師走も押し迫ったある朝。
市場の魚の仲買に、何とあの「厚田とうふ」があるではないか!!
30年ぶりに見る厚田村の妹尾さんのとうふに間違いない。
「どうして、ここにあるの?」
「厚田のおばちゃんが、時々届けるんだ。」
あの石狩街道をまっすぐ北に走って行く厚田への海岸線は厳しい。
冬はことに厳しくて、雪の吹き溜まりになる。
そんな街道をバイクで買い付けに行っていた人が、
居酒屋「凡日亭」の今野清美さんだった。
その出会いを作ってくれた方が、今でもお客様で瞑想家の土橋順さんだった。
まだ発寒橋の2階のアパートで細々と店の物真似をしていた頃、
わざわざ、発寒まで家内の食講座を聴きに来てくださっていた。
「『厚田のとうふ』って美味しい豆腐があるんだよ。
西野の凡日亭のおじさんが、厚田まで行って仕入れて来ているから、聞いてごらん」
と言って下さって、早速訪ねに行った。
会うや、たちまちに意気投合して、付き合いが今まで続いている。
それから、ガン缶にとうふを入れてくれて、それを自転車で配達し始めたのだ。
12月からだったから、丁度今の季節で、晴れもあるが、吹雪もある。
今野さんは、吹雪の中をバイクで危険な走行をして来る。
命がけだったに違いない。
そんな初めての商売、まほろばの初めが、とうふ売りだったのだ。
常々話すのだが、この雪道を自転車が走ることは、車にとって迷惑この上ない。
だが免許もない私にとって、自転車しか輸送方法がなかった訳だ。
兎に角、必至だった。
クリスマスの夜、行く先々の家で、楽しい宴をしている。
自転車の車が凍り付いて回らなくなり、お湯を借りては溶かして漸く動く。
次の家に着くころには、また車輪が動かなくなる。
何とも言いようのない切なさが込み上げてくる。
こんな思い出を残しての創業であった。
大豆が無農薬だとか有機だとかの至っていない頃の話である。
片田舎の昔ながらの作り方で拵えた素朴なとうふだったからこそ惹かれたのだと思う。
そんな自然食への原点がそこにあった。
それから、共働学舎の宮嶋代表の紹介で、士別の澤田さんとの出会いがある。
炭埋でとうふ作りしている澤田さんとも、かれこれ30年の付き合い。
毎日遠い士別から届けて貰っている。
甘い豆腐が主流になっているが、昔かたぎのがっちりしたとうふだ。
有機大豆は無論のこと、木曽路物産との古い付き合いで、
国内でも、内モンゴルの天然かん水を初めて使い始めたのもまほろばである。
『老豆腐』チベット高原産にがり、有機大豆使用、そしてエリクサー水使用。
澤田さんが、まほろばのためにエリクサーを購入して、その水で作って下さっている。
鎌倉時代、中国から豆腐製造技術が輸入された。
その時、にがりを使う「老豆腐」と石灰を使う「嫩豆腐」の二種が伝わったが、
結局、日本では「老豆腐」の製法だけが残った訳だ。
まほろばでは、本家本元のこの「老豆腐」を名称にしようとして名付けた。
「老」とは先生などとの敬称でもあり、
さしづめ「豆腐さん」「豆腐さま」という尊敬を込めている。
「老豆腐」は、爆発しないが、これまで地道に売れ続けている、
これも不思議なまほろば商品である。
色々語り尽くせぬ物語りが沢山あるが、こんな「とうふ物語」もあってのまほろば。
いよいよ。今年も残すところあと2日。
店では、みな早朝から気合が入っている!!!