まほろばblog

Archive for the ‘歴史’ Category

『韓国人の本質』書評

金曜日, 10月 18th, 2013

日韓友好海苔の後藤吉助翁の著書『韓国人の本質』の書評が、

『国際自然医学』誌11月号に掲載されました。

是非お読みくださいませ。

まほろば各店で取り扱っております。

死ぬ前に伝えておきたい 

『韓国人の本質』

後藤吉助著 四六判160ぺ-ジ

本体1400円十税

発行所:IDP出版

韓国人の本質 本

 

著者の後藤吉助氏は、国際自然医学会会員で、本誌『森下自然医学』

「北の空から『哀しみ 袂(たもと)の懐かしき茲」

(2010年9月号 No.531)で紹介された方。

日・韓の著者が日本で韓国を批判する本は数多ある。

しかし、日本人が韓国に住んで、韓国を批 判する事には

、決死の覚悟が必要となる。

それをやってのけた事に、この本の凄味がある。

 

日韓が竹島問題などで厳しく対立している今日、

後藤氏が「死ぬ前に伝えておきたい」ということは、

捨て身で、愛する韓国への自省を促す遺書でもあるのだ。

韓国人、それも義理の弟に騒されたことから 始まり、

本全体の半分以上のぺージは韓国人には耳の痛い話が続く。

第一に、槍玉に挙げているものに 「ケンチャナヨ」がある。

「平氣」「氣にしない」という意味だが、待ち合わせ時間に遅れても「ケンチャナヨ」、

ウェイトレスが コーヒーを客の服にこぼしても「ケンチャナヨ」。

自分の落ち度を取り繕うために使うことが多いという。

日本だったら「申し訳ありません」と謝るし、

場合によってはクリーニング代を支払うではないか、

と筆 者は次々と身に降り掛かった体験を取り上げていく。

 

鷹揚なような「ケンチャナヨ精神」が、実は最も悪し き韓国の国民性の一つである、

と後藤氏は指摘する。

このイイ加減さが、日韓感情の埋まらない溝の元であり、

それは、ものごとを白己責任とする日本人と、

他人のせいにする韓国人特有の国民性の違いとする。

 

一民間人でありながら日韓の間の深い淵を埋めるべく

88歳にしてあれこれと骨を惜しまず動き回る。

その原動力となっているのは後藤氏の子どもの頃に見た母親の姿にあった。

「私が了どもの頃というと、戦前の話になるが、

北海道の雄別炭鉱での過酷な労役に耐えられず に逃れてきた朝鮮人炭坑夫を、

母かくまが匿(かくま)ったことがあった。そのとき、

捜索に訪れた保安員を 毅然とした態度で追い返した母の姿が

いまも瞼(まぶた)に残っている。

子ども心に、そんな母が誇らしかった」

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(大田市の海苔工場で。鄭在聖社長と共に)

 

 

 

 

 

後藤氏は、60歳のときに韓国に移り住み、

焼海苔に「日韓友好海苔」と命名して、日本で販売。

利益を全て韓国の若者の奨学金に当てたり、

保証人になるなど韓国とは深い関わりをもってきた。

 

韓国で反日感情が激しく露わになる中、

自叙伝を同ぺージ数ほど既に執筆していたが、

両国への想いを先行されて、 反故にしたという。

日本・韓国は一衣帯水の隣国同士、

互いに未来志向で、人と人、心と心で触れ合うことの大切さを、

後藤氏の人柄、 人徳を通して、

これこそが日韓を繋ぐかけ橋になるものと、

本書を前にして、強く深く思えるのです。 一

 

(K・Y)

森下自然医学 2013.11

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「富士古文書」開陳

金曜日, 9月 6th, 2013

 

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先週25日に、富士吉田市大明見の宮下本家にて、

先代当主逝去以来、初の開陳の天縁に預かった。

森下敬一自然医学会会長と増川いづみ博士と共に間近に

見る古文書の圧倒的な量感に息を呑んだ。

 

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翌日の鼎談は、増川博士の小淵沢の旧邸にて。

また528Hzによる精妙にして深遠なるヒーリングを受けた。

詳しくは、国際自然医学誌の後号を。

 

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中学生が作った「おもしろばなし」

土曜日, 8月 31st, 2013

 北斎を描く 1

 

今回、山梨県富士吉田に自然医学の森下会長らと、「富士古文書」開陳の縁に接しました。

そこの周辺地域の世話役で、とくに蓮の花が満開の「明見湖」や「徐福」関係の史跡を案内しているのが、

私の親戚筋の勝俣源一さんで、ご当地歴史家です。

ことに、富士のすそ野の「メダカの学校」を主催して、子どもたちの農業体験教育をしています。

メダカも外来種が増えたともことで、昔からのメダカを増やして放しています。

江戸期、葛飾北斎がこの明見の地から、富士山や徐福を描いていることからその普及にも努められています。

その源一さんから、とても面白い話を教えてくださいました。

何とある中学生が書いたとのことです。

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「あるバッタのはなし」

ある町に一匹のバッタがおりました。

そのバッタの名前は『いきあたりばったり』。

気ままに生きていたバッタの体にシミが出来ました。

医者が言われたことは、それは、

「苦しみ」と「悲しみ」というシミでした。

果物を食べると治るよ!と言われ、

治すために、柿を食べたが、食った柿の名前が悪い。

その名は「もがき」と「あがき」。

それでは、どうすればいいんだ!と聞いたら、

この裏山の崖を上がりなさいと言われた。

その崖の名前は「命がけ」です。

苦労してやっとの思いで上がると、

素晴らしい景色で、気持ちが爽やかになりました。

すると、その時から不思議と体の

シミがスッーと消えました。

そのバッタの名前は、

『がんばった』という名前に変わりました。

       (ある中学生の作り話でした)

 

明日見 2

アイヌの子守唄

水曜日, 7月 31st, 2013

一昨日、札幌在住のアイヌのご夫婦・川上さんが子ども連れでいらした。

奥様が、アニメでアイヌ語の子守り唄を唄って、それは素晴らしいのよ、

と紹介して下さったのが、世界を股に歩く聖女・わこちゃんだった。

今朝のメールで、彼女の歌声を聴いて、「これは本物!」と感動してしまった。

まだ20代であろう(!?)に、老女のような深みと温かさを湛えていて驚く境地だ。

地下洞に入るなり、その驚きようは尋常でなく、感受性の深さにまた驚かされた。

それぞれの固有の文化を大切に守らねば、とつくづく感じたのだ。

是非皆様も、お聞きください。

日本語字幕もあります。

dvd_amaray_h24

 

by 大井わこ

おはようございます。

先日はセール前でお忙しい中、友人たちにお時間割いて下さりありがとうございました。

お話した、奥様の素晴らしい歌声のYouTubeお送りします。

http://www.youtube.com/watch?v=qJhRtXq30Wk&feature=youtu.be

YouTube Preview Image

 

アイヌの財団のプロジェクトの作品。他に2つあります。

文化考証がキチンとなされたアイヌの物語を題材にしたアニメ。

貴重で秀逸だと思います。

http://www.facebook.com/l/DAQF4Ab5kAQExYKXgnkJi8zjfKNCPNgE6odK1WyifeZRztQ

/www.frpac.or.jp/animation/index.html

ご参考まで。
暑い日が続きますが、ご自愛ください。

銭湯画に富士のお山

土曜日, 7月 27th, 2013

風呂富士山

 

まほろば本店の近くに「笑福の湯」という老舗の銭湯がある。

私は、体がこわばると、直行して心身ともにほぐす、・・・・

いわば、かかりつけの医者ならぬ、かかり湯の湯治場なのだ。

何せ、43度以上もある湯が中心にデンと構えてあり、

ものの何秒も耐えられるか、すぐ降参して飛び上がる御仁が多い。

そこで、水を足すやからがいると、

すかさず「バカヤロー!水を入れる奴がいるか!!」との怒声が飛び交う。

途端に、威勢のいい喧嘩がはじまるのだ。

と言っても、そんな修羅場は、そうあるものでないが、とにかく皆日参するファンが多い。

ボーリングして当てた鉱泉水が、これまた冷たい上に冷たい。

サウナの後の、この冷水浴がなんともたまらないのだ。

今どきの、あちこちに乱立するビッグな大衆浴場大繁盛の中で、

こじんまりとした昔風のここに戻ってくる人が多い。

 

熱源に廃材を使っていることも、人気の的になっているのかもしれない。

年中、材木をきらさないのだから、いかに建て替える家が多いことか。

これもリサイクルのエコ精神で、廃棄料がかかる土建やさんは大助かりだと言う。

熱にも、ガスや重油にない本物さを感じるのか、湯のぬくもりが全く違うのだ。

熱さと冷たさが同居するこの銭湯は、

小さくとも、多くの人の心をしっかと掴んで離さない。

 

中島画家 1

この3月の雪の夜、例の如く風呂に入り、サウナで座っていると、

見知らぬ隣の旦那と、モソモソと話し始めた。

実はその日、入ってビックリしたのだが、風呂場に富士山の絵が描かれてあった。

いかにも、昔の風呂やさんに、舞い戻った感じなのだ。

何と、そのおやじさんこそ、昨日から一日で男女の風呂場に見事に絵を書き上げた絵師だったのだ。

聞くところによると、日本に2人の風呂絵師しかいなくなったと言うことだ。

そこで、「どこにお住まいで」と聞くと、

「東武練馬の自衛隊の近くだ」と、のたまわれる。

「えっ、私、若い頃、その辺に住んでいました」とばかり、急に心が接近しだした。

「ところで、男湯のこの富士山、どこから描いたのですか」と訊ねると、

「あぁ、そこは富士吉田の手前、登山口から描いたんだ」。

「えぇ、うちのじいさんが生まれたところですよ」。

と、たわいのない話の中にも、因縁を感じて、

こうして居るのも、何か眼に見えない糸で繋がっているんだなーと感心してしまった。

 

nakajima kiji2

 

それから、しばらくして、地方紙にその画が話題になり、

ある茶道の先生から戴いた「なごみ」という雑誌に6pにわたって、

あの時の絵師さんが載っていて、びっくり。

中島盛夫さんという有名な画家で、全国をかけづり回っているとか。

その数ヶ月後に、富士山が「世界文化遺産」に認定され、その前触れだったのか。

確かに、富士山の絵をを眺めて、いい気持ちになって、

一日の疲れを癒している今日この頃の私であります。

 

中島画家 3

 

「徐福」関連の地、「明見湖」付近が放映されます!

金曜日, 7月 5th, 2013
先日、中国連雲港へ徐福の里巡りをして来たのですが、
その徐福が、終焉の地として最期をおくった富士吉田明見地区。
時折りしも「世界文化遺産」に登録された富士山のふもと。
7月7日(日)7:00から日本テレビ『遠くへ行きたい』で、その周辺が紹介されます。
私の親戚で「めだかの学校」を主催している勝俣源一さんが、田中さんを案内します。
遠くへ行きたい
<みどころ>

 今回は俳優・田中要次が世界遺産に登録された富士山の周辺を旅する。まずは富士山駅(旧富士吉田駅)の駅前でレンタル自転車を借りて出発。市内を巡り、葛飾北斎の絵に描かれたという明見(あすみ)湖から望む富士山を見る。富士河口湖町の「船津胎内神社」で不思議な洞窟を体験し、「大石紬」で知られる大石地区で養蚕農家を訪ねる。そしてハンググライダーで空を舞い、空から富士山を眺める。

<内容>

 旅のはじまりは新宿駅を出発するJR中央本線特急「あずさ」の車中から。大月駅で富士急行に乗り換え、富士山駅(旧富士吉田駅)を目指す。到着後、駅前でレンタル自転車を借り、市内を巡る。駅前から少し行くと巨大な金(かな)鳥居のある交差点に出る。金鳥居は富士山という神の山の鳥居と考えられている。さらに進むと富士山をかたどったオブジェのある大きな庭に遭遇する。庭の持ち主である荒井三千男さんは富士山好きが高じて自ら庭を整備し、オブジェのほか水や木を使って富士山を表現しているという。

 次に田中は明見湖に向かう。一面にハスが広がる美しい湖を案内してくれるのは勝俣源一さん。葛飾北斎が好きな勝俣さんは、北斎の「富嶽百景」のひとつ「阿須見村の不二」と同じ富士山が見える明見湖に魅了され、湖の整備に尽力した。田中は勝俣さんに明見湖の富士山スポットを教えてもらう。さらに勝俣さんが打つ、富士吉田市の名物「吉田うどん」をいただく。

 富士河口湖町の「船津胎内神社」にある洞窟は、約1万年前に起きた富士山の噴火で流れ出た溶岩流によって出来上がった。あたかも人の体内のような様相をしていることから胎内樹型と呼ばれている。全長約70メートルのなかには肋骨状の側壁や突起状の天井など、いたるところに体内を思わせる造型がある。田中は河口湖フィールドセンターの館長・荒井正春さんの案内で、不思議な洞窟を探検する。

 次に大石地区で、養蚕農家を訪ねる。ここの蚕からは「大石紬」という伝統の織物が生まれる。堀内やよいさんは大石の絹糸を使って「美顔パフ」なるものを作っている。100%シルクのその感触を確かめてみる田中・・・。

 旅の最後に田中は「空から富士山を見る!」を実行することに。忍野スカイスポーツ倶楽部インストラクターの町田重幸さんと一緒に、ハンググライダーで空を舞う。空からの富士山はどんな眺めだろうか――?

 そして田中は自らの足で富士山を新発見&再発見した、今回の旅を振り返る。

徐福の故里・連雲港から

火曜日, 7月 2nd, 2013

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徐福のふるさと中国連雲港から帰って来ました。

と言っても、もう6月末のこと。

それ以後、たまった仕事をこなし、自然医学の原稿と29周年記念のための小冊子作りに終われ、

報告が大変遅れてしまいました。

申し訳ございませんでした。

昨年4月以降、中国は一切の日本視察団の受け入れを拒否して来ました。

今回の「国際自然医学・中国長寿郷調査団」は、初の受け入れで、現地で色々ありました。

しかし、夢のような邂逅があり、追って報告します。

15日発刊の「森下自然医学」誌に私の報告文が掲載される予定です。

それよりも、金曜日から始まる29周年の準備に店の者、おおわらわです。

次に、割引大サービスの予告を掲載します。

江戸っ子は今の3倍の飲酒量!

火曜日, 6月 11th, 2013

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ひどくうすかった日本酒

さて、江戸時代の酒の総消費量がどう考えても多すぎる。まるで「酒の上に浮かんでいるよう」な按配(あんばい)だとか。醸造学の権威、東京農業大学教授の小泉武夫氏はご生家が酒蔵でして、江戸時代の資料どおりに酒づくりを再現してみた結果、あるところまでは、水で薄めても味が変わらない事を発見しました。
 この頃は石造税といいまして、造った酒の量によって税をかける。それなら水分を少なくアルコール度の高い酒をつくり、あとで薄める方が得。すると樽廻船、問屋、小売と順番に薄まってゆく。このあたりはアウンの呼吸だったとか。消費者の手元に届く頃、アルコール濃度は四分の一にまで落ち、4ないし5%ほど。これ以上薄めるとさすがに分かったといいます。
 日本酒の飲み比べの記録が残っていますが、とても信じられない量。しかし、これほどの薄さなら・・・いけるかも、といった按配なのでした。

「むらさめ」という酒は、持つと人を斬りたくて我慢ができなくなる妖刀の「ムラサメ」からで「切れ味がいいから」との説は嘘で、村に着く頃、醒めちゃう酒のこと。「むらさめの名のごとく、新川で多く居酒いたし候(そうらえ)ども、余、村へたどり着くまでに酔い心地ははや醒めたり」との記述があります。戦後はこういうのを「金魚酒」とよんだとか。中で金魚が泳げる酒、ということでしょう。

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「ケンチャナヨ」を封印しなさい!!

水曜日, 6月 5th, 2013

韓国人の本質_新聞広告

後藤吉助翁の書かれた「死ぬ前に伝えておきたい『韓国人の本質』」が、

読売新聞一面の広告欄に掲載されました。

その2,3日前に、日本人による「悪韓論」が出版されるなど、

韓国への物言いに厳しいものがあります。

しかし、後藤さんは居を向こうに移して30年、

奥様も在日二世でいらして、ただ悪口を吐くのではなく、

心底、韓国が良い国になって、末永く日韓仲良くなってもらいたいとの

切なる願いからこの本を世に問うたのであります。

 

 

韓国人の本質 本

 

その証拠に、出版記念パーティーの当日、韓国や国内から多くの韓国の方々が

お祝いに駆けつけられました。

それは、後藤翁への愛情と信頼に満ちたものでした。

両国にわたって、橋渡しをされる翁の大志に感銘を受けるものであります。

ぜひとも、この本を読まれて、皆さんもこの橋を渡って頂きたいと思います。

(まほろばで取り扱っております)

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また、お待たせいたしました。

竹島問題で一時、『日韓友好海苔』が途絶えましたが、

また再びと品物が揃うようになりました。

大人気の後藤さんの魂のこもった海苔、ぜひご賞味とともに、

日韓友好の絆にご協力いただけますようお願い申し上げます。

詳しくは、岸さんがお書きになったプレマさんからの報告がありますので、

ご覧ください。

 

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「はじまりの記憶」杉本博司氏

金曜日, 5月 17th, 2013

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映画『降りてゆく生き方』のプロデューサーである弁護士の森田貴英さんとは、

「発酵」繋がりで、寺田さんを通じて親交を深めている。

宮嶋さんの本で、即「エリクサー」を求められたのだ。

先日、東京でのマイグルトのイベントでも再会し、話し込む中で、

彼の思想実践の源泉がおぼろげながら理解できたのは幸いだった。

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http://www.sugimoto-movie.com/

その話の中で、ある写真家が現像時に電流を走らせて作品を発表しているという。

帰札後まもなく、森田氏からその映画になったDVDが送られて来た。

この手の現代映像は、ほとんどが期待外れのものが多いので、

申し訳ないが期待していなかった。ところが、違った。

「はじまりの記憶」と題する杉本博司氏のドキュメント。

久しぶりに、古い知己と邂逅したというか、ピッタとした志向は得難かった。

 

 

 

「私の中では、最も古いものが、最も新しいものに変わるのだ」

30年ニューヨークで現代アートシーンを牽引した彼だが、

一方若き日に、古物商で食い繋いだという古き良き物への眼力が、かく言わしめている。

前衛と古典に揺れ動いた私自身を見るようで懐かしくも心ときめいた。

 

初の著作「苔むすまで」を読み始めると、そこに鴨長明の方丈庵のくだりが記されてあった。

先日「自然医学」の連載に、その方丈記について書いたばかりだったのでその共時性に驚いたのだ。

 

杉本博司 コケむす

 

直島・瀬戸内アートの楽園に「護国神社再建」の任が杉本氏に与えられた。

十方に玉砂利を敷き、24tものイワクラ(磐座)を運び、簡素な柱を立て、

質朴で矮小な本殿には、光学ガラスの階梯を渡し、それが地下洞に通じる。

そこは墳墓でもあった。

古代、古墳と社屋は一体であるとした彼のイマジネーションがそう設計させた。

著書で、場について、こう語らせている。

 

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Q:写真家だと思われているあなたが、

なぜ神社を建てることになったのですか。

A:写真家といっても水と空気、それと光を扱ってきました。

建築も似たようなものです。

Q:アプロプリエート・プロポーションとは、

日本語でどう訳したらよいのですか。

A:神はある特殊な場に宿ります。そのような場には、

独特の比率があります。

Q:それは建築的な比率のことですか。柱とか梁の。

A:比率とは場のたたずまいのことです。

Q:ではアプロプリエートは、適切という意味ですね。

A:空間が適切であるとき、日本語では

場をわきまえた と言います。

Q:すると、”場をわきまえた、たたずまい”となりますね。

A:そうです、凛とした空気のことです。

(写真と対話、「苔むすまで」より) 杉本博司 現な像