まほろばblog

Archive for the ‘余談’ Category

驚きの幼児脳

水曜日, 9月 5th, 2012

 

この夏、ドイツのケルンに嫁いでいる姪が、子供を連れて恵庭に帰省している。

健太/KENTAという。

母親は、父親が一緒に来ると、ドイツ語ばかりで言葉を覚えないので、

「今回は来ないで」と、旦那に言い含めて、母子二人だけの旅行ということだ。

向うでも、なかなか日本語を話す機会がないらしい。

いわば、語学留学のつもりで、帰国した。

既に、一月半経ったという。

そこで、びっくりなのだが、子供同士、何不自由なく意思疎通している光景だ。

結構、話が通じている。

聞くところによると、全くドイツ語は忘れたかのように、話さないらしい。

親子も、従兄弟同士も、日本語で通じている様子に、こちらがビックリなのだ。

キャッキャッ、奇声を上げながら会話している。

幼児期の言語習得能力は、おそらく大人の何百倍ではなかろうか。

まるで頭の回路が別物で繋がっているかのように、繋がっている。

全くの虚心になって、物事を生き写しのように、写してゆく。

これは、仏道修行で、「妙観察智」という境涯だ。

相手や物事など、そのものになってしまう悟りの境地なのだ。

芭蕉などは、山河や植物そのものになって、そのものを詠んだ、という。

大人はみな、幼子の時は、みなそれが出来たのだ。

いわば、無心という純粋回路で、ことに当たれば、出来ないことがなくなるのだろう。

老人は、再びと子供に帰る。

ヤッター、これから、すごくなるぞー、天才になれるかもしれない。

チャンス到来、チャンス到来!

と、チョット勘違いした一人の年寄りが夢想しています。

人の縁 1、

日曜日, 8月 26th, 2012

今回発刊になった拙書「倭詩/やまとうた」。

その編集作業の中で、困難なことの一つに写真の許諾手続きがあった。

問い合わせが全国50件以上もあり、その一つひとつがケースバイケースで異なり、

兎に角、途方も無く手間がかかった。

地場は、迅速に手早く出来るだろうと高を括っていた。

ところが、近間の許可に意外と手間取ったのだった。

それが、「銀の滴・・・・・・」の中に入れたいアイヌ言語研究家の故山本多助さんだった。

色々なアイヌの方々の伝を頼ったのだが、一向に埒が明かない。

無論、ご子息にも連絡を取ったのだが、・・・・・。

半ば、諦めかけていた時、詩吟の会が開かれた。

その中の一人に、新人の老紳士が出演されていた。

当日プログラムの表紙、松前城を写した写真家ということであった。

後日、多助翁の本「イタク カシカムイ(言葉の霊)」を、何気なく取り出して、

後の頁を見ると、写真が「平島邦生」とあった。

その時、ハッとしてあの新人さんも同姓同名だったことに気付いた。

もしかして、と、先生に確かめたのだった。

「何ということか!」との思いで、平島さんに電話すると、正にご本人であった。

アイヌ文化に関する写真をライフワークとして、

ことに山本多助翁の写真の多くは、平島氏の手によるものだった。

それにより、翁の写真掲載は漸く人を介して、かように許可になったのだ。

その不思議さに、私はこの本に特別な思い入れを一層抱くようになった。

登窯、無限ハート皿

火曜日, 8月 14th, 2012

陶芸を趣味とする堀内さんから、報告があった。

芸術の森で開かれている登り窯で焼成する会があり、

そこで、例のハート皿、お香皿を焼かれたという。

思ったように灰の釉がかからず、次年の穴窯に望みを託すとかや。

次に、彼女の報告を聞きましょう。

お忙しいところすみません まだまだ暑い日がつづきますね。
7月下旬、 お香皿を芸術の森の登り窯 に入れて焼いてきました。

登り窯はとても大きくて 目指していた木灰がかかるような仕上がりを得るには、

登り窯より穴窯がよいと、教わりまして、今回は 写真のようなやきあがりになりました。

 
主宰者さんが来年は穴窯をするそうなので、今度は灰がたくさんかかるから…

また入れていいよと言ってくれました。

 
勉強不足で…お話していたように焼き上げれなくすみませんでした。
 

これはこれで軽いやきあがりで、素朴ではありますが

来年さらに穴窯にいれたほうが良い気がしています!

また電気窯のものになりますが… 今度はきれいめな色味のものおもちしたいと思っています。

blog拝見しています。

マザーテレサのお話にいたく感銘しました。

農園に熊…大丈夫ですか…

まほろばさんの ますますのご発展お祈りしております

堀内 洋子

ジャガーと江差追分

木曜日, 5月 24th, 2012

今朝の道新に、「江差追分大会50周年」記念として、

北前船の寄港地巡りの旅が開始されたとの記事が掲載された。

まずは、最初の出航地・淡路市で、江差追分の大家・青坂満さんらが、

北海道民謡を披瀝された、とあった。

その青坂さんを世に出した功労者の一人が、札幌在住の多田義和さんだ。

東京農大の漕艇部の顧問として活躍される一方、

あの盲目の天才ピアニスト辻井伸行君の支援をする等、

本物のパトロンという生き方をされている方だ。

元々、都民の多田さんの愛車が35年前から乗られている「ジャガーXJSーV12」という

コンバーチブル・タイプ、ロンドン・グリーンの垂涎の歴史的名車なのだ。

一世を過ぎても、その流麗な設計、風格ある存在感に、全くの門外漢の私もうなった。

そういえば、子供の頃、「シボレー、ダッチ、ジャガー・・・・」と外車名を諳んじていたが、

若い頃から、車はただ乗れればそれでいい、という程度の車音痴なのだ。

しかし、そんな私でも、良い物はいいなーと感慨深げであった。

そこに、大の車好きの、共働学舎の宮嶋さんや、同じ新型ジャガーを所有する

コーボルトの磯さんのご主人が寄って来て、喧々諤々と車談義を交わした。

青坂満という北海道の宝を見出した多田さんの眼力が長年大事に乗り続けた愛車。

今の大量生産で次々と量産される車に限らず、すべての物事が消耗品でしかない・・・・・・、

果たしてこうも大切に、己の手の内で育てるものがあるであろうか。

高くても良きものを、末永く使い続ける。

それこそが、本当の意味でecoで倹約質素なのかもしれない。

(多田義和さんと「ジャガーXJSーV12」)

またや終末なし!?

金曜日, 5月 11th, 2012

皆様もご存知のように昨日の、世界を駆け巡ったニュース。

2012年12月は世界の終わりでなかった!!

マヤ暦で最後の歳となるはずの今年に、どれほどの人々が

終末説を担ぎ出して、騒ぎ騒がれただろうか。

1999年のノストラダムスといい、2000年問題といい、またかという感があった。

これで一安心した人もいれば、ガッカリした人もいるかもしれない。

でも、年末になれば、遠からず答えが出るのだから・・・・。

そういう流言飛語に惑わされず、毎日を地道に生きるしか術がないだろう。

しかし、終末論が飛び交うほど、今何が起こってもおかしくない世相だ。

人類の平和はまだまだ遠い先のことのように思われる。

「脚下照顧」、古臭いかもしれないが、私達は足元を見るしかないだろう。

5月10日(ブルームバーグ):グアテマラで1000年以上前に建築された住居の壁画に、これまで知られている中で最古のマヤ暦が描かれているのを、考古学者らが発見した。この壁画には人物や数字、天文に関する記号などが描かれていた。

米科学誌サイエンスに掲載された研究報告によると、壁画は壁3面と天井を覆っている。住居と思われる建築物の内部でマヤ美術が発見されるのも初めてだという。

研究者らによると、壁に記された日付から、約7000年間に及ぶ火星や金星、月食の天文的周期を表していると考えられる。これは、マヤ文明の歴史を象形文字で記録した「コデックス」と呼ばれる古文書が存在する数百年前に古代マヤ人たちが天体の諸現象を計算していたことを示唆する。

米ボストン大学の考古学者で研究報告の主執筆者であるウィリアム・サターノ氏は文書で「彼らは壁に描いていた。壁を黒板のように利用しているようだ」と指摘する。

この9世紀に建築された建物はサターノ氏の教え子のマックス・チェンバレン氏が2010年、遺跡盗掘者が残した熱帯雨林の奥地に続く道をたどっている際に発見した。研究者らは報告の中で、マヤ暦は世界が12年に終わると予言していると広く考えられているが、それを示唆する記録は最新の発見では見当たらないとしている。

書記官の住居か  

発見された場所はグアテマラ最北で最大の地域であるペテン県にある。壁画では、羽をまとい座っている王などが描かれていた。オレンジ色の衣服を身に着け筆記具を手にした男性も描かれており、この住居の居住者で書記官の可能性があるという。

マヤ文明は6世紀ごろに最も隆盛を誇りグアテマラ全域のほか、ベリーズ、ホンジュラスの一部、エルサルバドル、メキシコに及んだ。今回発見された壁画は、寺院や宮殿の多くが建設された時期のものと考えられている。9世紀初めにはこれらの都市は放棄された。研究者らにもその理由は分かっていない。

原題:Earliest Known Mayan Calendar Found in Ancient GuatemalanHouse(抜粋)

夭折の俳人・住宅顕信

月曜日, 2月 13th, 2012

1961年生まれ、満25歳の87年に死去した住宅顕信(すみたくけんしん)。

死後、句集「未完成」が刊行された夭折の俳人だった。

中卒後、調理師学校、市役所に勤務、そして22歳で出家得度。

結婚後、白血病で入院して離婚。その後、句作に励み、自由律の俳句は、

かつての山頭火や放哉を思い出す。

その短くも、儚い年月に、書き刻んだ句々。

「気の抜けたサイダーが僕の人生」

「水滴のひとつひとつが笑っている顔だ」

「春風の重い扉だ」

「地をはっても生きていたいみのむし」

「捨てられた人形が見せたからくり」

「若さとはこんな淋しい春なのか」

「合掌するその手が蚊をうつ」

「点滴と白い月とがぶらさがっている夜」

「レントゲンに淋しい胸のうちのぞかれた」

「かあちゃんが言えて母のない子よ」

「抱きあげてやれない子の高さに坐る」

「鬼とは私のことか豆がまかれる」

「夜が淋しくて誰かが笑いはじめた」

「ずぶぬれて犬ころ」

「洗面器の中のゆがんだ顔すくいあげる」

「何もないポケットに手がある」

新聞で、初めて知った顕信だが、

若くして、何気ない言葉に、意味を吹き込めたのは、

やはり、苦悩の淵を歩んだからであろうが・・・・。

救い難い若さが、生き続けて、

やがて諦念の言葉がどう紡ぎ出されるか、

見届けたかったのも、一方にある。

小学校の漢字

日曜日, 1月 15th, 2012

新聞広告に、「小学校で習った漢字」がベストセラーとのこと。

1006字で構成された易しい漢字が、果たして!

読めますか?!?!

正直、私はかなりつまずき、自信喪失です。

六指   水馬   徒花   心耳   飛白

徒骨   年魚   手練   小火   水雲

木通   音呼   心太   背向   札片

らびつさ、いがそ、んてろこと、こんい、びけあ、

くずも、やぼ、んれて、ゆあ、ねぼだた、

りすか、じんし、なばだあ、ぼんめあ、しさむ

雪のこえ・・・・・

火曜日, 12月 13th, 2011

今年も残すところ3週間。

まほろばでは、25日からの酉の市が最後の山場。

毎日みんな必死になって山積みの業務をこなしています。

まほろばのみんなは、本当に働き者。

何処に出しても恥ずかしくないほど働きに働きます。

そんなみんなに支えられて、この一年が過ぎ去ろうとしています。

そんな中で、ホットする光景。

島田編集長が、近所の発寒川に毎日昼ご飯をかねて写真撮りに出かけます。

そのハラハラと落ちて来る雪の一瞬を捉えた画。

何か「雪の声」が聴こえてきそうですね。

このように心を濯ぐように、爽やかに清らかに生きたいものです。

1111・・・・・・・の不思議?!

土曜日, 11月 12th, 2011

国語世論調査

日曜日, 9月 18th, 2011

先日、文化庁が発表した国語に関する世論調査。

(この言葉自体、適切かな??)

「ら」抜きが、一段と増えて、言われても誰も違和感が感じられない世代になった。

たとえば、「・・・来れる?」とは日常語に定着してしまった。

もう「来られる」といえば、むしろ尊敬語のように感じてしまう。

それほど、言葉の変遷は激しい。

先日、金田一晴彦さんの思い出番組で『枕草子』の当時の読みを、

再現したのを聞いたが、全く今の日本語とは程遠く、外つ国の言語ようだ。

そのような情緒溢れる平安期の語感を失った現代語は、

極めて物質的な角張った印象を受けた。

それから漢語や普段の常套句などが、

随分意味違いで認識されているのも目に付いた。

「雨模様」「姑息」「号泣する」・・・・など、意味を取り違って

お互いうなづき合っているのも、可笑しいと言えば可笑しいだろう。

私なども、穴があったら、入りたい気分だ。