「被爆を乗り越えた二人の実例」
水曜日, 9月 21st, 2011既に語り尽くされているお二人の逸話、
改めて、秋月辰一郎先生と平賀佐和子さんをご紹介して下さいます。
大場 淳二
(ワン・ピースフル・ワールド日本代表)
『致知』2011年9月号
連載「意見・判断」より
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ご紹介したい記録があります。
私の小学、中学の同級生の欣二君のお兄さんで、
長崎で被爆された医師・秋月辰一郎先生が書かれた
『死の同心円』という本です。
「死の同心円」――。
被爆した人たちは、
「吐き気がする。身体がだるい。血便が出る。頭髪が抜ける。
皮膚に斑点が出る。歯茎から血が出る」
と原爆症の症状を訴え始め次々と倒れていきました。
発症が、きょうは爆心地から半径五百メートルで被爆した人たち、
きょうは一キロの人たち、と同心円状に
広まっていった恐怖感を表した言葉です。
秋月先生が被爆したのは、爆心地から
一・四キロ離れた浦上病院でした。
いよいよ半径二キロ内で被爆した人たちが
次々と倒れていく中で、不思議なことに
秋月先生とそこで働く看護婦たちは原爆症にならなかったのです。
それはなぜか。
秋月先生には二つの原体験がありました。
一つは玄米菜食によって生来の病弱を克服したこと、
もう一つは長崎医大付属病院で
放射線教室に助手として勤務していたことです。
『死の同心円』によると、秋月先生はご自身も含め、
被爆した人たちが訴える症状がX線治療の後に
レントゲン取り扱いの技師たちが見せる
「レントゲン宿酔」という症状に類似していることに気づきます。
そして、その治療法は濃い食塩水を
飲ませることだったと想い起こしました。
「爆弾をうけた人には塩(注・精製されていないもの)がいい。
玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。
塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。
そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかん」
秋月先生は、被爆した職員や周囲の人たちにこう指導した結果、
原爆症の発症を免れたのです。
そして先生は八十九歳で亡くなられるまで
医療活動や反核平和運動に献身的に従事されました。
ここで特筆すべきは、先生と職員の方々は玄米と塩、
味噌汁を原爆以前から積極的に食べていたということです。
* *
もう一人、紹介したい方がいます。
私の親しい友人である平賀佐和子さんです。
彼女は広島の爆心直下で被爆、
顔は火傷で三倍ほどに腫れ上がりながら、
どうにか一命を取り留めました。
原爆の後、炊き出しでおにぎりが配られた時、
彼女は中の梅干しが食べたくて仕方がなく、
姉や妹、知人たちにもらってまで食べたといいます。
その後遺症から、顔はひどいケロイドで
体も丈夫ではなかった平賀さんは、
被爆から十五年後、陰陽を元にした
食養(マクロビオティック)の概念を提唱した
桜沢如一(ゆきかず)先生の講演会に行きました。
その時、桜沢先生は
「あなた、このままでは死んでしまいますよ。
玄米食にしなさい」
と言われたそうです。
それから毎日玄米とごま塩だけで過ごしたところ、
体重はぐんと減りましたが、子宮から真っ黒い出血があり、
その後、スーッと体の調子がよくなって、
皮膚のケロイドもきれいになくなったといいます。
「こんな顔では結婚はできない」と思っていたそうですが、
その後平賀さんは結婚し、子供七人を産み育て、
現在は孫十四人という大家族に恵まれ元気に過ごしているのです。