もそこへ行つていない。

だから僕がやるより仕方ないと思うんだ。・・・・・・

ホピ物語朗読会

土曜日, 1月 21st, 2012
大井わこちゃんからのメッセージです。
わこの春の月イチ『ホピ物語』朗読会@まほろば本店
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今年もまた、とても素敵なチラシができあがりました。
会場である「まほろば」さんが作ってくださいました!本当にありがたいことです。
宮下社長は「やってあげすぎでしょ~」と編集長をからかっていらっしゃいましたが、
この美しいデザイン☆島田編集長のセンスきらり

1月の売出しで配布したまほろば便りに折りこまれています(^^)
3日間の売出し、初日にお申込を頂き驚くと共に、さすがまほろばのお客様は敏感なのだなぁと思わずにいられませんでした。

12月の朗読会に参加された方からのメールをご本人の了解を得てご紹介します。

●昨日のダン・カチョンバ酋長様のお話しは色々と思うことがありました。
今まで自分を省みて、尚且つ今から未来への己の生き方を考える良い機会を頂きました。

ダン・カチョンバ酋長様が時空を超えて、わこさんの(お体)を通して 皆既月食の満月の日に日出ずる国・日本へ大切な預言を私たちに伝えに来て下さったと思います。

ちなみに、ダン・カチョンバさんが天に旅立たれた年が私の生まれた年と同じだったのが感慨深いです。

7冊の本はすべて行き先が決まっていて、そのうち一冊は早速今日知人に差し上げました。更に一冊が現在アメリカに住む友人に送る予定です。彼女もわこサンのように英語には苦労しない人ではありますが、現在日本語の活字を渇望している事と難しい表現が多いと思われる原文を英語と日本語とネイティブ・ピープルの心を深く精通されている北山さんと宮田さんが訳されたこの本を読まれるのが最善と思っております。

ダン・カチョンバ酋長様が命をかけて守り抜いた真心が正しく伝わってゆくことを心から願っております。

●わこさんの朗読はとても心に響きました。あの場は特別な空間になっていましたね。 わこさんも気付かれたのではないかと思うのですが、ダン・ガチョンパさんが降りて来られて後押しをされているのでは?と感じました引き込まれて切なくなったりしました
わこさんはとても大切なお役を引き受けられたのですね
縁のある出来るだけ多くかたに聞いていただきたいと思っております。ではまたお会い出来る日を楽しみにしております。


この本はなんど読んでも胸が熱く、痛くなります。大陸は違えど民族は違えど、それでも尚私たちに深く響くメッセージ。こうして色々思い感じていただけてうれしく思います。1人目の方はメール文中にあるように、『生命の始まりから浄化の日まで』を日本の方ばかりでなくアメリカに住む方にも贈りました。アメリカから渡ってきたメッセージが、また海を越えてアメリカへ。大きな輪の中に生かされているというホピ始めインディアンの教えを思わずにはいられません。

12月の朗読会報告はコチラ

わこの月イチ朗読会@まほろば本店

第2回ホピ物語朗読会
生命の始まりから浄化の日まで

ホピ族の予言とメッセージの世界へ。
地球で生きるとは?

昨年11月11日に続き、今週は毎月開催いたします。
「地球の声を聞くなんて考えたこともありませんでした」
「自分に何ができるか考えたい」
前回は、みなさん思いを馳せたり、身近なことに投影したり、
心が震えているようでした。

混沌とする現代、魂が震えるような長老ダンの言葉が
あなたの生きるヒントになるかもしれません。


ホピ物語とは
ホピ・太陽氏族の指導者であったダン・カチョンバ(1875-1972)が晩年に語ったホピ族の物語。そこには、この世界の始まりと聖なる教え、その後に起こる迫害や世界の終末が太古の昔からの予言として記されていた。(ダンは予言が一つずつ成就され、世界が破滅に向かっているのを警告し、多くの人が生命の道に立ち戻ることを最期まで祈り続けた。)

朗読する人
大井わかこ(通称わこ)
人・大地・ときをつなぐひと。
札幌出身。amo主宰。

これまで、語り部、長老、シャーマンなど様々な方の通訳をしてきました。それはまるで思いやメッセージにチャンネルを合わせて受けとり、聞く人に真っすぐ手渡すこと。伝えつなぐことが私の役割だと感じています。
’08 米国横断ピースウォーク(インディアン団体AIM主催)で通訳・出納係り
’09&’10 結城幸司氏(アイヌ民族)とボブ・サム氏(クリンギット族)の語り部通訳
’10 「13人のおばあちゃん会議」アイヌ民族サポート・通訳
アシリレラさん(アイヌ民族)と他国先住民族の通訳や、アシリレラさん主催イベントでの出納係りなど
時々まほろばでアルバイト
ブログ http://amo2011.jugem.jp

2.11(土)13:00-16:00 2F会場
3.11(日)13:00-16:00 地下「無限心庵」 
4.11(水)13:00-16:00 2F会場
*3.11は定員20名

ところ:自然食の店 まほろば本店
札幌市西区西野5条3丁目1-1
地下鉄東西線「発寒南」からJRバス41・42番「手稲東小前」下車、進行方向に徒歩2分

参加費:お志+まほろばでのお買い物
ご予約:まほろば本店 tel 011-665-6624

主催・お問合せ 『amo』 大井わかこ
Eメール amo.motherwing@gmail.com
電話 090-9750-3000

映画 「孔子の教え」

木曜日, 1月 5th, 2012

今、空前の孔子ブームだという。

若者にとって、孔子って何者だ、といわれる時代。

あれほど本国中国で、批林批孔で荒れ繰れた文化大革命。

赤軍派、四人組・・・私の青年期は激動の大陸で、古典文物は悉く破壊し尽くされた。

当時、孔子に憧れ、古琴を習っていた私は、留学は叶わぬ夢であった。

共産主義と孔子儒教は相容れぬものである。

それでも、その当時、私は汪兆銘政府長官の胡蘭成先生や

碩学の安岡正篤先生の謦咳に接する事ができた。

それと故川合信水先生から孔子の真精神について学んだことが大きかった。

その後、大学・中庸や春秋などは愛読書となっていた。

もう40年も前の事で、今では書棚に眠っているが、

青年時の白紙の状態に、古典に触れ、大人(たいじん)に接した事は、自分の財産となった。

何年か前、彼の中国で「孔子」の映画が完成された、と聞いていたが、

一向に封切の気配がなかった。

それが、この正月、ふと見た映画欄にそれらしきものが、掲載されていた。

早速観に行ったが、これは活劇である。

古色蒼然とした埃を被った2500年前が、豁然として現代に甦る。

そこには生き生きとした孔子とその弟子達が描かれて、

スペクタクルな戦闘シーンも含めて、乏しい想像の世界でしか描けなかった

時代背景や人物、文物が鮮やかに甦る。

日本では到底成し得ない時代考証や資料が山のように揃っているのだろう。

端然とした孔子の他に、策士・軍事家としての顔は世間の辛酸を嘗めた実像なのだ。

還暦近くして生国、魯を追放され、諸国を歴訪する果てしなき旅。

それがどのようなものであったか、想像を絶していたが、映像を見て、

困難を極めていた事がリアリティをもって迫ってくる。

何より、時代は変わるとも、人間のサガは変わらないという歴史は何とも哀しくも虚しい。

http://www.koushinooshie.jp/

何はともあれ、一見の価値あり。

孔子の教え云々はさておき、その置かれた時代と風景と文化と人を観ておくだけでも、

論語は生き生きした、現代の新書となりうることを知るだろう。

結城さんルーブルに 2

金曜日, 12月 30th, 2011

ルーブル美術館でアイヌ神話を語った結城さん。

かつて共生していた人と自然。

裏切った人間は、その姿なき仕返しに苦悩する。

簡潔な神話にこそ、複雑な現代社会を紐解く鍵が潜んでいる。

「北の空から」最終稿・・・・

月曜日, 12月 19th, 2011

「森下自然医学」2012年正月号が届きました。

連載「北の空から」が今回で最終稿です。

最初、1年間の約束でしたが、28回も続けさせて頂き、

森下会長には、大変勉強させて戴き、感謝申し上げます。

今回は、世界第六番目の長寿郷として認定された如皋(ルーカオ)の

後半の報告を、小池さんがされています。

100歳老人の健康度が数字で報告されていて、興味深いものがあります。

「北の空から」は『日本人と情』と題しての一文です。

私の最も伝えたいことを、訴えたいことを書きました。

お読み下さい。

それを、厚別店長の穂積君が読んで、次のようなメッセージを書いて、驚きました。

「 『さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君かも』

「北の空から」連載お疲れ様でした。

愛する人との古歌の意を分かち合えたならば、・・・・

すべての日本人の遺伝子に組み込まれているはずです。

弟橘姫の父親は、穂積氏、忍山宿禰、何と穂積家のルーツ。

神奈川県川崎市高津区に、御祭神が日本武尊と弟橘姫の二神の橘樹神社があるのですが、

http://www.tachibana-jinja.jp/

姉が嫁いだ先が、まさにこの高津区という場所なんです。

すごい縁を感じずにはいられません。

本人は知らないと思いますが。」

【景行朝】弟橘媛(おとたちばなひめ)  

  弟橘媛。穗積氏,忍山宿禰之女。日本武尊之寵姬。
 尊征東夷,媛亦從行。一自相模泛海而東。

時風濤暴起,舩將覆。媛啟尊曰:

「是海神為祟也。請妾身當之。」

言訖,自投於海。暴風即止,三軍得濟。尊深哀歎之。

已平虜而歸,西踰碓日嶺,東望懷媛。

嘆曰:「吾嬬己矣!」因號東方諸州曰吾嬬。

これには、私も心底驚きました。

小中学生のころから、憧れの女性が弟橘姫だったものですから。

日本人の心の鏡だと思っています。

このように見えない所で、心の絆で繋がっているんだということに驚きました。

まほろばはそのような人たちが集まってきているのでしょう。

狭い日本、みんなそんな濃い血の集団なのです。

結城さんルーブルに・・・・!

水曜日, 12月 14th, 2011

結城さんが、遂にパリの晴れ舞台ルーブル美術館でアイヌ語の語りをしました。

皆さんから拍手喝采を受けたとか。

とても嬉しいことです。

アシリ・レラさんの語り部

水曜日, 11月 30th, 2011

 

平取町在住のアシリレラ(山道)さんの語り部が

19日、昼夜2部に分かれて開かれた。

帆海さんのクリスタルボールの伴奏がより一層お話に深みが増した。

 http://www.youtube.com/watch?v=poZyolTP-D8&feature=player_embedded

これも、大井わこちゃんの企画で、レラさんをおっかさんのように慕う。

彼女は不思議な子で、不定期にまほろばのバイトをしながら、

世界の先住民族の秘境を回り、ヒョイヒョイと現地の人々と仲良くなってしまう、

という得意技というか、先天的に古い魂の持ち主なのだろう。

通訳も見事なもので、スルスルと流れるように言葉がついて出るのも、

すぐ一体化してしまう精神性のためなのだろう。

当日のレラさんなのだが、うわさではすごく有名なアイヌの女傑で

「沙流川を守る会」と「山道アイヌ語学校」「山道職業訓練校」を主催されている。

まほろばに出入りしている人達はみな知っている。

だが、私は面識が無く、今日が初対面ということになる。

会うや、まさに「おっかさん」と言う感じで、それも「大地のおっかさん」で、

そういえば、昔の田舎のかあさん達の雰囲気が漂って、懐かしい気がした。

ああいう何というか、開けっぴろげの母性の中で、僕達は育ったものだ。

アイヌの儀式をしてもらって、いよいよ語り・・・・日本語なのがありがたい。

何篇かお話ししてもらったが、内容は思い出せない。

http://www.youtube.com/watch?v=H4jjLh6ulCk&feature=player_embedded

だが、心の中に、火球がクルクル回って、炉辺のチロチロした火に炙られながら、

ばあさん、じいさんの昔話を聞いているようで、なんとも心地よかった。

みな、きっとそんな風に聞いていたに違いない。

これは、後代に遺すべく尊いアイヌ文化を、録音して伝承せねばならないだろう。

情にもろく、泪が熱い。

太っ腹かあさん、次の会を楽しみにしていますよ。

ソンノ・オリパク・イヤイ・ラィケレ(ありがとうございます)!

http://www.youtube.com/watch?v=UafCdmwtst4&feature=player_embedded

(感激して、参加した長老の澤井アクさんが唱する『ヤイサマ』。即興歌と言われるヤイサマは語源としては「ヤイ=自分、サマ=側」で、自己紹介や現在の自分の気持ちなどを即興で歌にした。かつては若い男たちは愛の告白として女性に対してヤイサマを歌った。即興で自分のことを歌うところが、ラップにおけるフリースタイルに通ずるものがある。)